國體護持總論
トップページ > 著書紹介 > 國體護持總論 目次 > 【第三巻】第三章 皇室典範と憲法 > 第六節:效力論爭の前提

著書紹介

前頁へ

GHQ占領統治と有效論者

GHQの占領政策の目的は、一言で言ふと、我が國の弱體化である。我が國が再び報復のため立ち上がれないやうにすることであり、そのためには、日本人の精神を弱體化させ、さらに再武裝させないことである。戰ふ氣力も戰ふ武器もなくなり、しかも、食料や物資・エネルギーの自給率が極限にまで低下すれば報復の可能性は全くなくなる。そこで、占領統治下においては、占領政策に迎合する「御用民主勢力」の意見を大いに喧傳し、それ以外の意見は全く黙殺された。即ち、占領政策の妨げとなる一切の言論、例へば、連合國最高司令官及び連合國軍總指令部に對する一切の批判、極東國際軍事裁判に對する一切の批判、連合國軍總指令部が占領憲法を起草したこと自體に對する一切の批判、檢閲が行はれてゐること自體に對する一切の批判、アメリカなど戰勝國等に對する一切の批判を全て禁止し、これに違反する新聞等については、その批判記事の削除又は發行禁止處分の制裁を科すなど、およそ國民の政治的意思形成に必要な情報を一切提供させないとする『日本プレスコード指令』による檢閲や神道指令による強力な言論・報道・出版の統制が斷行された。

さらに、戰爭犯罪人であるとか、軍國主義者であるとの一方的理由で多くの日本人を公職から追放し、さらには、各部門のレッド・パージを敢行した。このやうなことは、以後に制定されたとする占領憲法の第十四條の「法の下の平等」、同第十九條「思想及び良心の自由」及び同第二十一條の「表現の自由」や「檢閲の禁止」などに牴觸するものであると同時に、帝國憲法第二十九條(言論・著作・印行・集會・結社の自由)に違反する違憲措置であることは當然である。

また、極東國際軍事裁判(東京裁判)を斷行し、思想洗腦のために、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム (War Guilt Information Program) による情報操作と檢閲の方針に基づき、東京裁判が正しいものであると喧傳し、昭和二十年十二月からは、NHKラジオで『眞相はかうだ』といふ獨自番組を裝つた番組で、滿洲事變以後の歴史的事實の内容を著しく捏造した報道を行ふなど、ありとあらゆる手段によつて國民に罪惡意識を植ゑ付ける洗腦政策を實施した。

そして、その仕上げとして、帝國憲法を改正させ、「日本國は、其の經濟を支持し、且公正なる實物賠償の取立を可能ならしむるが如き産業を維持することを許さるべし。但し、日本國をして戰爭の爲再軍備を爲すことを得しむるが如き産業は、此の限りに在らず。右目的の爲、原料の入手(其の支配とは之を區別す)を許可さるべし。日本國は、將來世界貿易關係への參加を許さるべし。」(ポツダム宣言第十一項)として、武器製造の軍事工場はおろか、それを支へ、あるいは軍事轉換しうる一切の工業化をも否定するために、第九條を含む占領憲法を制定させた。

これに、保身と賣國のマスメディアと憲法學者らがGHQの占領政策に協力して、いまもなほその惰性が繼續してゐる。桑港條約によつて獨立するまでは「戰爭状態」(第一條)であつたので、このマスメディアと憲法學者らの行爲及び政府要人らの行爲は、その當時においても「日本國ニ對シ外國ヨリ武力ノ行使アリタルトキ之ニ與シテ其軍務ニ服シ其他之ニ軍事上ノ利益ヲ與ヘタル者ハ死刑又ハ無期若クハ二年以上ノ懲役ニ處ス」との外患援助罪(刑法第八十二條)に該當するのであるから、このやうな「犯罪者」による占領憲法及び占領典範の制定は、後に述べるクリーンハンズの原則からしても當然に無效である。

