國體護持總論
トップページ > 著書紹介 > 國體護持總論 目次 > 【第二巻】第二章 大東亞戰爭と占領統治 > 第五節:占領統治の經緯とその解説

著書紹介

前頁へ

昭和二十一年七月

一日、アメリカが舊南洋諸島ビキニ環礁で四基目の原子爆彈を實驗爆發。

同日、衆議院憲法改正特別委員會の審議が開始される。政府の細目説明と總括的質疑が七月十日まで行はれ、翌七月十一日から逐條審議となり、七月二十三日の第二十回委員會で質疑は終了した。その後、修正案懇談のための小委員會(祕密懇談會)が設置され、七月二十五日の第一回から八月二十日の最終回まで十四回の會合の後、八月二十一日に特別委員會が再開され採決がなされる。その詳細は、引用文獻等に委ねるが、つまるところ、これら一連の審議といふのは、いはば「翻譯委員會」にすぎなかつた。英文と邦文との對比表現、逐條解釋、字句の選定と訂正、各條項の意義と各條項間の整合性などの檢討といふ事務的作業が主な仕事であり、本質論に迫るものや本會議での質疑における爭點を越えるものは皆無であつた。また、本質的な部分、GHQの指示があることを仄めかしたと推測される部分については速記に留めず、あるいは速記録から削除されてゐる。

二日、GHQは、凍結中の國防獻金七億圓を社會救濟費に使用するやうに指令。

同日、極東委員會(FEC)特別總會が開催され、『新日本憲法の基本諸原則』を全會一致で採擇した。その主な内容としては、①主權は國民に存することを認めなければならないこと、②日本國民の自由に表明された意思をはたらかすやうな方法で憲法の改正を採擇すること、③日本國民は、天皇制を廢止すべく、もしくはそれをより民主的な線にそつて改革すべく、勸告されなければならないこと、もし、日本國民が天皇制を保持すべく決定するならば、天皇は新憲法で與へられる權能以外、いかなる權能も有せず、全ての場合について内閣の助言に從つて(in accordance with)行動すること、④天皇は帝國憲法第十一條、第十二條、第條十三條及び第十四條に規定された軍事上の權能をすべて剥奪されること、⑤すべての皇室財産は國の財産と宣言されること、⑥樞密院と貴族院を現在の形で保持することはできないこと、⑦内閣總理大臣その他の国務大臣は全て文民でなければならないこと(文民條項)、などである。

四日、フィリピンがアメリカから獨立(獨立宣言)。

同日、衆議院で衆議院憲法改正特別委員會の第五回目の審議がなされたが、GHQは、我が政府に對し、GHQの憲法審議において、これまで指示した修正不許の事項や制限事項について原則として變更がないことを傳へた。

六日、國名を「大日本帝國」から「日本國」へ改稱する。

同日、極東委員會(FEC)は、委員會決定をマッカーサーに履行するやう指令。

十日、ケーディスは、政府關係者から議會報告を受け、さらに改正點に關する樣々な指示を出した上、「主權在民」を明記することなどを命ずる。

十二日、衆議院帝國憲法改正案委員會(特別委員會)において、及川規委員(社會黨)は、國體とは「其ノ國家ノ最高ノ意思ヲ構成スル自然人ノ意思ガ誰ノ意思カ、國民全體ノ意思カ或ハ君主一人ノ意思カ」として、國體と主權とを混同した見解(主權國體)によつて質問したことに對する金森德次郎の答辯は、「我々ノ奥深ク根ヲ張ツテ居ル所ノ天皇トノ繋ガリト云フモノヲ基本トシテ、ソレガ存在シテ居ル、是ガ我々ノ信ズル國體デアル」「今仰セニナリマシタヤウナ國體ト云フ考ヘ方、少クトモ法律學者ノ相当ノ部分ニアツタコトハ明カニソレヲ認メマス、併シ日本ノ國民全體ガ法律ヲ知ツテ居ル譯デモナク法律學者ノ言葉ニ共鳴スル譯デモナク、必ズシモ斯樣ナ意味ニ於キマシテ、國體ヲ理解シテ居ツタカト云フコトハ頗ル疑ハシイ・・・ソコデ一番物ノ根本ニナルノハ私共ノ心デハアルマイカ」といふものであり、主權國體概念を否定して、それを政體とし、國體は心の問題であつて國體の變更はないといふ詭辯を通し續けるのである。

