國體護持總論
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無效理由その十三 帝國議會審議手續の重大な瑕疵

最後に、帝國憲法改正案の帝國議會における審議は、極めて不十分であつて、審議不十分の重大な瑕疵があるため、その議決手續は違法であり、かつ、GHQが、帝國憲法第四十條で保障する兩議院の建議權(一種の國政調査權)の行使を實質的に妨げ、かつ、その不行使を強要した事情が存在するので、手續自體が違憲無效である。

その事情及び理由は、第二章で詳細に述べたが、その概要を指摘すれば次のとほりである。

ポツダム宣言受諾後、帝國憲法改正案を審議した第九十回帝國議會(昭和二十一年六月二十日開會)までに開會された帝國議會は、敗戰直後の第八十八回(同二十年九月四日開會)と第八十九回(同年十一月二十七日開會)の二回のみである。そのいづれの帝國議會においても、國家統治の基本方針についての實質的な討議は全くされなかつた。

その間に、昭和二十年九月二十日、連合軍の強要的指示によつて帝國憲法第八條第一項による「ポツダム緊急敕令」(昭和二十年敕令第五百四十二號「ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ發スル命令ニ關スル件」)が公布され、これに基づく命令(敕令、閣令、省令)、即ち、「ポツダム命令」が發令されることになる。この「ポツダム命令」が占領中に約五百二十件も發令されたことからしても、「ポツダム緊急敕令」の公布及び「ポツダム命令」は、占領政策の要諦であつたことが頷ける。

この緊急敕令は、「法律ニ代ルヘキ敕令」であり、帝國憲法第八條第二項により「此ノ敕令ハ次ノ會期ニ於テ帝國議會ニ提出」しなければならないものであつたため、次の第八十九回帝國議會で提出され、承諾議決がなされてゐるものの、全くの形式的審議に終始したのである。

その原因は、占領統治に協力することを命じ、その不遵守に罰則を設けて強制したことと、昭和二十年十二月十九日の『連合國の日本占領の基本的目的と連合國によるその達成の方法に關するマックアーサー元帥の管下部隊に對する訓令』を新聞發表して我が國政府に命令した内容には、「日本政府及び國民は、最高司令官の指令を強制されることなく實行するあらゆる機會を與へられるべきであるが、自發的な行動が執られない場合には、遵守を要求するために適當な管下部隊に命令があたへられるであらう。占領軍は、主として最高司令官の指令の遵守を監視する機關として又必要があれば最高司令官が遵守を確實にするために用ゐる機關として行動する。」として、占領統治が、我が國政府の自發性を假裝した強制であるとしたことである。國内系においてはポツダム緊急敕令、國際系においてはこのマッカーサー訓令により、我が國は自繩自縛に陷つてその自由意思を喪失したのである。

しかし、國内系において判斷すると、法律事項を規定した命令は、たとへ帝國憲法第八條の「法律ニ代ルヘキ敕令」である「ポツダム緊急敕令」に基づくものといへども、この緊急敕令は命令に對して法律事項の白紙委任(白地委任)を定めてゐるため、帝國憲法下の解釋においても「絶對無效」である。ところが、帝國議會では、このやうな議論すらされなかつた。

そもそも、昭和二十年八月十四日詔敕及びこの緊急敕令は、この敗戰が我が國の經驗した未曽有の國家非常事態であつたことから、帝國憲法第九條の命令大權、同第十條の官制・任免大權、同第十四條の戒嚴宣告及び同第三十一條の非常大權などに基づく措置を同時に發動しなければならない程度に重大な政治的・法律的意義を有するものであつた。

從つて、帝國議會において、この緊急敕令の審議はもとより、國家再建の基本方針が十二分に審議されるべきであつて、これが帝國憲法改正案の審議の前提條件であり、先決事項でなければならない。特に、敗戰に至るまでの原因に關して、憲法的要因や運用上の問題などを徹底究明すべき必要があつたはずである。そして、さらに、これらの議論をふまへて、帝國憲法改正の必要性の有無及び程度竝びに各條項的な個別的檢討などについて充分討議する必要があり、これらの討議を經たうへでなければ、具體的な改正案の審議ができないはずである。敗戰後の占領下で、帝國憲法の「全面改正」に初めて着手することは、帝國憲法の「制定」に勝るとも劣らない國家の根幹を定める大事業であつたにもかかはらず、そのことの認識が全く缺如してゐたのである。

帝國憲法が十年以上の歳月を經て制定されたのに對し、わずか十日程度の日數で、しかも、我が國政府の手によらずして連合軍で起草されたGHQ草案に基づき、これと内容同趣旨の「政府原案」(占領憲法原案)が作成され、これについて、衆議院では僅か四日間の本會議における審議がなされたにすぎない。それも、法律專門家等の見解の聽取もせずに直ちに委員會付託となつた。これは秘密會であり、そこでの作業は、GHQ草案と政府原案を比較して、英文と邦文との對比表現、逐條解釋、字句の選定と訂正、各條項の意義と各條項間の整合性などの檢討といふものであつて、單なる「翻譯委員會」にすぎなかつた。また、その間にも多數の委員が更迭されたため、充分に檢討審議の餘裕もないまま、間もなく可決成立したやうな憲法改正行爲は、たとへ占領下でなかつたとしても、審議不十分として無效であると言はざるをえない。