特に、マスメディアはGHQの走狗となり、現在もその路線を突き進んでゐる。その中心となつてゐるのが、NHKや各民放、大手の新聞社など殆どのメディアが加入してゐる『社團法人日本新聞協會』の存在である。この協會は、昭和二十年九月に發令された、いはゆる一連の日本プレスコードによるGHQの檢閲實施下において、GHQの指導により誕生したGHQの傀儡團體であり、この協會が定めた新聞倫理綱領の美辭麗句の建て前とは裏腹に、今日までの經緯は、これらの檢閲と思想的偏向を許容する運用がなされてきた欺瞞と食言の歴史であつた。その原因は、建て前では民主主義的新聞社を標榜しながらも、實質はGHQの反民主的な檢閲を無批判に受容し、これについての自己批判すら行はずに、そのまま現在まで報道姿勢を踏襲してゐるといふ、致命的な根本矛盾に起因するものである。現在では、一部マスメディアのみの排他的特權を享有する「記者クラブ」といふ名のギルド社會の利權を維持せんがための反民主的な存在にすぎない。表向きは「民主主義的新聞社」の團體としてゐながら、その實質は、GHQの檢閲とプレスコードを受忍して命を長らへてきた集團である。これが、見せかけの「新聞倫理綱領」なるものを定めて、恰かも「民主主義」の旗手のやうに振る舞つてゐるが、GHQなき後も、忠實に東京裁判史觀を堅持して偏向報道を垂れ流しするメディアの團體として存在してゐる。

占領政策の要諦は、東京裁判の斷行と占領憲法の制定を二大政策として推進された。このうち、占領憲法は、『マッカーサー憲法草案』(GHQ草案)に基づいて制定されたものである。これは、昭和二十一年二月三日作成のマッカーサー・ノート(三原則)に基づく憲法草案であつて、このうち、占領憲法第九條第一項に相當する戰爭放棄條項は、アメリカの植民地であり、マッカーサーが公私共に莫大な利權を支配してゐたフィリピンの憲法(1935+660)第二條第三節に同樣の規定が存在してをり、その以前の昭和四年(1929+660)に我が國も批准した不戰條約(戰爭抛棄ニ關スル條約)第一條にも同趣旨の規定があつた。マッカーサー憲法草案の戰爭放棄條項は、このフィリピン憲法や不戰條約を原案としたものである。そして、占領憲法とこのフィリピン憲法とは、いづれも非獨立國家の憲法であるといふ點において共通してをり、その指標が「戰爭放棄條項」であつたことは否定できない。特に、占領憲法が完全に非獨立國家の憲法である所以は、後述するとほり、同第九條第二項(戰力の不保持と交戰權の否定)の規定の存在にある。

ともあれ、昭和二十一年六月二十三日の、憲法改正は「帝國憲法との完全な法的連續性を保障すること」を前提とするとの『マッカーサー聲明』に依據するものとされ、形式的な手續については、完璧なまでに正當なものであるやうに粉飾し假裝された。

しかし、この憲法が單なる「押し付け憲法」の程度を越えて、連合軍の強烈な指示・指導と稱する強要行爲によつて成立したものであることは、前章で述べた經緯によつても明らかであり、これに異論を唱へる者は少ない。これを押し付けでないとすることは、銃口の前で説得されて自己の墓穴を掘らさせられた上で「処刑」されたことを「自殺」したものと評價するに等しいことになる。それゆゑ、占領憲法の内容がどのやうなものであつたとしても、後に詳述するとほり、形式的正義(手續的正義)を滿たさないものとして無效であると判斷せねばならない。ところが、いまだに占領政策の後遺症を引き摺る我が國では、占領憲法を合憲有效と判斷し、その成立を法的に受容して信奉する見解(有效論)が根強い。この有效論には、似非護憲論(改正反對護憲論)と似非改憲論(改正贊成護憲論)とがあり、いづれも占領憲法を憲法として有效であるとする亡國的見解であり、我が國の獨立と尊嚴を否定し、侵略者の走狗となつて、その暴力的強制を肯定する「暴力信奉者」の主張である。

つまり、暴力による皇權簒奪や皇權否定の革命を肯定するのが占領憲法有效論であり、これを否定するのが占領憲法無效論である。そして、護憲論のうち、占領憲法護憲論(似非護憲論)は暴力肯定論、帝國憲法護憲論(眞正護憲論)は暴力否定論といふことになる。

また、我が國の國體、根本規範及び最高規範である規範國體に關する評價・判斷については、外國勢力からの獨立不可侵を前提とすべきであつて、我が國の憲法學説においては、「日本國籍」を自覺すべきものであり、それが獨立國における憲法學者のあるべき姿勢である。この姿勢が貫かれない憲法學者は、自己の經歴を特權化して占領憲法の解釋で利權を得る「敗戰利得者」といふべき惡德業者であり、これを飯の種にして自他ともに欺いて飯を食らふことしかできない法匪であつて、いまだに獨立國の學者であるとの自覺が缺落してゐる輩であると云つて過言ではない。

続きを読む