國體護持總論
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著書紹介

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昭和二十二年十一月

四日、片山哲首相が、初の罷免權を發動し、平野力三農相を罷免。

 平野力三と片山哲の因縁は深い。平野力三は農民運動家として、片山哲らと共に日本農民組合を結成したが、昭和七年に平野力三が國家社會主義的運動方針を主張したことから片山哲らは分裂脱退して日本農民組合總同盟を結成した。その後、平野力三の日本農民組合は、在郷軍人と農民との提携をめざし皇道會を結成し、「一君萬民の國體原理」による日本主義農民運動を展開する。そして、敗戰後に再び日本社會黨、日本農民組合で片山哲と合流したが、昭和二十二年七月二十五日、今度は平野力三らが日本農民組合から分裂し、全國農民組合を結成したことから、片山哲は、平野力三の非協力を理由に農林大臣を罷免したといふのである。

 また、GHQが平野力三を公職追放した理由は、戰前に皇道會の結成に關與したことを口實とするものであつた。しかし、罷免とその後の公職追放の背景には、GHQ内部の二大派閥の抗爭が原因してゐる。それは、プレスコードの實施などの情報の收集と操作を擔當する「參謀部」の「第2部」(G2)と、政治行政を擔當する「幕僚部」の「民政局(Government Section GS)である。G2は、諜報・保安・檢閲などを任務とし、占領統治中に起きた數々の怪事件や疑獄事件などは、その傘下の特務機關(キャノン機關など)が關與したとされる。そして、民政局(GS)は、我が國の非軍事化と民主化を假裝した弱體化の政策を主導する部署であり、ルーズベルト大統領のニューディール政策に關はつてきた者が多數存在した。路線的には、G2は、米ソ對立に備へて舊指導部と舊軍部の温存を受け入れる反共産・自由主義であり、GSは徹底した日本弱體化を圖る容共主義であつた。尤も、ルーズベルトとトルーマンが率ゐる民主黨政權が容共的體質であつたことから、その核心部分であつたニューディール政策關與者が多く存在するGSには容共分子が多かつた。

 そして、G2では、部長であるウィロビー少將を中心とする職業軍人が中心となり、また、GSでは、次長のケーデイス大佐を中心としたニュー・デイーラーのグループが中心となつてゐた。このやうな勢力對立構造の中で、日本社會黨の委員長片山哲と幹事長西尾末廣とはケーディスと接近し、日本自由黨の吉田茂はウィロビーに接近するといふ枠組みができる。そこで、平野力三は、反共右派が主流となつて組閣した片山内閣において、同じく右派の吉田茂から平野に對し十月に「保守新黨」結成の呼びかけがあつたことも原因してか、ケーディスが擁護する政權基盤の弱い片山内閣の安定を脅かす發言を繰り返すなどしたこともあつて、GSの怒りを買つたことが排除の原因であると考へられてゐる。そもそも、占領憲法の公布に伴ふ昭和二十二年四月の總選擧の結果、與黨の日本自由黨は第二黨となり、日本社會黨が第一黨となつた。その際に、社會黨は政權には參加するが社會黨からは首相を出さず日本自由黨との連立により吉田茂の續投を企圖した反共主義の西尾末廣の提案に對し、「憲政の常道」を強調し、容共の社會黨左派の存在を批判して、あへて總辭職して野に下つた。このことも、GSとG2の對立が背景にあり、この平野力三の罷免と公職追放に連なつた遠因でもあつた。

 十一日、米第八軍司令官が、「日本は米國の防壁」と演説。

 十四日、天皇、マッカーサーとの第五回會見。

 二十日、衆議院において、「臨時石炭鑛業管理法案(炭鑛國家管理法案)」で大混亂となる。

 二十二日、衆議院において、「臨時石炭鑛業管理法案(炭鑛國家管理法案)」をめぐり亂闘。

 二十六日、中ソが、對日理事會で教科書『くにのあゆみ』の中ソ關係記載の改訂を要望。

 二十八日、民主黨分裂。

 三十日、歌舞伎の上演禁止が解除され、「假名手本忠臣蔵」の通し狂言が東京劇場で興行される。

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