このやうに、性急な「お手盛り審議」により憲法改正案を全會一致に近い壓倒的多數で可決させたのは、占領軍の強い意志に基づくものであつて、我が國政府に對する直接の強要的指示があつたからである。そして、その前月の五月三日から極東國際軍事裁判を開廷させるとともに、この事實を帝國議會審議より重大事件であるかのやうな嚴重な統制による報道をさせることによつて、臣民及び帝國議會議員に對しても、帝國議會の審議において帝國憲法改正案に反對することは、如何なる不利益を蒙るか計り知れないとの心理的壓力による間接的な恫喝をなし、その萎縮效果を狙つたものであり、極めて卑劣かつ巧妙な作戰と演出が實行された。その結果、帝國議會は、GHQの狙ひ通りに萎縮して病的恐怖(phobia)に陷る者、「蚤の曲藝」(尾崎一雄)に從ふ者、GHQに積極的に喜んで迎合する者などの議員で占められてしまつた。そして、帝國憲法改正案についての帝國議會の審議過程の詳細は全く報道されず、國民はこれについて全く知らなかつたのである。

このやうな經緯の評價に對して、占領憲法は「占領軍の壓力の下で、議會も混聲合唱をしたにすぎぬとみる見方(注・レーベンシュタインの指摘)もあるが、改正審議のために選擧をおこなって構成された議會において議論をつくしたうえでの、全會一致にちかい壓倒的多數の贊成を、無意志の人形の協同動作だとするのは、あまりにも偏った極言だといわねばならない。議員の贊否の意志の表明も、自由な決定だったはずだからである。」とする見解(小林直樹)や、「日本國憲法の制定は、不十分ながらも自律性の原則に反しない」(芦部信喜)とする見解もあるが、これは第二章で明らかにしたとほり、その審議過程やその背景事情を全く無視して歴史を捏造する舞文曲筆の賣國的言説であつて、それこそ「あまりにも偏つた極言」である。

他方、このやうな見解の論者は、これとは逆に、今度は占領憲法の解釋において、「國家權力が特定の思想を勸奬することも、形式的には強制でないにせよ實際上は強制的に働くから、やはり本條(占領憲法第十九條)の禁ずるところと解すべき・・・」(青林書院新社『注釋日本國憲法上卷』青林書院新社)として、思想的勸奬をなす國家行爲ですら「強制」に該當するとして無效とするのである。この論理をそのまま占領憲法制定時に當てはめれば、罰則を以て強制した國家行爲によつて形成された見せ掛けの國民の意思形成なるものを當然に無效とする結論以外はありえないのである。餘りにも有效論者の論旨は支離滅裂である。

ところで、平成七年になつてやうやく公開された衆議院憲法改正委員會小委員會の議事録によると、小委員會とは名ばかりで、その審議と稱するものの實態は、GHQの求めに從つて、英文の翻譯を忠實に行ふ「翻譯委員會」の翻譯作業手續に過ぎず、憲法改正手續としての實體がなかつたことが明らかとなつた。このことを踏まへて、占領憲法無效論者の中には、「法律論議をするまでもなく事實關係からして無效」といふ見解(小山常実)もある。勿論、無效であることは確かであるが、無效といふのは法的評價であるから、事實關係から法律論議をして無效であるといふ意味であらうと受け止めたい。「審議」自體が事實として「不存在」であつたと同視しうるほど、それには事實實體がなかつたといふ意味では、この見解は正しい。

また、第二章でも述べたが、昭和二十一年十月一日、貴族院の帝國憲法改正案特別委員小委員會(第三回)において、宮澤俊義(貴族院議員)は、「・・・憲法全體ガ自發的ニ出來テ居ルモノデナイ、指令サレテ居ル事實ハヤガテ一般ニ知レルコトト思フ。重大ナコトヲ失ッタ後デ此處デ頑張ッタ所デサウ得ル所ハナク、多少トモ自主性ヲ以テヤッタト云フ自己僞瞞ニスギナイ・・・」と發言し、帝國憲法改正作業がGHQの指令に基づく「自主性の假裝(自己僞瞞)」であることを告白したことでも解るやうに、帝國憲法の改正を拒否しうることも、その改正案審議に自主性を持つことも全くなかつたのである。そして、その最たるものとして、同月六日、貴族院本會議で送付憲法改正案を修正可決したのであるが、このとき、GHQは、貴族院での審議に時間をかけて審議未了により憲法改正案を廢案にしようとする動きを牽制するために、帝國議會の大時計が午後十一時五十五分を指したときに、この大時計を止めて、名目上は同日に可決させることを強要した。この事實を知つた貴族院では、審議未了による廢案に追ひ込むのは不可能であると斷念して審議を繼續し、實際に修正可決したのは、翌朝(七日の夜明け)であつた。そして、直ちに衆議院に再び回付され、衆議院は、これを特別委員會に付託することもなく本會議に上程し直ちに起立方式で採決を行つた。「五名ヲ除キ、其ノ他ノ諸君ハ全員起立、仍テ三分ノ二以上ノ多數ヲ以テ貴族院ノ修正ニ同意スルコトニ決シマシタ。之ヲ以テ帝國憲法改正案ハ確定致シマシタ」との議長の宣告がなされた。このやうに、外國勢力の暴力によつて強制的に占領憲法は形式上の成立を見たのである。

從つて、このやうな諸事情からすれば、帝國議會の帝國憲法改正案審議自體に實質上も手續上も著しく重大な瑕疵があつたことになり、占領下の憲法制定ないし改正としての占領憲法は、帝國憲法の改正として、かつ、實質的意味の憲法(規範國體)としては絶對的に無效である。

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