國體護持總論
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無效理由その八 改正發議大權の侵害

占領憲法の起草が連合軍によつてなされたことは、帝國憲法第七十三條で定める憲法改正發議大權を侵害するもので無效である。帝國憲法發布時の詔敕及び帝國憲法第七十三條第一項により、憲法改正の發議權は天皇に一身專屬し、帝國議會及び内閣などの機關、ましてや、外國勢力の介在や關與を許容するものではないからである。これは帝國憲法第七十三條の解釋の定説である。

つまり、第二章で詳しく列擧した事實からすれば、前に述べたとほり、改正大權が一身專屬の天皇大權であるにもかかはらず、天皇が自發的かつ自律的に改正を發議せず、天皇と樞密院を差し置いて、GHQと占領下政府によつて改正案が私議され、改正大權が簒奪されたことが明らかである。

占領憲法の發議は、昭和二十一年二月十三日、マッカーサーが同月三日にGHQ民政局(GS)へ『マッカーサー三原則(マッカーサー・ノート)』に沿つて作成を指示したことに基づいて完成した英文の『日本國憲法草案』(GHQ草案)を、GHQ民政局長ホイットニー准將とケーディス大佐から吉田茂外相と松本烝治國務大臣らに手交して、これに基づく帝國憲法の改正を強制したことに始まるのであつて、天皇の發議とは全く無縁のものであつた。この「大權の私議と簒奪」は、「統帥權の干犯」といふやうな非難の程度を遙かに超えたものである。つまり、改正大權私議の大罪は、東久邇宮稔彦内閣において、昭和二十年九月十八日に入江俊郎内閣法制局第一部長が憲法改正檢討報告書の『終戰ト憲法』を法制局長官へ提出したことを嚆矢として、同年十月四日に近衞文麿副總理格國務相がマッカーサーから受けた憲法改正指令によつて雨後の竹の子のやうに生まれてきた、外務省私案、佐々木惣一私案、松本烝治私案など悉くさうである。政府案なら私議することは許されるが、GHQ案は許されないといふものでは決してない。マッカーサー戰爭回顧録によると、戰爭放棄條項が幣原喜重郎の發案であるとするが、假に、それが眞實であつたとすれば、幣原は大權私議の大罪をマッカーサーと共謀して犯したといふことである。占領下では、その權力に尻尾を振つて迎合する者だけが生存を許される。迎合しない者は、外務省條約局長であつた萩原徹のやうに左遷される。それゆゑ、政府側の數々の私案もマッカーサー・ノートもGHQ草案も大權私議の點では同じであり、まさに「目糞鼻糞を笑ふ」である。ましてや、GHQは、いはゆる松本案を排除してGHQが起案した草案を強制し、これを原案として改正案が策定されたのであるから、發議大權を輔弼しうる國内機關である樞密院(樞密顧問)の諮詢による審議(帝國憲法第五十六條)が排除されて、その正規の輔弼機關(樞密院)の審議によらない系統の草案を原案とした點においても、明らかに發議大權の侵害がなされたのである。天皇が一切關與できない發議なるものは、發議大權の侵害といふよりも、發議大權の簒奪に他ならず、これによる改正審議も議決もすべて無效である。最後の樞密院議長であつた清水澄博士が占領憲法に抗議して自決された事實は、帝國憲法第五十六条及び同七十三條に基づく樞密院の審議が排除されて占領憲法が成立したことの証左に他ならない。

さらに、發議大權の簒奪は、これにとどまらない。つまり、このやうに發議大權を簒奪してなされた改正審議において、帝國議會が修正議決したこともまた、二重の意味で憲法改正發議大權の侵害となる。すなはち、「議會ハ憲法改正案ニ對シテハ可否ノ意見ノミヲ發表スヘク之ヲ修正シテ議決スルコトヲ得サルモノト爲ササルヘカラス」(清水澄)とするのが當時の通説(佐々木惣一、美濃部達吉、宮澤俊義など)であり、議會に修正權を與へることは第二の發議權を認めることとなり、天皇に專屬する憲法改正の發議權を侵害することになるといふのがその理由である。

帝國議會においては、衆議院で帝國憲法改正發議案を修正可決し、その後に貴族院でも衆議院の送付案をさらに修正可決し、それを回付された衆議院では、これを憲法改正特別委員會に付託せずに直ちに本會議で起立方式で修正回付案を採擇して可決したのである。このやうな重大案件を斯樣に杜撰で強引な方法と手續で議決したことについて、手續面での合法性を滿たさないことは云ふまでもないが、それ以上に、衆議院において二度、貴族院において一度、それぞれ修正決議した點は、發議大權の侵害となつて無效である。ちなみに、帝國議會には修正權はないといふ學説を主張してゐた佐々木惣一と宮澤俊義は、共に貴族院議員でありながら貴族院での修正に何ら反對しなかつた典型的な變節學者である。この變節學者らの唱へてきた學説を受け入れて、帝國議會には發議案に對する修正權がないのが定説であるとしてこれに反對し、修正を加へることは法的連續性を缺くと衆議院本會議で明確に主張したのは、皮肉にも衆議院議員の野坂參三(共産黨)だけであつた(昭和二十一年六月二十八日)。

