國體護持總論
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昭和二十一年六月

一日、軍人、軍屬の恩給、年金、退職手當金等の支給停止の指令。

同日、民主主義科學者協會第二回總會開催され、憲法改正審議は帝國議會ではなく、特別の機關を設置して行ふべき旨を決議。

二日、極東委員會(FEC)は、天皇制維持案の確認(米主張の提案)を行ふ。

同日、イタリアでは、國民投票で王政の廢止を決定。

三日、樞密院は、天皇臨席の下で本會議を開催し、内閣憲法改正案の諮詢案を可決(美濃部達吉顧問官のみの反対)。

同日、十財閥の家族の個人的な金融活動の制限指令が發令。

四日、極東委員會(FEC)は、天皇制の存否に關して初めて討議に入る。

五日、日本ローマ字會は、漢字全廢推進を聲明。

八日、樞密院は、『内閣憲法改正草案』を無修正可決。

十二日、『占領軍の占領目的に有害な行爲に對する處罰等に關する件』公布。

同日、對日理事會(ACJ)が食料對策のため日本の漁區擴張を決定。

同日、極東委員會(FEC)は、「對日中間賠償計畫」を發表。

同日、英が對日理事會(ACJ)に農地改革案を提出。

十三日、イタリアが共和國宣言(王制廢止)。

十四日、GHQは、四月十三日付の「マッカーサー拒否通知」を極東委員會(FEC)に通告。

十五日、第一復員省と第二復員省が統合して復員廳となる。

十七日、對日理事會(ACJ)は、農地改革の徹底化を勸告。

十八日、キーナン極東國際軍事裁判所米國主席檢事は、ワシントンで「天皇を(戰爭犯罪人として)訴追しない」旨を言明。

同日、ソ連が極東委員會(FEC)に農地改革案を提出。

十九日、「憲法竝ニ諸法制ノ整備等ニ關シ輔弼ノ完璧ヲ期スタメ」として敕令の一部改正があり、閣僚の定員を一人增やして憲法問題專任國務大臣を置くこととなり、同國務大臣に金森德次郎が就任。

金森德次郎は、昭和九年の岡田啓介内閣における法制局長官であつたが、法制局參事官時代の著書『帝國憲法要綱』が天皇機關説によるものであるとの批判を受け、昭和十一年に辞任し、そのまま敗戰を迎へた人物である。辯舌に長け、比喩や機智を驅使し、巧みな云ひ廻しで論點をはぐらかして煙りに卷く詭辯の天才であり、その後の憲法審議における答辯回數は千三百六十五回を數へ、一回の最長答辯は一時間半に及んだほどの饒舌家であつた。

二十日、第九十回帝國議會開院。五月十六日に四十日の會期で召集されたが、政局の事情から大幅に遲れて、この日にやうやく開院式が行はれた。この開會院當日に、GHQ案をもとにした『内閣憲法改正草案』が衆議院に提出される。

二十一日、貴衆兩院で吉田首相の施政方針演説が行はれ、憲法改正に觸れた。そして、衆議院で最初の登壇者となつた社會黨の片山哲議員は、政府が相當廣範圍に修正に應ずる用意ありや、として具體的ないくつかの質問をしたが、この質疑は議場騷然たるうちに進行して大混亂となり、吉田首相の答辯が翌日に持ち越されて散會となつた。

同日、マッカーサーは、議會の憲法審議について極東委員會が三月二十日に示した『日本新憲法採擇に關する基準』の三原則を含む聲明を發表。その『議會における討議の三原則』の要點とは、①憲法各條の審議に關し充分な時間と機會が與へられるべきこと、②帝國憲法との法的連續性が保障されること、③かかる憲章の採擇が日本國民の自由に表明した意思であることを示すこと、が絶對に必要であるとするものであつた。

