國體護持總論
トップページ > 著書紹介 > 國體護持總論 目次 > 【第一巻】第一章 國體論と主權論 > 第三節:基本概念

著書紹介

前頁へ

世界革命思想の構造

「大東亞戰爭」は、世界の政治的經濟的支配の構造的枠組みに重大な變革を及ぼさうとした「思想戰爭」であつた。

大東亞戰爭とは、歐米の植民地支配からアジア地域を解放し、そこに共存共榮の自給自足共同體(共榮圈)を樹立しようとして、昭和十六年(1941+660)十二月八日、我が軍がハワイ眞珠灣攻撃と同時に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダなどの東亞の植民地を解放するため、それらの植民地であつたフィリピン、マレー半島、香港島、ビルマ、シンガポール、アンダマン諸島(インド洋)、セイロン島などに進駐した對英米戰爭と、支那大陸において先行してゐた支那事變をも含むものである。しかし、戰後、連合軍の占領下において『日本プレスコード指令』による言論統制がなされ、「大東亞戰爭」の名稱使用を禁止され、「太平洋戰爭」の名稱を義務付けられ、獨立後においても屬國意識の強い者たちや無自覺な者たちは、連合國の檢閲に服したまま今日に至つてもこの名稱を使用してゐる。

ところで、この思想戰爭といふのは、特定の思想によつて描く理想の世界を實現するためになされるものであつて、どのやうな思想戰爭であつても、すべての思想戰爭に共通した理念構造があることを説いたのはカール・シュミット(Carl Schmitt)である。

前にも述べたが、カール・シュミットの『獨裁論』(1923+660)等を要約すれば、まづ、「獨裁」の態樣は、獨裁權の由來に關する國法學的分類として、「委任的獨裁」と「主權的獨裁」とに區分される。「委任的獨裁」とは、ドイツ・ワイマール憲法第四十八條のやうに、國家緊急時等において國家の本質的な現存憲法體制を擁護するため、一時的にその憲法條項を停止する獨裁形態であり、現存憲法自體の委任による、いはば「現存憲法に基づく獨裁」であるのに對し、「主權的獨裁」とは、將來の理想的憲法を實現するために、現在の憲法秩序を制定した權力とは異なる新たな憲法制定權力を前提とする、いはば先取り的な「將來憲法に基づく獨裁」であるとする。このことは、政治學的分類としての、「秩序獨裁(反革命獨裁)」と「革命獨裁」との區分に概ね對應する。即ち、「秩序獨裁(反革命獨裁)」とは、現存國家體制秩序を擁護するために、主として革命運動の彈壓を目的とする獨裁であるのに對し、「革命獨裁」とは、その逆として、革命運動推進のための獨裁であるからである。

この主權的獨裁又は革命獨裁に該當する思想(革命思想)の例として擧げられるのは、①共産主義革命思想(マルクス・レーニン主義)、②ナチズムの思想、③キリスト教國の思想(例へば、カトリシズム、十字軍思想といふ宗教的政治思想)、④白人優越思想(選民思想、有色人種の奴隷化肯定思想)などであるが、これらに共通するものは、次のやうな「五つの假説」による理念構造を持つてゐることにある(V字型思想構造。章末の別紙一『V字型世界思想構造圖』參照)。

先ほども述べたが、社會契約説と天賦人權論によるフランス革命などは、これらと全く同じ構造であつたことが容易に理解できるはずである。

これらの思想は、先づ初めに、遙か彼方の遠い過去に理想郷(ユートピア)が存在したとの第一假説を設定する。①では、差別のない「原始共産制社會」であり、②では、爭訟のない「純潔ゲルマン民族社會(神聖ローマ帝國とホーエンツォレルン家のドイツ帝國)」であり、③では、一切の不安のない樂園としての「エデンの園」、④では、「白人支配による世界秩序」なのである。いづれも歴史的かつ科學的な根據のない想像(空想)の世界である。

そしてさらに、その理想郷(ユートピア)の秩序を亂す存在が現れ、社會が混亂、堕落したとの第二假説を設定する。①では、私的所有と貨幣制度による「貧富の差の發生(富の蓄積)」と「階級對立(階級闘爭)」の現象であり、②では、ユダヤ人やジプシー等の社會進出及び混住・混血による「ゲルマン社會の混亂現象」と、それを加速させゲルマン民族の弱體化を目的としたベルサイユ條約體制の確立であり、③では、禁斷の木の實、バベルの塔及びソドムとゴモラの町に象徴されるやうな人間の原罪(欲心・無明)による「民族の分裂・對立」、「言語の混亂」及び「異教の亂立」、④では、黄禍論(Yellow Peril イエロー・ペリル)に基づき「日本の世界進出」による世界支配秩序の混亂現象である。

ちなみに、この黄禍論とは、黄色人種の活動及び混住(移民)が白色人種の社會・文化に脅威と弊害を與へるといふ、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世(在位1888+660~1918+660)の唱へた主張である。その根底には、言語區分による人種差別意識として、膠着語(アルタイ語、蒙古語、ハングル語、日本語など)を話す黄色人種は、獨立語(支那語など)を話す語族よりも進化してゐるが、屈折語(歐米語、インド・アーリヤ語など)を話す白色人種には遥かに及ばない、との妄想に基づくもので、今日にも強固に受け繼がれてゐる差別思想のことである。

