國體護持總論
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著書紹介

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昭和二十年十月

一日、GHQは、『郵便檢閲に關する覺書』を公布して、郵便物の檢閲を命令し、『連合國、中立國、敵國の定義に關する覺書』を通達。GHQ/USAFPACが廢止される(翌二日、GHQ/SCAPが設置)。

同日、朝鮮、臺灣など舊併合地出身者が日本國籍から離脱。

同日、終戰連絡事務局官制が改正公布され、この改正により、外務大臣の所管下で各省の連絡緊密化をはかつた。

同日、フランス人ジャーナリストのロベール・ギラン、『ニューズウィーク』特派員のハロルド・アイザックら三人が米軍將校の制服を着て僞裝し、德田球一らが收容されてゐる府中刑務所内の豫防拘禁所を訪問して德田らと會見。そのときの樣子をギランは次のとほり書いてゐる。

「全部の人間が、十五人くらいもゐただらうか、悦びと感激の無我夢中の狂亂とでもいつたものにとりつかれて、私たちをめがけて飛びついてきた。英語で叫ぶ聲が聞こえた。『ぼくたちは共産黨員だ……ぼくは德田だ、ぼくは德田だ』。朝鮮人の顏をした二人の男が、ベンチの上に立ちあがつて、インターナショナルを歌つてゐた。痩せた顏つきをした一人の囚人が英語で話しかけてきた。『やつと來てくれましたねぇ。何週間も待つてゐました』。それが志賀だつた。德田は私に話かけて、本當とは思へないやうな次の言葉をいつた。『ぼくはこの刑務所の扉が開くのを十八年待つてゐた』。囚人のうち數人は顏を涙でぬらしてゐた。德田はアイザックの方にふりむいて、彼を腕のなかに抱きしめて、『これでぼくたちは安全です。救はれました』といつてゐた。共産主義者がアメリカ人を抱擁するのは、私がいままで見たことのない光景だつた。こうした興奮がやつとおさまり、囚人たちが跳ねたり、踊つたり、叫んだり、私たちの制服を撫でさすつたり、うれし涙を流したりするのがやつとすむと、わたしたちは一同を監房から出てこさせた。看取の群れをかきわけて、私たちは刑務所の事務所まで行列を作つて進み、早速『記者會見』をひらいた。」(文獻78)

二日、連合國軍最高司令官總本部(GHQ/SCAP)が設置される(東京・第一生命ビル)。

同日、日本側に祕匿して、一般命令第四號『ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム』を發する(その命令の存否については異論がある)。

四日、GHQは、『政治的・市民的及び宗教的自由制限の撤廢に關する覺書』(自由指令。SCAPIN93)、『政治警察廢止に關する覺書』を發令し、政治犯・思想犯の即時釋放(対象者約三千人)、治安維持法や國家保安法などの治安法規の廢止、特高警察など一切の秘密警察機關の廢止、檢閲などを營む關係機關の廢止、天皇制批判の自由を指示した上、絶對主義天皇制批判者への治安維持法適用と處罰を明言した内務大臣山崎巖、警保局長、警視總監、特高警察官などの罷免を要求(対象者約五千人)。東久邇宮内閣はこれを不信任と受け翌五日總辭職。

同日、近衞文麿副總理格國務相がマッカーサーと會談し、マッカーサーから憲法改正を命ぜられ、さらに會談に同席したGHQ政治顧問アチソン(國務省代表資格)との連絡を命ぜられる。

五日、前日四日の覺書の實行は不可能であるとして、東久邇宮稔彦内閣が總辭職する。豫防拘禁所に收容されてゐる政治犯の外出が自由となる。

六日、政府は、德田球一、志賀義雄ら日本共産黨黨員十六名の釋放許可する。

八日、近衞文麿國務大臣は、GHQ政治顧問アチソンと非公式に會談し、十二項目に亘る憲法改正の具體的指針を受けることになる。それは、①衆議院の權威、特に豫算に對する權威の增大、②貴族院の拒否權の撤回、③議會責任原理の確立、④貴族院の民主化、⑤天皇の拒否權廢止、⑥天皇の詔敕、命令による立法權の削減、⑦有效な權利章典の規定、⑧獨立な司法府の設置、⑨管理の彈劾ならびにリコールの規定、⑩軍の政治への影響抹殺、⑪樞密院の廢止、⑫國民發案および一般投票(リファレンダム)による修正の規定、の十二項目である。

同日、GHQは、東京五紙(朝日、毎日、讀賣、東京、日本産業)に新聞事前檢閲を開始する(大阪は同月二十九日)。

九日、幣原喜重郎内閣が成立。

十日、松本烝治國務相は、閣議で幣原喜重郎首相へ「憲法改正の必要性」について打診する。

同日、德田球一、志賀義雄ら日本共産黨員の政治犯十六名が府中刑務所内に豫防拘禁所から釋放される。釋放された政治犯は合計で約三千人。

十一日、マッカーサーは、幣原喜重郎首相に憲法改正を迫るとともに「五大改革」を口頭で指令する。五大改革指令とは、①女性の解放と參政權の授與、②勞働組合組織化の奬勵と兒童勞働の廢止、③學校教育の自由化、④祕密警察制度と思想統制の廢止(政治犯の釋放、特別高等警察廢止、治安維持法廢止、治安警察法廢止)、⑤經濟の集中排除と經濟制度の民主化(財閥解體、農地改革)の五つであつた。

