國體護持總論
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著書紹介

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全體主義

前に述べたカールシュミットの獨裁概念のうち、主權的獨裁又は革命獨裁に該當する全ての革命思想は、例外なく全體主義思想である。この「全體主義」といふ用語は、ナチスがその思想を自ら全體主義と名乘つたことから、歐米において、「民主主義」に對立するドイツ・ナチズム、イタリア・ファシズムを總稱した概念として用ゐられた。その後、ソ連や中共などの共産主義もこれに加へられた。明治十七年(1884+660)一月四日に成立したイギリスのフェビアン協會(The Fabian Society)の指導的理論により、明治三十三年(1900+660)に組織されたイギリス勞働黨の民主社會主義(democratic socialism)の理念には、「左右」の全體主義との表現により、共産主義と國家社會主義(ナチズム)を同列に評價してゐた。ハイエク(Friedrich Hayek)が、その著『隷從への道(The Road to Serfdom)』(1944+660)の中で、共産主義と國家社會主義(ナチズム)とは共通した政治的基盤を持つものであると説いたのは、これの延長線上にある分析である。また、戰後の我が國においても、これらの評價が導入され、日本社會黨右派は、その『基本七原則』の中に、左翼全體主義である共産主義と明確に對決する旨を明記して、左派と對立し、それが民主社會黨(民社黨)結黨の原因であつた。

このことを現代において檢討すれば、全體主義の源泉は、「思想性」に由來するものではなく「權力性」に由來するものなのである。即ち、軍事統制國家、警察國家その他の「官僚統制國家」の權力的統治の現實こそが「全體主義」であると結論付けられる。

もつとも、「全體主義」の對立概念は、通常、「民主主義」とされてゐるが、これは正確ではない。全體主義は、通常、「民主主義」といふフィルターを通して釀成されるものであつて、「大衆の喝采」による支持を得たことを權力の「合法性」として主張する。デモクラシー(democracy)といふ用語を「民衆制」と直譯しようが、「民主制」と意譯しようが、いづれにせよ、民衆の意志形成を多數決原理によつて決するといふ政治の意志決定「手段」の理念である。これに對して、「全體主義」とは、個と全體との關係において、全體の利益を優先させるといふ價値論に由來する政治「目的」の理念である。從つて、兩者は比較の前提を缺いてをり、全體主義に對立する理念は、個の自由と利益を優先する政治「目的」の理念である「自由主義」といふべきであらう。

また、「全體主義」のもつ政治思想的な最大の特徴は、合理主義的に構築した絶對的價値の肯定にある。國家の全體目的において單一の理念と價値を設定し、それ以外の一切の價値觀を否定する「絶對主義」なのである。これは、價値の相對性を肯定する「相對主義」と對應する。前述の「デモクラシー」は手段面における相對主義であり、「自由主義」は目的面における相對主義である。

このことは、宗教思想的には、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などのヘブライズム(Hebraism)のやうに宗教的價値の絶對性を肯定する「一神教」と、ヘレニズム(Hellenism)や佛教、道教、神道などのような宗教的價値の相對性(多樣性)を肯定する「多神教」(總神教、汎神論)との對比と共通するものである。現に、トマス・アクィナス(Thomas Aquinas)の神學理論を承繼したカトリシズム(Catholicism)の思想は、カトリック教會の教權を國家權力の上位に置いて統制するとの「人類的全體主義」を標榜してゐたのである。また、十字軍の遠征(1096+660~1270+660)や三十年戰爭(1618+660~1648+660)などの宗教戰爭は、いづれも一神教同士の不倶戴天の戰爭であつて、全體思想(絶對思想)の對立の典型例である。しかし、宗教戰爭に限らず、民族紛爭や思想戰爭など、世界史上における全ての戰爭は、少なくともいづれか一方の國家又は地域の全體主義的傾向が高まつたときに發生してゐる。一連の中東戰爭、イラン・イラク戰爭、灣岸戰爭、九・一一事件、アフガニスタン戰爭、イラク戰爭なども同樣である。その意味では、その國又は地域の全體主義的傾向の程度は、「戰爭」發生の危險性を測定する指標なのである。

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