さらに、第三假説は、救世主の出現である。①では、共産主義革命思想で武裝した前衞黨である「共産黨」の出現、②では、「ナチスト」の出現、③では、「キリスト」の出現(復活)、④では、盟主アメリカの實現である。

第四假説は、その救世主によつて第二假説の障害を除去して淨化し過去の理想郷に近い社會へと進展し到達するために、特定の政治的過程を必要とする假説である。①では、プロレタリアート獨裁(その前衞黨としての共産黨獨裁)といふ過程、②では、ヒトラー率ゐるナチストの獨裁政權といふ過程、③では、法王國家のキリスト教宣教師らが遍く全世界に布教して異教徒を驅逐するといふ過程、④では、日本を衰退滅亡させる過程である。

最後の第五假説は、第一假説と同等の、將來における理想郷が實現するとの假説である。①では、「共産主義社會」の實現(國家の消滅)、②では、ヴェルサイユ條約體制を打破してユダヤ人等のゐない理想的なゲルマン民族の純潔社會である「第三帝國」(エスタンジア)の實現、③では、キリスト教が全世界統一教(宗教獨裁)となることによる「キリスト教世界」の實現、④では、日本の滅亡による白人の世界支配世界(西高東低社會)の實現である。

これらは、いづれも豫定説的な信仰思想である。豫定説(predestination)とは、ユダヤ教とキリスト教に共通するメシア思想の教義であつて、誰が救濟されるのかは神のみの意志によつて豫め定められてをり、熱心に祈ることの見返りとして實現するものではないとの教理であつて、これらの革命思想構造の原形は、このメシア思想に見出すことができる。

このやうに考察すると、第二次世界大戰は、歐洲戰爭においては①②④が複合した覇權爭奪の戰爭であり、大東亞戰爭は、ABCD包圍陣による④の戰爭に對抗する自衞戰爭(④の反革命戰爭)及び①の共産革命に對抗する自衞戰爭(①の反革命戰爭)といふ消極的側面に加へて、大東亞共榮圈建設のための革命戰爭としての積極的側面を有する複合的な思想戰爭であつたことが解る。つまり、大東亞戰爭は我が國と連合國の雙方にとつて龍攘虎搏の思想戰爭であつたのである。ちなみに、イラク戦争は、次章で述べるとほり、③の戰爭といふことになる。

大東亞戰爭の戰爭目的とした大東亞共榮圈思想といふのは、④の世界革命思想に對抗する理論(反革命理論)として、その思想構造は反射的に世界革命思想に類似したものとなる運命にあつた。すなはち、第一假説は、「自給自足による東洋の高度文明社會」、第二假説は「歐米列強の大航海時代に始まる東亞植民地支配(西高東低支配)」による混亂現象、第三假説は「強國日本」の出現、そして第四假説は日本主導(八紘爲宇)による「大東亞共榮圈社會秩序」の實現である。この八紘爲宇(日本書紀)又は八紘一宇(田中智學の造語)の意味は、全ての民族は平等であり、世界を一つの家とすることの理想を示すものである。ただし、大東亞共榮圈思想が、これまでの世界革命思想と根本的に異なるのは、少なくとも第一假説、第二假説及び第三假説は、歴史的事實であつた點である。そして、ここで留意せねばならないのは、④の思想戰爭について云へば、我が國が大東亞戰爭で敗北したことと、④の世界革命戰爭が完結したこととは決して同じではないといふことである。未だ我が國は滅亡してゐないことから、④の第四假説(日本の滅亡)は實現せず、第五假説も實現してゐないので、兵器を用ゐない情報戰爭が未だ繼續してゐるといふことなのである。

ところで、大東亞共榮圈思想の源流は、吉田松蔭などにも見られるが、この思想性を完成させたのが北一輝の前掲の『國家改造案原理大綱』及び『日本改造法案大綱』である。これによると、我が國の有する「開戰ノ積極的權利」として、第一文に、「國家ハ自己防衞ノ外ニ不義ノ強力ニ抑壓サルル他ノ國家又ハ民族ノ爲メニ戰爭ヲ開始スルノ權利ヲ有ス(即チ當面ノ現實問題トシテ印度ノ獨立及ビ支那ノ保全ノ爲メニ開戰スル如キハ國家ノ權利ナリ)」とし、第二文に、「國家ハ又國家自身ノ發達ノ結果他ニ不法ノ大領土ヲ獨占シテ人類共存ノ天道ヲ無視スル者ニ對シテ戰爭ヲ開始スルノ權利ヲ有ス(即チ當面ノ現實問題トシテ豪洲又ハ極東西比利亞ヲ取得センガタメニ其ノ領有者ニ向テ開戰スル如キハ國家ノ權利ナリ)」(文獻33)として、東亞解放戰爭の正當性の根據を示したのである。

いづれにせよ、大東亞戰爭が世界思想戰爭であつたことは明らかである。それゆゑ、その歴史的評價は、戰爭遂行過程における個別的な戰闘行爲に非違があつたか否かといふこととは無關係に、その思想自體の内容、目的、手段及び結果等を總合して全體的な視座から判斷されることになる。その意味において大東亞戰爭は、紛れもなく自存自衞のための「聖戰」であつたことになる。

続きを読む