同日、バーンズが、日本の軍事力解體と非軍事化に關する四か國條約構想を提唱。

二十二日、午前において貴族院における施政方針演説に對する質疑があり、まづ、山田三良議員が憲法改正問題にふれた。天皇が元首であることを明記し、第九條第二項を削除せよなどの意見を述べて政府の所見を正した。また、佐々木惣一議員からは、天皇が君主たる地位にあり、それが萬世一系の特定の血統に由來することを變更する憲法改正はできるのか、と質疑した。吉田首相は、これに對し、帝國憲法は五箇條の御誓文に基づく原則が表現されたものであり、占領憲法の趣旨と相背馳しないものであると答へた。しかし、佐々木は、帝國憲法の條項と内容を改正するについて一切限界がないとする改正無限界説を唱へる「主權論者」であり、しかも、占領開始後いち早く内大臣府御用係に就任して改正作業に手を染めた者である。それゆゑ、この質問は、果たして要望意見なのか、反對意見なのか、あるいは學問的好奇心によるものかが形式上は不明であつた。

同日、午後から衆議院において、片山哲議員の質疑に對する政府答辯が行はれ、吉田首相は、「憲法改正案ニ對シマシテハ理論的ニハ廣ク議會ニ於テ修正權ヲ認メラレテ居ルコトハ勿論デアリマス」など答へた。

しかし、これは「理論的」に誤りである。「議會ハ憲法改正案ニ對シテハ可否ノ意見ノミヲ發表スヘク之ヲ修正シテ議決スルコトヲ得サルモノト爲ササルヘカラス」(清水澄)とするのが當時の通説であり、議會に修正權を與へることは第二の發議權を認めることとなり、天皇に專屬する憲法改正の發議權を侵害することになるからである。それゆゑ、議會で修正されて成立した占領憲法は、帝國憲法第七十三條に牴觸することになる。

同日、食糧メーデーのプラカードの製作者が不敬罪で起訴されるが(プラカード事件)、のちに名譽棄損罪に訴因變更され、最後は免訴となつた。

同日、GHQは、米國など戰勝國の漁業に惡影響を與へないやう制限をしてゐた日本の漁業水域を擴張。食料確保のため、『日本の漁業及び捕鯨業に認可された區域に關する覺書』により捕鯨操業區域の擴張を許可(第二次マッカーサー・ライン)。これでも、竹島周邊海域での漁業活動は制限させられてゐた。

二十三日、吉田首相は、憲法改正案の立案に關し、貴族院での施政方針演説への質問に對して、「唯茲ニ一言御注意ヲ喚起シタイト思ヒマスノハ、單ニ憲法國法ダケノ觀點カラ此ノ憲法改正案ナルモノヲ立案致シタ次第デハナクテ、敗戰ノ今日ニ於キマシテ、如何ニシテ國家ヲ救ヒ如何ニシテ皇室ノ御安泰ヲ圖ルカト言フ觀點ヲモ十分考慮致シマシテ立案シマシタ次第デアリマス。」と答辯した。

二十四日、衆議院において、德田球一議員が演説した。これは我が議會において共産黨議員による初めての演説であつた。その中に、「この憲法において、戰爭を放棄しようとしてゐるが、今後における民族の獨立及び安全の保障をどうするか。」といふ質問もあつた。鵺の如き共産黨の現状からすれば、今昔の感がある。また、これに對する金森德次郎國務大臣の答辯は、「國内ノ治安ノ維持ニ關スル問題ハ、自ラソレ以外ニ於テ方法ガアルモノト考へて居」ると答へたが、これも隔世の感がある。

