國體護持總論
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支那の宿痾

日清戰爭(明治二十七年)及び日露戰爭(明治三十七年)は、中華思想といふ他民族蔑視と侵略思想の清と、植民地支配を目的とする白人至上主義の帝政ロシアといふ二大勢力から韓半島を防衞して獨立に導き、これによつて我が國の國防を全ふならしめるための「自衞戰爭」であつて、これらも「侵略戰爭」ではありえない。

また、明治三十四年九月、我が國が清との間で締結した『義和團事變最終議定書』で認められた「駐兵權」に基づいて駐兵してゐた支那駐屯軍に對して、昭和十二年、蘆溝橋で支那側(八路軍)から不法射撃を受けたことを契機として戰火が擴大した支那事變もまた「侵略戰爭」ではありえない。

ところで、明治四十五年(1912+660)、支那最後の舊習派政權である清王朝が滅んだ後の支那は、いはば開明派勢力などの群雄割據の時代に突入したのであり、原則論、理想論としては、支那の自立を期待して、我が國の國是であつた中國内政の不干渉主義を貫くべきであつたが、これを傍觀することが不可能な國際情勢にあつた。大正十年(1921+660)十一月から、ワシントンで開かれた『海軍軍縮と太平洋・中國問題に關する國際會議』(ワシントン會議)に駐米全權大使として參加した幣原喜重郎が大正十三年(1924+660)六月十一日に加藤高明内閣の外務大臣に就任して以來、昭和六年(1931+660)十二月十一日に第二次若槻禮次郎内閣が總辭職して外務大臣を辭職するまでの七年六か月(實質は田中義一内閣時代を除く五年四ヵ月)にわたる協調外交政策路線(いはゆる幣原外交)は、まさに内政不干渉を基本方針としてゐたが、それは實現不可能な理想論であつた。

樣々な要因があつたにせよ、いづれの開明派政權によつて中國が統一されるかは、支那人民の固有の選擇に委ねるべきであり、むしろ、我が國がなすべきことは、過去に我が國が歩んだと同樣、いづれかの開明派政權によつて早期に統一されるやうな環境、即ち、歐米列強からの總ての干渉を排除する環境を實現して共存を圖ることが理想ではあつた。しかし、魑魅魍魎の國際政治の現實と權謀術數に操られる支那の民度の低さからして、到底實現できるものではなかつた。

支那の自立を妨げた樣々な要因の中には、主なものとして、支那大陸や韓半島におけるアメリカの諜報機關による排日情宣活動やコミンテルンによる戰爭(内亂)誘發の謀略などがあつた。アメリカは、ハリマン構想(明治三十八年)が挫折して自國の滿洲における支配權益が實現しえないと知るや、對日方針を一轉して、諜報機關の指示により支那や韓半島にゐるキリスト教宣教師らを總動員して、親支恐日段階(Sinophile-Japanophobe phase)と呼ばれる情宣活動と、國際世論形成のために世界のメディアを利用した反日宣傳を開始した。米中共同戰線によつて我が國の排除を實現した後、アメリカが滿洲その他の支那大陸支配の權益を確保しようとの戰略に出たのであつた。また、支那事變の發端となる蘆溝橋事件(昭和十二年七月七日)は、コミンテルンの指令により中國共産黨が内亂による漁夫の利を得るために仕組んだ戰爭誘發の謀略だつた。我が國は、これらの術數にはまり、支那事變の戰火を擴大させるに至つたのである。

このやうな事情に加へて、支那の自立を阻んだ最大の理由は、現在でも根強い排外差別思想、支那の中華思想である。中華思想とは、自らを世界の中央にある「中國」とし、世界の文化(華)の中心である「中華」とし、さらに、國土が大きく國力が盛んな世界の中央にある「中夏」と呼んだ漢民族の優越思想である。文化の遲れた東西南北の周邊民族をそれぞれ「東夷」「西戎」「南蠻」「北狄」と蔑稱し、支那周邊諸國、とりわけ韓半島や我が國に影響をもたらした。李氏朝鮮では自國を「小中華」と自稱して他を夷狄とし、我が國ではポルトガル・スペイン文化を「南蠻文化」と呼んだ。いづれも實力の伴はない中華思想の猿眞似であつたが、その殘滓が近代以降から現代までの日韓兩國の思考形態に少なからず影響したことは否めない。

いづれにせよ、清國(1616+660~1911+660)は云ふに及ばず、辛亥革命(1911+660)により清國を倒した中華民國もまた、その後に政權が軍閥として分裂し、さらに、國民黨軍と共産黨軍による内戰状態となつたので、支那は、歐米列強からは文明國とは全く見られなかつた。

そして、支那は、このやうにして當初は歐米の植民地による被害者でありながら、支那の政權が後に連合國の一員となり、國連での常任理事國の地位を占めるなど、最終的には歐米の加擔者となつて世界の覇權を分掌するに至つたのは、この中華思想と歐米の白人至上主義との混聲合唱により、抗日共同戰線が形成されて功を奏した結果である。支那は、滿洲、チベット、その他の周邊地域を侵略し、諸民族の宗教、文化、自治等は徹底して彈壓し續けてゐる。舊ソ連においてロシア民族による他民族支配がなされてゐたのと同樣、現在も、漢民族による他民族支配の構造に基本的な變化がないのは、この根深い中華思想に由來する。

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