國體護持總論
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著書紹介

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昭和二十一年五月

一日、第十七回メーデー(十一年ぶりの戰後初のメーデー)。宮城前廣場が中央會場となり五十萬人が參加。全國で百二十五萬人が參加。

三日、極東國際軍事裁判(東京裁判)が開廷。東條英機元首相ら二十八名が、A級戰犯として起訴される。

同日、GHQは、鳩山一郎の公職追放を發表する。

四日、極東國際軍事裁判(東京裁判)の日本人辯護團長に鵜澤總明が就任する。

同日、外務省は、『憲法草案要綱に關する内外の反響(その二)』を發表。

同日、鳩山一郎が公職追放される。

七日、『教職員追放令』が施行され、四十萬人を再審査する。

十三日、GHQが中間賠償取立案を決定し、賠償取立の對象として十一財閥の施設を選定。

同日、極東委員會(FEC)は、『日本新憲法採擇に關する基準』を全會一致で決定。

すなはち、『日本新憲法採擇に關する基準』とは、
「新憲法の採擇に關する基準は、憲法が最終的に採擇されたときに、事實上、日本國民の意思の自由な表現であることを確保するやうなものでなければならない。この目的のためには、次のやうな原則が守られなければならない。
a 新憲法の條項を十分に論議し、考究するための、適當な時間と機會が與へられなければならない。
b 一八八九年の憲法から新憲法への完全な法的連續性が確保されなければならない。
c 新憲法は、それが日本國民の自由意思をaffirmativelyに表明するものであることを打ち出すdemonstrateやうな方法で採擇されなければならない。」
といふものであつた。

十五日、アチソンが對日理事會(ACJ)で「共産主義を歡迎せず」と言明。

十六日、「憲法議會」に似せた第九十回臨時帝國議會が四十日の會期で召集され、吉田茂に組閣命令が下る。

十七日、GHQは、食糧危機打開のため化學肥料の增産を指令。

十八日、極東國際軍事裁判(東京裁判)被告人の廣田弘毅の妻靜子が服毒自殺。

同日、GHQは、二百萬人の失業者救濟のため、昭和二十一年度豫算に公共事業費六十億圓を計上することを指令。

十九日、食糧メーデー(飯米獲得人民大會)開催。宮城前廣場に二十五萬人が參集。このとき、デモ隊は「朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね」のプラカードを使用(いはゆる「プラカード事件」)。

二十日、マッカーサーは、「暴民デモ許さず」と食糧メーデーに對する反對・禁止聲明を出す。この聲明で、食糧メーデーは「暴民デモ」として非難される。

二十一日、マッカーサーは、帝國憲法と新憲法の法的連續性の必要性などについて強調。

同日、『皇族の財産上の特權等廢止に關する覺書』を決定(發表は同月二十三日)し、さらに、皇族の財産上の免税特權などを剥奪する。

二十二日、第一次吉田茂(自由黨)内閣成立。

同日、政府は、新内閣が成立したことから、樞密院に諮詢中の『内閣憲法改正草案』を一時撤回した。

二十四日、停戰時以來二度目の天皇の「玉音放送」がなされ、食糧危機に家族國家の傳統で對處するやうにとの綸言を賜る。

二十七日、政府は、『内閣憲法改正草案』に若干の修正を加へ、再び樞密院の諮詢に付される。

二十八日、アチソンは、對日理事會(ACJ)で食糧メーデーに關して、「少數分子の扇動排除」を言明。

二十九日、樞密院は、『内閣憲法改正草案』の審議を再開。ここで吉田首相は、「自分としては、日本はなるべく早く主權を回復して速やかに占領軍に引き上げてもらふことが第一と思ふ。占領軍側の軍人やその家族にもかういつた聲は強い。G・H・Qは、Go Home Quicklyの略語だなどといふ者もゐる。」と述べ、獨立回復を促進するための講和の條件として占領憲法を制定するものであるといふ認識を示した。

 三十一日、天皇、マッカーサーとの第二回會見。

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