二十五日、『内閣憲法改正草案』を衆議院本會議に上程(本會議は同月二十八日まで)。その開會の冒頭に志賀義雄議員(共産黨)から議事を延期すべしとの動議が提出される。理由は、德田議員の演説内容と同樣に、改正案が國民に周知徹底されてをらず改正の時期は熟してゐないことを理由とするものであつたが、この動議は起立少數で否決された。吉田茂首相は、憲法改正案の提案理由の演説を行ひ、憲法改正が、ポツダム宣言第十項後段の「日本國國民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に對する一切の障礙を除去すべし。言論、宗教及思想の自由竝に基本的人權の尊重は、確立せらるべし。」と、バーンズ回答の第五段落の「最終的ノ日本國政府ノ形態ハポツダム宣言ニ遵ヒ日本國國民ノ自由ニ表明スル意思ニ依リ決定セラルベキモノトス」に基づく義務行爲であるとするのである。ただし、前記バーンズ回答の「最終的ノ日本國政府ノ形態」との部分については、前にも觸れたとほり、昭和二十年九月四日に第八十八回帝國議會で配布された『帝國議會に對する終戰經緯報告書』にも、この部分は、「最終的の日本國政府の形態」(平假名書き)として理解されてゐたが、昭和二十一年三月五日の『憲法改正案を指示された敕語』で「日本國政治ノ最終ノ形態」と曲筆されたことを踏まへて、「日本國ノ政治ノ最終ノ形態」として説明してゐる。

そして、この提案理由の説明後に直ちに質疑に入り、二十八日までの四日間、十一人の議員が本會議における質疑を行つた。各條項に關する各論にその多くの問答が費やされ、本質論であるところの憲法改正の根據と必要性等に關するものとしては、ポツダム宣言等の降伏條項に基づく「國際關係の整理」(吉田)とか「國際信義の實行」(金森)といふ程度の答辯で濟まされてしまつた。

二十六日、衆議院は、憲法改正第一讀會を實施。

吉田茂首相は、改正憲法九條は「自衞戰爭も放棄」と言明し、國體問題についても、北昤吉議員(自由黨)の質問に對し、「皇室ノ御存在ナルモノハ、是ハ日本國民、自然ニ發生シタ日本國體其ノモノデアルト思ヒマス、皇室ト國民トノ間ニ何等ノ區別モナク、所謂君民一如デアリマス、君民一家デアリマス・・・國體ハ新憲法ニ依ツテ毫モ變更セラレナイノデアリマス」と答辯した。さらに、金森德次郎憲法問題專任國務相は、主權在民と國體護持との關係において、「主權の所在については、主權は天皇を含んだ國民全體にある。」といふ詭辯により、この種の議論の回避に成功した。これを踏まへて質問に立つた北浦圭太郎議員(自由黨)は、憲法改正案の第一條から第八條までの八か條の天皇條項が全く形骸化してをり、天皇が元首であるための實が全くないものであることを、實のならない八重の山吹の花に喩へて、「山吹ノ花、實ハ一ツモナイ悲シキ憲法デアリマス」と嘆いた。この「山吹憲法」といふ言葉は、當時かなり有名になつた。

二十七日、衆議院では、森戸辰男議員が質疑に立つた。草案の前文には、「國會に於ける正當に選擧せられた代表者を通じて」とあるが、貴族院は明らかにこのやうな性格を持つてゐないのに新憲法を審議する適格者であるのか、といふ趣旨の質疑をした。これに對し、金森大臣は、「貴族院の適格性については、二つの角度から考へなければならない。政府は現在の憲法(帝國憲法)はそのまま嚴然と存在してゐると考へる。したがつて、現行憲法(帝國憲法)第七十三條によつてのみ改正は可能である。これは國内法の立場である。國際的の立場からいへば、ポツダム宣言によつて、國民の自由なる意思の表明に從つて、國の終局的政治形態をきめなければならないことになつてゐる。この二つが調和し得るならばよろしいことになる。ポツダム宣言の要請は、この草案の前文にあるとほり、國民の正當に選擧した代表者を通じて、自由なる議決をすることにあらうと思ふ。新しい衆議院總選擧の後においては、その要素は完全に包含されてゐる。發案權は天皇にあり、貴族院も關與するが、本體において國民の總意を適切に代表する機關が含まれてゐる限り、全體の手續が適當に運用せられますならば、ポツダム宣言と相反する結果を生ずることはないと思ひます。なほ、兩院の見解不一致の場合などについての質問については、我々は今左樣な場合を豫測してお答へをすることは適當でないと考へてをります。」と答辯した。