十五日、ケーディスは、憲法改正事項に關して、政府關係者と協議して指示を出す。

十七日、金森德次郎憲法問題專任國務相は、總理大臣官邸にてケーディスと會談。主權在民の明記など憲法の文言に對する具體的な指示を受ける(第一回目のケーディス・金森會談)。このとき、金森大臣は、憲法改正案の性質が帝國憲法との比較において次のとほりであると認識してゐることを説明した(金森六原則)。

この「金森六原則」とは、①從來の天皇中心の基本的政治機構は新憲法では根本的に變更されてゐる(從來の天皇中心の根本的政治機構を以て我が國の國體と考へる者があるが、之は政體であつて、國體ではないと信ずる)、②現行憲法(帝國憲法)に於て國民意思は天皇により具體的に表現されるが新憲法では然らず(新憲法では國民意思は主として國會を通じて具體的に表現される)、③天皇は新憲法に於ては象徴に止まる。象徴の本質は天皇を通じて日本の姿を見ることが出來ると云ふことに在るのであつて、國家意思又は國民意思を體現すると云ふやうな意味をもたない、④現行憲法(帝國憲法)では天皇は何事も爲し得る建前になつてゐるが、新憲法では、憲法に明記された事項以外は何事も爲し得ない(法律を以て其の權限を追加することも絶對に出來ない)、⑤現行憲法(帝國憲法)に於ける天皇の地位は天皇の意思又は皇室の世襲的意思に基くものと一般に考へられて居たが、新憲法に於いては、天皇の地位は全く國民主權に由來する、⑥政治機構とは別個の道德的、精神的國家組織に於ては天皇が國民のセンター・オブ・デヴォーション(center of devotion)であることは憲法改正の前後を通じて變りはない(國體が變らないと云ふのは此のことを云ふのである)、との六項目のことである。

二十二日、東京裁判で支那側の初證人として元北京市長が證言する。

二十三日、衆議院が、憲法改正小委員會を設置(審議は二十五日から八月二十日まで)。

同日、ケーディス・金森會談(第二回)。ケーディスは金森からの審議過程の報告を受け、條項に關する詳細な指示をする。「主權在民」の明記を再度指示する。

同日、GHQは、制限會社による他の會社の證券の保有制限・役員兼任禁止などを指令。

同日、GHQの言論統制と檢閲を容認することと引き換へに存續を許されたマスメディア各社によつてGHQ檢閲を下請けする傀儡團體「社團法人日本新聞協會」が設立(現在も存續)。

二十五日、衆議院憲法改正特別委員會の小委員會(委員長・芦田均)第一回會合が開かれる(祕密懇談會)。そして、八月二十日の最終回までの議事は原則として速記に付されたが、この速記録は、印刷されないまま衆議院事務局に保管され、五十年目の平成七年になつてやうやく公開された。國民主權の占領憲法であれば、むしろ當初から公開されて然るべきなのに、非公開とされたのは明らかに矛盾がある。

二十六日、東京裁判で、南京大虐殺事件(南京事件)の被害者が證言。

同日、衆議院憲法改正特別委員會の小委員會第二回會合。五十年後に公開されたこの委員會の會議録によれば、「此ノ小委員會ノ議事ヲ非公開トセシハ、議事ノ重要性ト『デリケート』ノコトニ鑑ミテ、或ル段階ニ達シテ外部ニ發表スルコトガ出來ルヤウニナルマデハオ互ヒニ愼重且ツ『デリケート』ニ取扱フト云フ爲デアツタト理解シテ居ルノデアリマス」(鈴木義男委員)といふ認識が支配してゐた。この「デリケート」といふのは、GHQからの要請とそれを拒否できないといふ事情のことである。さらに、「相當英文ト云フモノガ重要ナ部分トシテ殘ルト思ヒマス、『マッカーサー』ノ方デモ、此ノ前文ニハ相當筆ヲ下シテ居ルト云フコトヲ聞イテ居リマス」、「併シ事實ニ於テハ既ニ『マッカーサー』ノ方デ筆ヲ入レ、練ツタモノデスカラ、之ヲ無視スルコトハ出來ナイト云フコトガ最近段々分ツテ參リマシタ」(笠井重治委員)といふ認識からして、マッカーサー草案を忠實に翻譯することが小委員會に課せられた使命であつたことが明らかとなつてゐる。

二十九日、ケーディス・入江會談。ケーディスは、入江敏郎内閣法制局長官に對し、これまでのGHQの指示内容を確認した上で再度具體的な指示を出す。

同日、衆議院憲法改正特別委員會の小委員會において、國籍條項(第十條)が挿入される。

続きを読む