國體護持總論
トップページ > 著書紹介 > 國體護持總論 目次 > 【第三巻】第三章 皇室典範と憲法 > 第五節:占領憲法の無效性

著書紹介

前頁へ

無效理由その十一 典憲としての妥當性及び實效性の不存在

占領典憲には、典憲としての妥當性は勿論のこと、實效性も備はつてゐない。まづ、占領典範は、確かに形式上は明治典範と隔絶したものとして制定されたとされるが、その實質は、皇位の繼承、攝政、尊稱使用など明治典範の各條章の構成と表現、態樣を踏襲してゐるのであつて、明治典範を國民主權の名の下に實質的に「改訂」した點において妥當性を缺いてゐる。そして、その解釋運用については、常に明治典範に依據してゐることからすると、占領典範の各條項の主な部分は、實質的には明治典範の實效性を借用してゐるだけであつて、固有かつ獨自の實效性は存在しないのである。

また、前述したとほり、昭和天皇は、占領典範によつて「初代天皇」として選定されたのではなく、明治典範に準據して昭和三年十一月の即位禮により第百二十四代天皇として踐祚され、崩御されるまで一度も退位されたことはない。つまり、明治典範の廢止による退位には全く實效性がなく、占領典範の「初代天皇」ではない。そのことは第百二十五代天皇である今上陛下についても同樣であり、占領典範は、その意味においても、皇位の繼承と選定の本質に關して、いまもなほ全く實效性を備へてはゐないのである。

これと同樣に、占領憲法についても、憲法としての妥當性も實效性もない。占領憲法が妥當性を缺くことについては、この單元において無效理由として指摘した理由のとほりであり、さらに、前章で指摘したとほり、占領憲法の核心的條項である第九條には實效性がなかつたのである。占領憲法が憲法として有效であれば、自衞隊は、その第九條第二項前段の「陸海空軍その他の戰力」に該當することは明らかである。舊安保條約の冒頭にも、「日本國は、本日連合國との平和條約に署名した。日本國は武裝を解除されているので、平和條約の效力發生の時において固有の自衞權を行使する有效な手段をもたない。」とあり、自衞隊について、アメリカはこれを容認しても占領憲法においては容認されてゐるものとは見てゐない。「戰力」であるか否かとは、人的組織と物的裝備において客觀的に戰爭遂行能力を有するか否かで決定されるものであつて、自衞のためであるか否かといふ動機、目的その他の主觀的な要素によつて決まるものではない。むしろ、軍事學的に考察して、自衞に軸足を置く戰力は、攻撃だけのための戰力よりも重裝備である。にもかかはらず、自衞隊が占領憲法第九條第二項前段に違反しないといふのは詭辯も甚だしく、自衞隊が存續してゐる事實は、明らかに「違憲状態」の繼續であるから、第九條は實效性を完全に喪失してゐる。そして、第九條に實效性がないのであれば、これと一體となる占領憲法全體についても實效性がないのである。

占領憲法に憲法としての實效性があるかの如き形式的な情況は、帝國憲法の實效性の影繪を見てゐることに他ならない。「虎(正統憲法)の威を借りる狐(占領憲法)」である。また、第九條以外の統治機構條項や權利義務條項などの適用についても、それは帝國憲法の實效性の反射に他ならない。後に詳述するとほり、占領憲法は帝國憲法下で締結した講和條約の限度で認められるだけであつて、これに實效性が認められるのは、講和條約としてのそれであつて憲法としてのものではない。このやうな政治状況において、占領憲法が憲法としての實效性を有することを證明するためには、むしろ、帝國憲法の實效性が喪失し、占領憲法のみが憲法としての「排他的な實效性」を有することが證明されなければならないのである。しかし、占領憲法に、このやうな排他的實效性があることは證明できない上に、むしろ、帝國憲法のみに排他的實效性があることが證明されるのである。占領憲法の施行後において、GHQ指令によつて警察豫備隊といふ軍隊が設立され、それが後の自衞隊となつた。また、GHQによる言論統制や檢閲があり、選擧に對する干渉などがなされた。そして、「特別裁判所」である極東國際軍事裁判所が容認されてゐた。また、GHQは昭和二十一年二月十九日に『刑事裁判權行使に關する覺書』を公布し、これにより、占領目的に有害な行爲に關して、連合國軍事裁判所が裁判權を行使することになつた。このやうなことは、すべて占領憲法の第九條、第二十一條、第七十六條第二項に違反するものであり、それが容認されてきたことは、占領憲法に憲法としての實效性がなかつたことを證明してゐる。このことに對し、帝國憲法においては、これらは占領下の非獨立時代における講和行爲(講和條件)として容認しうることであつて、これこそが帝國憲法第十三條の實效性の證明となる。

占領憲法に實效性がなかつたことは外にもある。マッカーサーが國連軍最高司令官及び連合國軍最高司令官を解任され、この後任として着任したマシュー・リッジウェイは、GHQの權限を我が政府に「權限移讓」を行つてゐるのである。第二章で述べたとほり、これはイラクのCPAの「權限移讓」と同じことを行つたのである。つまり、リッジウェイは、昭和二十六年五月一日、我が政府へ占領下法規再檢討の權限を移讓すると聲明し、同月六日に政令諮問委員會を設置し、その後に移讓手續とその實施を行つてゐる。このとき既に占領憲法は、國民主權の憲法であるして施行されてゐたのである。それゆゑに、この權限移讓にはたして憲法的根據があるのか。あるはずがない。これに答へられる占領憲法の有效論者が居れば、是非ともご教授願ひたいところである。これは占領憲法に實效性がないことを示す有力な根據の一つでもある。

そして、何よりも占領憲法に實效性がないのは、後に詳述するとほり、占領憲法では、連合國の一部と戰爭状態の終結をさせる講和條約(桑港條約)の締結は、「交戰權」の行使となり、しかも、桑港條約の當事國とならなかつた連合國の一部との關係では、「戰爭状態の繼續」をすることになつて、まさに「交戰權」の行使となつてしまふのである。つまり、法人たる國家において自ら權限のないものとして憲法によつて定めた行爲をあへて行ふことは不可能であり、假に、その外形行爲を行つたとしても無效であることは法人能力理論の定説であつて、「交戰權」を自ら否定した占領憲法が憲法であれば、桑港條約は無效となり、我が國は未だ「獨立」できてゐないことになる。桑港條約によつて獨立できたとすることの法的根據は、帝國憲法第十三條の講和大權の行使しかないのである。

この外にも、占領憲法は、①第九條に違反する自衞隊が恆常的に存在し、憲法の變遷、解釋改憲がまかり通つてゐること、②闇米がなければ生活できないやうな食糧難の状況が續いたことから第二十五條が完全に死文化してゐたこと、③GHQによる二・一ゼネストの中止命令によつて第二十八條の實效性は否定されたこと、④私學助成といふ第八十九條に違反する事實が反復繼續してゐること、などからして、占領憲法は實效性を喪失し、第九十九條の最高法規性が否定され續けてゐるのである。

それゆゑ、占領憲法は、憲法としての實效性がなく、憲法としては無效なのである。

続きを読む