同日、田付景一外務省條約局第二課長兼第一課長が「帝國憲法改正問題私案」を提出し、外務省は『憲法改正大綱案』をまとめる。

十二日、松本烝治國務相は、閣議で近衞文麿による憲法改正作業を批判する。

同日、幣原喜重郎首相は、マッカーサーと會談し、近衞文麿が内大臣府御用掛に就任する。

十三日、閣議において憲法改正のための研究開始を決定する。そのために憲法問題調査委員會(委員長・松本烝治國務大臣)の設置を決定。幣原喜重郎首相と松本烝治國務相は、近衞文麿内大臣府御用掛と會見し、内大臣府の憲法改正作業が、内閣權限に牴觸する越權行爲であると指摘する。

同日、佐々木惣一京大教授(憲法學)が内大臣府御用掛に就任。

同日、新聞各紙が憲法改正に關する記事を掲載。各紙記事の題目は、『朝日新聞』が「欽定憲法の民主化」、『毎日新聞』が「憲法改正の緊急性」、『讀賣新聞』が「憲法の自由主義化」であつた。

十五日、近衞文麿内大臣府御用掛は、外國マスメディアに對し、憲法改正構想について會見を開く。

同日、治安維持法の廢止。

同日、國内の皇軍の武裝解除を完了。

十六日、宮澤俊義東大教授(憲法學)が、『毎日新聞』上で内大臣府の憲法改正作業を批判。元東大教授の蝋山政道(行政學)が、『毎日新聞』上で憲法改正が時期尚早であると主張。

十七日、米國務省は、GHQ政治顧問アチソンに訓令を通知。この訓令により、憲法改正の基本的事項のアウトラインを示す。その要旨は、①代議制の充實と責任政治の確立、②天皇制を存置しない場合における豫防機構(constitutional safeguards)として、選擧制國會の完全支配、基本的な公民權の保障及び明示の委任權限に基づく國家元首の行動監視、③天皇制を存置する場合における豫防機構(constitutional safeguards)として、天皇に助言と補佐する内閣責任制度、代議制立法部による議院内閣制、貴族院及び樞密院による立法に對する再議權及び拒否權の否定、内閣による天皇の憲法改正權の制約、立法部の随時集會制の確立、將來復活しうる軍隊を所管する大臣の資格の文民制、統帥部の獨立の否定、といふものであつた。

十八日、松本烝治國務相が新設の「憲法問題調査委員會」の基本的性格を記者團に發表。

十九日、宮澤俊義が、『毎日新聞』上で憲法改正問題に再度論及する。

二十日、美濃部達吉東大名譽教授が、『朝日新聞』上で「憲法改正不急論」を主張。美濃部部達吉の論説は二十二日までの三日間連載され、この中で美濃部は、解釋と運用により帝國憲法の民主化は可能であることを力説し、徒に憲法改正を急ぐべきでないと主張した。  同日、日本共産黨が機關紙「赤旗」再刊。

二十一日、近衞文麿内大臣府御用掛が外國マスメディアと會見し、その會見の場で「天皇の退位問題」、「GHQへの新憲法の提出」に關する發言を行ふ。

同日、佐々木惣一内大臣府御用掛は、『毎日新聞』上で内大臣府憲法改正作業に對する批判に反論した。

二十二日、GHQは、軍國主義追放の教育制度政策として『日本教育制度ニ對スル管理政策』(資料二十七)といふ覺書を公布。

二十三日、幣原喜重郎首相は、近衞文麿内大臣府御用掛と會見し、二十一日の發言に抗議。

同日、讀賣新聞社從業員が社内民主化を決議。第一次讀賣爭議へ發展する。

二十四日、松本烝治國務相は、近衞文麿内大臣府御用掛と會見し、二十一日の發言に抗議。

同日、GHQは、『信教の自由に關する覺書』を公布。

同日、國連憲章が發效し國際連合が正式發足する。

二十五日、『憲法問題調査委員會』(通稱「松本委員會」、委員長・松本烝治)が設置される。

同日、近衞文麿内大臣府御用掛が新聞記者團と會見し、二十一日の發言意圖を再説明するとともに、佐々木惣一内大臣府御用掛の反論を擁護する。

同日、GHQ政治顧問アチソンが高木八尺東大教授(米國憲法學・外交史)と懇談し、八日の近衞文麿に對する十二項目示唆に關する補足説明を行ふ。

同日、GHQは、『日本の在外大使公使館の資産、文書の引き渡しならびに在外外交代表召還に關する覺書』を公布して、日本政府の外交權を停止する。

二十七日、米國政府は、極東委員會付託條項修正草案を英國、ソ連、中華民國へ通達。

同日、憲法問題調査委員會の第一回總會が開催され、委員會設置の趣旨説明が行はれ、松本委員長は、同委員會の使命について「憲法改正案を直ちに作成するといふことでは無く」と述べた。同委員會は、以後翌年二月二日まで七回開催された。

三十日、極東諮問委員會(FEAC)の第一回會合がソ連參加拒否のまま開催。以後、十二月二十一日までの間に十回開催される。

同日、GHQは、『教育及ビ教育關係官ノ調査、除外、認可ニ關スル件』(資料二十八)といふ覺書を公布し、軍國主義的教員の追放を指令する。

同日、同盟通信社が解散し、これにより、十一月一日に共同通信社と時事通信社が發足する。

三十一日、同月二十五日の覺書により、日本の在外公館による外交活動が全面停止される。

同日、GHQは、『若干の會社の證券の賣買・移轉に關する覺書』を公布し、三菱本社など十五會社の一切の證券凍結を指令する。

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