國體護持總論
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著書紹介

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昭和二十五年七月

三日、ベトナム人民軍が、サイゴンのフランス軍據點を占領。

 四日、閣議で、朝鮮の米軍に對し、行政措置の範圍内で協力する方針を了承。

 八日、トルーマン米大統領がマッカーサーを國連軍最高司令官に任命。

 同日、マッカーサーは、吉田首相に對し、警察豫備隊七萬五千人の創設、海上保安廳保安員八千人の增員を指令する(當時の規模・警察十二萬五千人、海保一萬人)。

 以後、自衛隊創設、レッドパージ、公職追放解除への方向轉換のことを「逆コース」と呼ばれることがあるが、歴史的に見れば、これは「復元コース」と呼ぶべきものである。

 十五日、最高檢察廳は、その前日に法務府特審が日本共産黨の德田球一、野坂參三、伊藤律ら九人を團體等規正令第十條違反として告發を受けたことに基づき、同人ら九人に逮捕状請求。

 十八日、マッカーサーが『アカハタ』の無期限發行停止指令。

 二十三日、北朝鮮軍、光州占領。

 二十四日、GHQは、新聞協會代表に共産黨員と同調者の追放を勸告。共産黨書記長德田球一が中國へ亡命。これにより、レッドパージはじまる。

 二十五日、朝鮮戰爭の國連軍總司令部が東京に設置される。

 二十八日、GHQ軍事法廷が、反米ビラ配布の在日朝鮮人に重勞働五年、刑期滿了後本國送還の判決。

 同日、レッドパージにより報道八社で三百三十六人を解雇。

 三十日、マッカーサー、臺灣を訪問し蒋介石總統と會談。

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