國體護持總論
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無效理由その四 帝國憲法第七十五條違反

この普遍の法理は、帝國憲法にも規定がなされてゐた。「憲法及皇室典範ハ攝政ヲ置クノ間之ヲ變更スルコトヲ得ス」(第七十五條)との趣旨は、攝政を置く期間を國家の「變局時」と認識してゐることにある。

この規定は、天皇御自らが御不例などの理由から天皇大權を行使し得ない事由が發生して攝政を置かなければならないといふ通常豫期しうる國家の變局時においては、帝國憲法と明治典範の改正ができないといふものである。

伊藤博文著『憲法義解』(文獻10)の第七十五條の解説によれば、「恭て按ずるに、攝政を置くは國の變局にして其の常に非ざるなり。故に攝政は統治權を行ふこと天皇に異ならずと雖、憲法及皇室典範の何等の變更も之を攝政の斷定に任ぜざるは、國家及皇室に於ける根本條則の至重なること固より假攝の位置の上に在り、而して天皇の外何人も改正の大事を行ふこと能はざるなり。」とあり、この規定が國の變局時に關する「例示規定」であることを認識してゐるのである。

確かに、占領期において攝政が置かれた事實はないのであるから、この規定の適用がないとする皮相な文理解釋からの批判はありうる。しかし、ここで問題としてゐるのは、占領期に攝政が置かれるべき事情があつたか否かを議論してゐるのではない。この規定の趣旨が、「攝政ヲ置クノ間」が國家の變局時の「代表的な事例」としてゐるもので、一般に、このやうな國家の變局時には憲法を改正することができないことを意味してゐる。

この第七十五條違反を根據とする見解は、私見(眞正護憲論)以外にも、井上孚麿(文獻34、74)、谷口雅春(文獻59、60、65、89)、小山常実(文獻319)などがあるが、その嚆矢は、極東國際軍事裁判において東條英機元首相の弁護人を務めた清瀬一郎であらう。

後述するとほり、昭和三十一年に内閣に憲法調査のための審議機關として憲法調査會が設置されるが、その法案が審議されたのは、第二次鳩山一郎内閣においてである。昭和三十年十一月十五日の保守合同によつて自由民主黨が結黨され、その初代総裁となつた鳩山一郎は、「自主憲法」の制定に意欲を燃やし、自由民主黨は、その政綱の第六に「現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再檢討し、國情に即してこれが改廢を行ふ」と定めた。そして、その結黨直前の第二次鳩山一郎内閣の政權下で、清瀬一郎衆議院議員は、同年七月四日の參議院本會議において、衆議院の發議者として同法案の提案趣旨説明をなし、廣瀬久忠議員の質疑に對して次のとほり答辯したのである。

すなはち、「わが國の舊帝國憲法はその七十五條において、この憲法は攝政を置くの間は變更することはできないと書いてある。陛下御不例で攝政を置かるるの間は憲法改正は企ててはならない、その同じ意味から考へると、占領軍の制限の下に、陛下も國民も完全な自由意思を発揮することのできないときに、憲法を改正するといふことは、そのときまで有效であった舊憲法の趣旨に反しております。」として、不十分ながらも第七十五条違反を指摘したのであつた。

そもそも、條文解釋において、その條文の形式において特定の事例(事項)のみが規定されてゐる場合、これと類似する事例(事項)についてどのやうに解釋適用されるのかについては、「反對解釋(限定解釋)」と「類推解釋(擴大解釋)」とに分れる。反對解釋(限定解釋)とは、條文に規定のある事例(事項)のみに限定して、それ以外の事例(事項)にはその條文が適用されないとするものである。これに對して、類推解釋(擴大解釋)とは、條文に規定のある事例(事項)以外の類似した事例(事項)にもその條文の適用があるとするものである。そして、各條文について反對解釋がなされるか、あるいは類推解釋がなされるかについては、法律全體やその條文の制度趣旨、その立法行爲を基礎付けることになつた前提事実(立法事実)などによつて決せられるものであつて、この第七十五條について言へば、國家の自主性と獨立性の見地からして、當然に類推適用がなされることになる。攝政設置時といふ通常豫測しうる國家の變局時においてすら典憲が改正できないのに、外國軍隊による未曾有の完全軍事占領下といふ異常な國家の變局時には、むしろ逆に典憲が改正できるといふことを積極的に肯定できるだけの根據と論理を示すことは到底できない。これは、「人を不注意で傷付ければ犯罪であるが、人を殺せば犯罪ではない。」といふことを肯定することよりも難しい藝當である。

