國體護持總論
トップページ > 著書紹介 > 國體護持總論 目次 > 【第二巻】第二章 大東亞戰爭と占領統治 > 第五節:占領統治の經緯とその解説

著書紹介

前頁へ

昭和二十一年一月

一日(元旦)、昭和天皇の『新日本建設ニ關スル詔書』が發布。

この詔書には公用文としての「題名」はなく、「件名」としては、「新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ」(官報目録)及び「新年ヲ迎フルニ際シ明治天皇ノ五箇條ノ御誓文ノ御趣旨ニ則リ官民擧ゲテ平和主義ニ徹シ、新日本ノ建設方」(法令全書)である。これを「人間宣言」、「天皇人間宣言」、「神格否定宣言」などと稱するのは、GHQのプロパガンダによるものである。

それは、この詔書の「朕ト爾等國民トノ間ノ紐帶ハ、終始相互ノ信賴ト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ。」を根據とするものであるが、ここには「人間」なる言葉は一切ない。大正十一年一月に内務省神社局が刊行した『國體論史』、文部省が昭和十二年五月に編纂發行した『國體の本義』、同じく昭和十六年七月に編纂した『臣民の道』と比較しても、この詔書は異質のものではない。つまり、『國體の本義』に、「臣民が天皇に仕へ奉るのは所謂義務ではなく、又力に服することでもなく、止み難き自然の心の現れであり、至尊に對し奉る自らなる渇仰隨順である。我等國民は、この皇統の彌々榮えます所以と、その外國に類例を見ない尊嚴とを、深く感銘し奉るのである。」とあるのと同樣に、君臣の紐帶が「自然の心の現れ」であつて單なる觀念に基づくものではないといふことを示されたことに他ならないのである。「單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」といふのは、神話と傳説を肯定した上で、これのみならず「自然の心の現れ」によるものであることを意味してゐるからであり、現御神(現人神)であるとすることに解釋上の異論があるとしても、天皇は「皇孫」(すめみま)であり「神孫(神胤、神裔)」であることに變はりはない。この詔書は、神胤、神裔であることを否定してゐない。それゆゑに、人間宣言ではない。この詔書の冒頭に、慶應四年の五箇條の御誓文があることは、明治天皇が神胤であり、昭和天皇もまた同樣であることを明確にした上で、我が國がポツダム宣言受諾の前後においても國體の變更がなかつたことを明らかにしたものなのである。

この國體不易は、おほみうた(大御歌)にも現れてゐる。ポツダム宣言受諾時の「國がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり」と、昭和二十一年の歌會始に賜つた「ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ」とは、一揃ひの御製である。

二日、マッカーサーが前日の詔書を支持する声明を出す。

これは、詔書發布の強要をカモフラージュするためであり、GHQは、これ以外にも、御眞影と教育敕語の否定をも要求してゐた。

三日、米陸軍省は、マッカーサーの『日本管理に關する報告書』を發表。その内容は、日本の民主化と日本人再教育についてである。

四日、松本烝治が『憲法改正私案』(いはゆる甲案)を脱稿。

同日、GHQは、軍人、戰犯、軍國主義者、超國家主義者、同傾向政治家など極めて廣範圍に及ぶ「公職追放」を目的とする『好ましからざる人物の公職よりの除去に關する覺書』(公職追放指令)と、「超國家主義團體」の解體などを指令した『ある種の政黨、協會、結社、その他團體の廢止に關する覺書』を公布した。これにより、思想と職業等による差別的制限選擧によつて「日本國國民ノ自由ニ表明スル意思」を反映しない政府と議會が生まれることになる。

五日、朝日新聞は、前日の公職追放指令による國政への影響を報道した。それによると、衆議院は七、八割の更新が豫測され、貴族院については該當者が八十八人にのぼるとされた。

七日、松本烝治は、『憲法改正私案』を天皇に奏上。

同日、「國務・陸・海調整委員會」(SWNCC)は、『日本統治體制の改革』を決定。

同日、共産黨は、一月四日のマッカーサーの公職追放指令を全面的に支持する聲明を出してGHQ權力に迎合し、その中で「この際大元帥としての天皇が侵略戰爭の最高責任者として、その責任を問われるべきことを主張する。」と述べ、「日本國國民ノ自由ニ表明スル意思」を否定した差別的制限選擧の實施を全面的に支持した。

九日、GHQは「日本教育家ノ委員會ニ關スル件」を發令。これは、二十九名の委員を選任してGHQ主導の教育改革(教育解體)を斷行する目的で設置されたものであり、同年二月七日に、多くのキリスト者が委員として選任され、同年八月には「教育刷新委員會」と改稱されて、昭和二十三年六月十九日の衆參兩議院での教育敕語等の排除・失效決議の伏線となつたものである。

十日、國連第一回總會がロンドンで開催(二月十四日まで。五十一か國參加)。

同日、支那では、國民黨と共産黨が内戰停止に合意する。

十二日、GHQは、政府に對して總選擧の實施を許可し、その實施時期は三月十五日以降にすることを命令する。

同日、野坂參三が支那・新彊から歸國し、代々木の日本共産黨本部に入る。

中國共産黨やアメリカ共産黨などと連携してきた野坂が主張する「占領下平和革命論」がその後の「二・一ゼネスト」と日本共産黨の「五十年問題」の發端となる。

十三日、幣原喜重郎改造内閣が發足。これは、昭和二十年十月九日に成立した幣原内閣の閣僚中、五人が公職追放該當者となつたことから、總辭職か内閣改造かを迫られ、結局は内閣改造となつたものである。松本烝治國務大臣も、かつては滿鐵の監査役であつたとして公職追放該當者となつたが、同人が憲法改正について餘人を以て代へられないといふ理由で、GHQに暫定的特免の申請をなし、マッカーサーにより選擧後までの在職が許可されて留任したのである。

