國體護持總論
トップページ > 著書紹介 > 國體護持總論 目次 > 【第三巻】第三章 皇室典範と憲法 > 第六節:效力論爭の前提

著書紹介

前頁へ

憲法調査會

我が國は、獨立後の昭和三十一年に『憲法調査會法』を制定し、これに基づいて、憲法調査會が設置された。これは、内閣に設置された審議機關であり、國會議員三十名、學識經驗者二十名の計五十名以内の委員で構成され、「日本國憲法に檢討を加え、關係諸問題を調査審議し、その結果を内閣及び内閣を通じて國會に報告する。」(同法第二條)といふものであつた。

日本社會黨は、これが憲法改正の布石となるとの懸念を表明して參加を拒否したこともあつて、委員の大半は似非改憲論者で占められた。

そして、昭和三十九年七月三日、なんと八年餘の歳月をかけて、本文約二百頁、付屬書約四千三百頁、總字數約百萬字にのぼる『憲法調査報告書』が完成した後、翌四十年に同法が廢止されて憲法調査會はその任務を終へた。ところが、この報告書には、致命的な缺陷と誤魔化しがあつた。それは、當時、占領憲法の制定經過の事實と評價において、根強い「無效論」があつたにもかかはらず、無效論の學者を委員から一切排除し、すべて有效論の學者のみをもつて憲法調査會が構成され、しかも、有效論と無效論の兩論を公正に併記し、それぞれ反論の機會を與へるといふ公平さを全く缺いた内容となつてゐたからである。

この報告書では、當時の無效論をどのやうに扱つたかと言へば、僅か半頁、しかも實質には約百字で紹介されたに過ぎない。たつた百字で無效論が語れるとでも言ふのか。百萬字の報告書のうちのたつた百字。一萬分の一である。そして、報告書曰わく「調査會においては憲法無效論はとるべきでないとするのが委員全員の一致した見解であった」としてゐる。無效論を唱へる者を誰一人委員に入れずして、「委員全員の一致した見解」とは誠に恐れ入つた話である。

そして、再び、平成十一年の國會法改正によつて、占領憲法の多角的調査を行ふことを名目として、翌十二年に衆參兩議院に「憲法調査會」が設置されたが、ここにも無效論者の委員は存在しない。占領憲法が有效であることを大前提として議論がなされ、平成十七年四月に、衆議院では第九條と前文などについて改憲の必要性があるとし、參議院では改正の方向を示さない内容の最終報告書が議決されて終はつた。

このやうに、出生の祕密を隱し續けたまま占領憲法を作つたマッカーサーの掌の上で、護憲か改憲かといふ踊りを繰り廣げて茶番の報告書を作成し、かくして「占領憲法眞理教」といふ「國教」が誕生したのである。

続きを読む