さらに、例へ話をするとすれば、假に、「同居の長男(攝政)が病気で寢てゐる親(天皇)に内緒でその先祖の財宝を持ち出し(典憲改正)してはならない。」といふ法律があり、財宝の持ち出しを禁止することについては、偶々この規定しかなかつたとする。すると、このやうな事態が起こつた。それは、「他人(GHQ)が侵入してきて病人ではないその家の主人(天皇)を凶器で脅して無理矢理に承諾させその先祖の財宝を持ち出した」といふ事件である。親子間の持ち出しについては規定はあるが、他人の持ち出しについては明文の規定がない。これも親子間の場合(國内問題)と同樣に許されないとするのか否かといふことである。許されないとするのが類推適用である。これは、規範の底邊に存在する健全な規範意識によつて決まるのであり、この場合には當然に類推適用されることになるのである。

もし、これについて類推適用を否定するとすれば、その解釋の動機は「賣國」の二字以外にないのである。それゆゑ、あらゆる「國家の變局時」にすべて同條が類推適用されることは當然のことなのである。

また、「攝政ヲ置クハ固ヨリ一時ノ變局ニシテ決シテ恆久ノ常態ニ非ス而シテ帝國憲法及皇室典範ハ國家最高ノ大法ニシテ其ノ改正ハ實ニ國家最重ノ要事タリ加之此ノ二法ニ定メタル處ハ大綱ノ要目ニ止ルカ故ニ之ヲ改正スルノ必要ハ必スシモ焦眉ノ急ニ迫ラルルモノニ非ス。」(清水澄)といふ點も、占領憲法が無效であることの根據となる。すなはち、攝政が置かれるといふ事態は、「一時ノ變局」であり、いづれ正常化するものである。しかも、そのやうな一時的な變局時に、どうしても改正しなければならないやうな緊急性がない限り、そのやうな時期に改正はできないといふことを意味するのである。つまり、攝政設置時といふのは例示であつて、およそ一時的な變局時において改正の緊急性がない場合には改正が禁止されるといふことである。ポツダム宣言第十二項には、「前記諸目的が達成せられ、且日本國國民の自由に表明せる意思に從ひ平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるるに於ては、聯合國の占領軍は、直に日本國より撤收せらるべし。」とあることからして、GHQの軍事占領は「恆久ノ常態」ではなく、いづれ終了して我が國の獨立が實現することが豫定されてゐる暫定的な事態(保障占領)であつて、そのやうな非獨立の時期に我が國としては敢へて改正しなければならない緊急性がなかつたことは明らかなのである。

ところで、帝國憲法第十七條第二項には、「攝政ハ天皇ノ名ニ於テ大權ヲ行フ」とあり、原則として攝政は、天皇大權の代理行使をなしうる。しかし、帝國憲法第七十三條に定める憲法改正の發議大權だけは、それ以外の天皇大權とは異なり、天皇の一身專屬權である。一身專屬の天皇大權は、この改正大權しかない。その他の天皇大權は、攝政といふ機關代理や他の國家機關への機關委任を許すものであるが、この改正大權だけは、攝政といふ機關代理も機關委任も一切許さない。帝國憲法第十七條第二項の「攝政ハ天皇ノ名ニ於テ大權ヲ行フ」といふ一般規定に對し、同第七十五條は、これに對する明確な例外規定となつてゐるからである。第一章、第二章で述べたとほり、帝國憲法の「輔弼制」は、「統治すれども親裁せず」といふ、天皇の拒否權を肯定するものであるのに對し、占領憲法の「承認制」は、「君臨すれども統治せず」といふ、天皇の拒否權を認めないものである點に特徴がある。天皇は「統治權ヲ總攬」(第四條)するのであるから、この「總攬」の中に一切の機關委任を禁ずる意味はなく、むしろ、「天皇は、統治權を總攬せらるるも、各般の政務を一々親裁せらるるものに非ず。」(清水澄)と解されるからである。しかし、戰前における統治大權の輔弼と諮詢の制度といふのは、實際には英國流の立憲君主的な有權解釋がなされ、慣例的に、天皇は拒否權(ヴェトー)を行使できなかつたことからして、「君臨すれども統治せず」といふ占領憲法の助言と承認の制度と同じ運用がなされてゐた。これらの統治權總攬の運用も、平時においては「王覇の辨へ」といふ規範國體が許容しうるものである。