十六日、GHQは、警察官の拳銃携帶と射殺權を條件つきで許可する。

十九日、マッカーサーは、極東國際軍事裁判所條例を承認し公布する。

二十一日、GHQは、『公娼容認の法規撤廢の覺書』を提示。

同日、帝國憲法改正私案としての『大日本辯護士連合會案』發表。

二十三日、神社本廳が設立される(このとき神社數は全國で十一萬社)。

同日、幣原喜重郎は、記者會見で立憲君主制維持の必要性を強調する。

二十四日、GHQは、公娼を認めるすべての法規を撤廢する。

同日、幣原喜重郎は、マッカーサーと會談し、戰爭放棄條項について話し合ふ。マッカーサー戰爭回顧録などによると、戰爭放棄は幣原の發案であつたとするが、その眞意と具體的な内容は定かではなく信憑性は低い。假に、誰の發案であつたとしても、幣原がマッカーサーとの間で、軍事占領下での憲法改正に關する發案が改正大權を私議するといふ大罪であるにもかかはらず、これを共謀して犯したことに變はりはない。

二十五日、マッカーサーが天皇の戰犯除外に關してアイゼンハワー陸軍參謀總長宛に以下の次の書簡電報を送る。

「指令を受けて以來、天皇の犯罪行爲について祕密裏に可能なあらゆる調査をした。過去十年間日本の政治決定に天皇が參加したといふ特別かつ明白な證據は發見されなかつた。可能な限り完全な調査から、私は終戰までの天皇の國事關連行爲はほとんど大臣、および天皇側近者たちの進言に機械的に應じてなされたものであつたとの強い印象をうけた。もし天皇を戰犯として裁くなら占領計畫の重要な變更が必要となり、そのための準備が必要となる。天皇告發は日本人に大きな衝撃を與へ、その影響は計りしれないものがある。天皇は日本國民統合の象徴であり、彼を破壞すれば日本國は瓦解するであらう。事實すべての日本人は天皇を國家元首として崇拜してをり、正否は別としてポツダム宣言は天皇を存續させることを企圖してゐると信じてゐる。だからもし連合國が天皇を裁けば日本人はこの行爲を史上最大の裏切りと受けとり、長期間、連合國に對し怒りと憎惡を抱きつづけるだらう。その結果、數世紀にわたる相互復讐の連鎖反應が起こるであらう。私の意見では、すべての日本人が消極的ないし半ば積極的に抵抗し、行政活動のストップ、地下活動やゲリラ戰による混亂が引き起こされるであらう。近代的民主的方法の導入は消滅し、軍事的コントロールが最終的に停止されたとき共産主義的組織活動が、分斷された民衆の間から發生するだらう。このやうな状態に對處する占領問題は今までのそれとは全く異なるものである。これには少なくとも百萬人の軍隊と數十萬人の行政官と戰時補給體制の確立を必要とするであらう。もし天皇を戰犯裁判にかけるとすれば前記のやうな準備が不可缺であることを勸告する。」

二十六日、日本共産黨内で開催された野坂參三歡迎會において、野坂は「愛される共産黨にならなければならない」と主張し、その後、この「愛される共産黨」がキャッチフレーズとなる。

二十八日、GHQは、映畫檢閲に關する覺書を發令し檢閲を始める。

同日、帝國憲法改正私案としての『高野岩三郎案』、『里見岸雄案』發表。

二十九日、GHQは、連合軍最高司令官訓令(SCAPIN)第六百七十七號により、竹島、琉球、千島(國後、擇捉兩島を含む)、齒舞群島、色丹島、南樺太などの領域における我が國の行政權の行使を正式に中止する。

同日、閣議で松本案の審議開始を決定し(審議は二月四日まで)、總選擧を三月三十一日に實施し、特別議會を四月十日ころとすることに決定。

三十日、松本烝治は、閣議において、憲法問題調査委員會の審議經過とともに『憲法改正私案』(甲案)について説明し、必要に應じて乙案にも觸れながら、甲案(小改正案)と乙案(大改正案)の二案の逐條的説明を行ふ。いづれも「松本四原則」に基づく改正案であり、甲案は、乙案と比較して、より小範圍の改正案に留めたものである。

同日、政府は、一月四日の公職追放指令に基づく「ポツダム命令」として、來るべき選擧に備へて、『衆議院議員ノ議員候補者タルベキ者ノ資格確認ニ關スル件』(内務省令昭和二十一年第二號)を公布施行し、恣意的に特定の者の議員を剥奪して民意の反映を妨げた。

三十一日、GHQは、ソ連と中華民國は日本の占領統治には不參加であることを發表。

同日、GHQは、憲法改正問題に關する見解を發表。

同日、英連邦の日本占領に關する米豪政府間協定締結。

続きを読む