この問題は、占領憲法の效力論と關はりがある。占領憲法を有效とする前提に立てば、「非獨立」國家の「主權」といふ矛盾を認めることになること、貴族院には代表者としての適格性かないこと、占領憲法は帝國憲法と整合しないがポツダム宣言には適合することなるらしいといふ矛盾に遭遇することになるからである。

同日、A級戰犯として起訴されてゐた元外相松岡洋右が出廷中に肺結核が惡化して死去(享年六十六歳)。

二十八日、文部省は、號令・行進・體操などを非軍事的に行ふやうに通牒。

同日、衆議院では、最後の質疑として、野坂參三議員(共産黨)が登壇した。野坂議員の質疑の中で注目すべきは次の三點である。第一に、帝國憲法第七十三條の解釋の定説では、議會は可否を決するのみで修正權がないのにこれを認めるのであれば帝國憲法に牴觸し違法であり、法的連續性は認められなくなるとする主張である。これは、最初の登壇者であつた片山哲議員の質疑を受けてのものである。第二には、戰爭を侵略戰爭と自衞戰爭とに區別し、侵略戰爭だけを放棄し、自衞戰爭は放棄しないといふ主張である。そして、第三には、改正案前文にある「國民の總意が至高なるものである」との表現とその英文のそれ(Sovereignty of people's will)とを比較して、これは「國民主權」(主權在民)を意味するものではないかとの指摘である。これに對し、吉田首相は、第一の點について、「私共ハ政府トシテ考フル所見ト議會ノ考ヘラレル解釋、此ノ兩方ニ依ツテ此ノ憲法改正ノ條項ノ根據ヲ確メタイト思ツテ居リマス」と答へるだけで回避した。次に、第二の點については、「國家正當防衞權ニ依ル戰爭ハ正當ナリトセラルルヤウデアルガ、私ハ斯クノ如キコトヲ認ムルコトガ有害デアルト思フノデアリマス。近年ノ戰爭ハ多クハ國家防衞權ノ名ニ於テ行ハレタルコトハ顯著ナル事實デアリマス。故ニ正當防衞權ヲ認ムルコトガ偶々戰爭ヲ誘發スル所以デアルト思フノデアリマス。又交戰權抛棄ニ關スル草案ノ條項ノ期スル所ハ、國際平和團體ノ樹立ニアルノデアリマス。國際平和團體ノ樹立ニ依ツテ、凡ユル侵略ヲ目的トスル戰爭ヲ防止シヤウトスルノデアリマス。併シナガラ正當防衞ニ依ル戰爭ガ若シアリトスルナラバ、其ノ前提ニ於テ侵略ヲ目的トスル戰爭ヲ目的トシタ國ガアルコトヲ前提トシナケレバナラヌノデアリマス。故ニ正當防衞、國家ノ防衞權ニ依ル戰爭ヲ認ムルト云フコトハ、偶々戰爭ヲ誘發スル有害ナ考へデアルノミナラズ、若シ平和團體ガ、國際團體ガ樹立サレタ場合ニ於キマシテハ、正當防衞權ヲ認ムルト云フコトソレ自身ガ有害デアルト思フノデアリマス。御意見ノ如キハ有害無益ノ議論ト私ハ考ヘマス。」として、自衞權及び自衞戰爭を完全に否定する見解を示した。そして、第三の點についてのまともな答辯はなく、金森德次郎も「日本國ノ憲法ハ日本國ノ文字ヲ以テ書カレ」たものが正文であると答辯するだけであつた。

同日、衆議院に帝國憲法改正案委員會(特別委員會)が設置され、『内閣憲法改正草案』は、議長指名による七十二名の委員(委員長には芦田均が互選)で審議することを付託した。

二十九日、GHQが、學校地理科目再開に關する覺書公布。これにより、地理の授業再開を許可。

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