國體護持總論
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ポツダム宣言違反の占領統治

GHQの占領統治は、以下の點においてポツダム宣言に違反してゐた。

第一に、ポツダム宣言第六項は、「吾等は、無責任なる軍國主義が世界より驅逐せらるるに至る迄は、平和、安全及正義の新秩序が生じ得ざることを主張するものなるを以て、日本國國民を欺瞞し、之をして世界征服の擧に出づるの過誤を犯さしめたる者の權力及勢力は、永久に除去せられざるべからず。」とあるので、除去される對象は、特定思想の者の權力と勢力であり、個別的追放であつたにもかかはらず、これを特定の職務に就いてゐた者を全て一律に追放するといふ包括的な追放が行はれた。

第二に、同第七項は、「右の如き新秩序が建設せられ、且日本國の戰爭遂行能力が破碎せられたることの確證あるに至る迄は、聯合國の指定すべき日本國領域内の諸地點は、吾等の茲に指示する基本的目的の達成を確保する爲占領せらるべし。」とあるので、部分占領であつたにもかかはらず、全部占領を行つた。

第三に、同第八項は、「カイロ宣言の條項は、履行せらるべく、又日本國の主權は、本州、北海道、九州及四國竝に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし。」として、これまでの講和條約によつて取得した我が國の領土的變更を強いたが、これは、カイロ宣言の「同盟國は、自國のためには利得も求めず、また、領土擴張の念も有しない。」との條項と、昭和十六年八月十四日に發表された英米共同宣言(大西洋憲章)の「兩國ハ領土的其ノ他ノ增大ヲ求メズ」、「兩國ハ關係國民ノ自由ニ表明セル希望ト一致セザル領土的變更ノ行ハルルコトヲ欲セズ」との條項に違反する。この點は、ポツダム宣言自體の矛盾である。

第四に、同第九項は、「日本國軍隊は、完全に武裝を解除せられたる後、各自の家庭に復歸し、平和的且生産的の生活を營むの機會を得しめられるべし。」とあるが、約六十萬人の皇軍將兵がソ連に抑留されたことは、明らかにこの條項に違反したものである。

第五に、同第十項の第一文前段は、「吾等は、日本人を民族として奴隷化せんとし、又は國民として滅亡せしめんとするの意圖を有するものに非ざるも」とあるが、占領統治は、占領憲法の強要などがなされても、政府の誰もが異議すら唱へられないやうに「蚤の曲藝」を受けて洗腦され、まさに日本民族を「奴隷化」するものであつた。  第六に、同第十項の第一文後段は、「吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戰爭犯罪人に對しては、嚴重なる處罰を加へらるべし。」とあり、これを根據として極東國際軍事裁判(東京裁判)がなされたが、罪刑法定主義に違反するこの裁判の正當性は認められない。

第七に、同第十項の第二文は、「日本國政府は、日本國國民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に對する一切の障礙を除去すべし。」とあり、これが占領憲法制定の根據とする見解があるが、この文言のどこにも、根本規範を變更しうることを強制できる根據として理解できる部分はない。しかも、もし、これが明確な根據となるのであれば、プレスコードによつて、GHQがこれに關與したことを祕匿しなければならない事情はなかつた。つまり、これを祕匿して占領憲法を制定させたこと自體が、この規定に違反してゐることを示してゐる。

第八に、同第十項の第三文は、「言論、宗教及思想の自由竝に基本的人權の尊重は、確立せらるべし。」とあるが、プレスコード、言論統制、檢閲、選擧干渉、公職追放などにより、占領下でこれが保障されたことは全くなかつた。つまり、バーンズ回答には、「最終的ノ日本國政府ノ形態ハポツダム宣言ニ遵ヒ日本國國民ノ自由ニ表明スル意思ニ依リ決定セラルベキモノトス」とあつたものの、「自由ニ表明スル意思」なるものは全くあり得なかつたのである。

降伏文書調印前(獨立喪失前)の昭和二十年八月二十八日、東久邇内閣では、集會・結社の規制緩和を閣議決定し、結社については許可制を廢止し屆出制を復活させた。これは、同第三文の規定に基づき、自主的にその履行に着手したのであつて、我が國が不履行ゆゑにGHQが強制したといふ抗辯も成り立ちえないことになる。

第九に、同第十三項は、「吾等は、日本國政府が直に全日本國軍隊の無條件降伏を宣言し、且右行動に於ける同政府の誠意に付、適當且充分なる保障を提供せんことを同政府に對し要求す。」とあつたにもかかはらず、實質的には、「日本國の無條件降伏」として占領統治された。

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