しかし、必ず親裁し給ふ大權がある。それが一身專屬權としての改正大權であり、大權事項のうちの唯一の例外である。改正大權は統治大權には含まれない。これ以外にも、明治十二年の「天皇自ら大元帥の地位に立ち給ひ、兵馬の大權を親裁し給ふ」との布告においては、統帥大權も親裁し給ふものとされたが、帝國憲法下では、軍の統帥部といふ「統帥内閣」の出現によつて、その「輔翼」を受け、國務各大臣(政務内閣)の「輔弼」を受ける「統治すれども親裁せず」の原則と同樣に、「統帥すれども親裁せず」との原則的運用へと變化した。それゆゑ、帝國憲法で明記された一身專屬の天皇大權(親裁し給ふ大權)は、統治大權でも廣義の統帥大權でもない、この改正大權のみである。これは、天皇が他者の影響を全く受けることなく、皇祖皇宗の御叡慮を體現して御親づから自發的かつ自律的に發議をなしえない變局時においては、その發議も審議もできないといふことである。そして、たとへ、そのやうな變局時でなくても、天皇は攝政をして發議なさしめることすらできない。むしろ、攝政をして發議せしめる事態こそ變局時であると言ひ換へることもできる。これが「天皇の外何人も改正の大事を行ふこと能はざるなり。」との意義である。

そして、第二章で明らかにされた占領憲法の制定過程からすれば、天皇が自發的かつ自律的に改正の發議がなされたといふ事實は全くなく、むしろ、天皇と樞密院を差し置いて、GHQと占領下の政府、さらに民間において、帝國憲法の改正案が喧しく私議され、改正大權が簒奪されたことが明らかである。

從つて、「通常の變局時」である攝政設置時ですら典憲の改正をなしえないのであるから、このことは、帝國憲法の豫想を遙かに超えた「異常な變局時」であり、マッカーサーといふ「攝政」を遙かに超えた權限を有する者によつて、天皇大權が停止、廢止、剥奪されてゐた連合軍占領統治の非獨立時代に典憲の改正はできず、また、それを斷行したとしても絶對無效であることは、同條の類推解釋からして當然のことである。

また、マッカーサーは、昭和二十六年五月五日の米上院聽聞會で「日本人の成熟度は十二歳、勝者にへつらふ傾向」があると評價したのであるから、マッカーサーからすれば、天皇も含めて日本人は未成年であつて、自己が「攝政」以上の地位にあつたといふ政治的認識があつたことからしても、占領期はまさに帝國憲法第七十五條の射程範圍の政治的情況にあつたのである。

帝國憲法は、他國に支配されない完全獨立國の憲法として制定されたものであつて、およそ我が國が連合國に隷屬(subject to)した状態で憲法改正がなされる事態を豫測してゐない。また、假に、法理論的にはそのやうな事態がありうるとしても、前述した『フランス一九四六年憲法』の規定は、ナチスによる占領統治の強迫觀念から生まれた特殊な例であつて、通常の場合は、獨立國の矜恃として、そのやうな不吉で恥辱に滿ちた事態の對應やその場合における原状回復手續について殊更に規定しないのは、最高規範としての憲法の權威を保持するための諸外國の通例である。

しかし、帝國憲法は、このやうな不吉で恥辱に滿ちた事態を直接に規定することなく、それを忖度しうる極めて優れた表現を以て、國家の異常な變局時をも含めた例示規定として、この第七十五條を置いたものと評價することができる。他國の軍事占領下での憲法改正が禁止され、改正されたとしても無效であるとする法理は當然のことではあるが、それを規定することは、憲法の權威を傷つける。いはば、「憲法の痩せ我慢」である。このことは、「書き記されたものだけが憲法ではない。」とすることの例證でもある。しかし、フランス一九四六年憲法は、その權威を捨ててまで書き記さなければならないほどの緊迫感があつたといふことである。

しかして、占領典憲がいづれも典憲として法的に完全に無效であることの根幹的な理由はここにある。つまり、帝國憲法と明治典範に違反した帝國憲法の改正、明治典範の廢止及び占領典範の制定(實質的な明治典範の改正)は、いづれも無效であるといふ單純な理由なのであり、これが眞正護憲論(占領典憲無效論)の核心的理由である。また、この解釋は、法實證主義によつても、法文の合理的解釋により導かれるものであつて、占領典憲の無效は明らかである。

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