國體護持總論
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昭和二十五年六月

四日、第二回參議院議員選擧實施(自由52、社會36、緑風9、國民民主9、無所屬19)。

 六日、マッカーサーは、吉田茂首相宛書簡で、占領憲法の擁護を大義名分として、共産黨中央委員二十四人の公職追放を指令。これにより、德田球一らが地下に濳航。共産黨中央委員會は分裂。

 七日、マッカーサーは、日本共産黨の『アカハタ』幹部十七人に對しても追放を指令。日本共産黨は、椎野悦郎を議長とする臨時中央指導部を確立。
 十六日、國家地方警察本部(後の警察廳)が、全國のデモ、集會禁止令を出す。

 二十一日、ダレス米國務省顧問が、講和條約の構想などについてマッカーサーと會談。

 二十二日、ダレス、吉田首相らと會談。

 二十五日、北朝鮮の侵略によつて「朝鮮戰爭」勃發。國連安保理は、北朝鮮の先制攻撃を侵略と認め、敵對行爲の即時中止を要求する米提出決議案を採擇(ソ連は缺席)。

 二十六日、マッカーサーは、朝鮮戰爭に關する虚僞報道を行つたことを理由として『アカハタ』の三十日間發行停止指令。

 二十七日、米大統領が、韓國支援のため海空軍に出動命令。

 二十八日、吉田茂内閣改造。

 同日、北朝鮮軍が韓國の首都ソウルを占領。

 二十九日、朝鮮戰爭で北九州に警戒警報が發令される。

 同日、大韓青年團(韓國居留民團系)大阪支部が朝鮮戰爭義勇兵を募集。府下二十七支部から三千人が志願。元特攻兵を自稱する日本人も志願したが、拒否された。

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