後に述べるとほり、宮澤俊義の變節は云ふに及ばず、佐々木惣一についても、第一章で述べた「狼少年」を演じた後の昭和二十四年二月に、こんなことを書物で述べてゐるのである。


「日本國憲法は、帝國憲法を改正したものであるから、帝國憲法が定めていた、帝國憲法改正の手續きを經て制定せられたのである。即ち、日本國憲法はその成立において帝國憲法と法的連續を有する。又、帝國憲法は、わが國において、初めて立憲政治を定めた制度であるから、政治について民意を尊重する、という思想の法制化において、日本國憲法に對して、先達をなすものである。日本國憲法は、ここの事項に關する規定において、帝國憲法と根本的に異なるのであるが、併し、政治における民意尊重の思想を基礎とすることは、兩者その性格を同じうする。故に、民意尊重の政治ということに關する限りにおいては、日本國憲法の基礎たる思想は帝國憲法のそれを醇化し強化したものといえる。然れば、日本國憲法を説く場合には、必ず帝國憲法の存在したことに特に言及するべきである。始めよりこれを無視することは、日本國憲法そのものの意味の理解を不徹底のものとする。」(『日本國憲法論』)と。


いづにせよ、これら保身學者らの變節とは無關係に、野坂參三が主張したとほり、帝國議會には修正權はなく、占領憲法は、帝國憲法第七十三條に定める憲法改正發議大權をGHQと帝國議會とが共謀共同して侵害し、しかも、その手續規定にも實質的に違反し法的連續性を缺いてゐることから、帝國憲法の改正としては完全に無效である。獨立時において政府が軍縮條約を締結したことを統帥大權の干犯とするのであれば、非獨立時に政府が連合軍の強制により帝國憲法の改正大權を私議して簒奪した大罪を犯し占領憲法を制定することは改正大權の干犯として無效となることは當然のことである。

そして、何よりも占領憲法は、この憲法改正發議大權を侵害して制定したことを自認(自白)してゐるのである。それは、占領憲法の前文の冒頭の「日本國民は、正當に選擧された國會における代表者を通じて行動し、・・・ここに主權が國民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」とある部分である。占領下の占領憲法施行前において「正當に選擧された國會における代表者」なるものはあり得ないし、しかも、「帝國議會」で占領憲法を確定したはずにもかかはらず、なんと、占領憲法で初めて設置された「國會」で確定したといふのであるから、矛盾も甚だしい。妊娠した後に出産するのであつて、出産してからその子供を妊娠するものではないからである。しかも、これは、「國會」で確定し、「帝國議會」では確定しなかつたといふのであるから、帝國憲法に違反することを自白してゐる。そもそも、この文言だけに限らず前文全體の内容が明らかな虚僞であることはいまさら言ふまでもないが、少なくともここには、憲法改正發議大權を完全に無視した意思が表明されてゐることだけは明らかなのである。

さらに云へば、第七十三條第一項には、「將來此ノ憲法ノ條項ヲ改正スルノ必要アルトキハ敕命ヲ以テ議案ヲ帝國議會ノ議ニ付スヘシ」とあり、「改正スルノ必要アルトキ」として、改正の「必要性」を要件としてゐる。この必要性とは、自國固有の必要性のことであつて、外國からの要請や強制は自國固有の必要性があるとは云へない。「外國ノ強制アリタルトキ」は、むしろ「改正スルノ必要ナキトキ」に該當するものと解釋される。これこそが憲法の自律性であつて、この趣旨は第七十五條の類推適用を認めて無效とすることと同樣である。

また、これらのことは占領典範にも同じやうなことが云へる。明治典範第六十二條には、「將來此ノ典範ノ條項ヲ改正シ又ハ增補スヘキノ必要アルニ當テハ皇族會議及樞密顧問ニ諮詢シテ之ヲ敕定スヘシ」とあるので、この敕定についても外國勢力の介在や關與を許容するものではない。いはば、皇室の自治と自律が保たれるべき皇室家法の典範は、その改正は勿論のこと、ましてや廢止するについては、天皇に固有の發議權があり、そのことは帝國憲法の場合に勝るとも劣らないことである。それゆゑ、明治典範の廢止と占領典範の制定はいづれも絶對無效である。

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