國體護持總論
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追認の時期と手續

北朝鮮に拉致された犯罪被害者が無條件かつ無制約の歸國の實現と強迫觀念からの解放による自由意思の保障がなされた環境が與へられるといふ「原状回復」が實現しない限り、假に、再び北朝鮮で生活するといふ選擇をさせてはならないのと同樣、本土獨立後も日米安全保障條約といふ方式による占領政策の繼續し、かつ、戰勝國による國際連合體制が繼續してゐる現在の情況では、未だに原状回復が果たされたといふことはできない。それゆゑ、「追認は、取消しの原因となっていた状況が消滅した後にしなければ、その効力を生じない(追認ハ取消ノ原因タル情況ノ止ミタル後之ヲ爲スニ非サレハ其效ナシ)」(民法第百二十四條第一項)とあるやうに、その時期において、未だ追認をなしえないのである。

そして、このことは、假に、追認がないものの追認がなされたと看做すべき行爲があつたとしても、民法第百二十五條の法定追認を主張する法定追認有效説についても同樣である。つまり、「追認をすることができる時(追認ヲ爲スコトヲ得ル時)」に至つてゐないからである。

もし、追認をなしうるとすれば、その時期は、現在の國連體制と日米安保體制からなる占領繼續體制が解消した後のことである。具體的には、日米安保條約が對等雙務條約と變更されるか、あるいは解消されるかのいづれかとなり、國連が解體され、あるいは我が國が國連を脱退して自立し、または、戰勝國のみで構成する非民主的な常任理事國制度と敵國條項が廢止され、少なくとも戰勝國ではない中共や共和制ロシア(ソ連崩壞後の新國家)が常任理事國から排除され、北方領土が返還されて分斷國家状態が終了してからのことである。

しかも、少なくとも政府が國民に對し、占領憲法の出自の祕密を暴露して啓蒙し、十分に周知させて判斷させる措置を講じた後でなければ、追認しうる時期は到來しない。帝國憲法改正案審議を行つた衆議院憲法改正特別委員會の小委員會(祕密懇談會)議事速記録は、印刷されないまま衆議院事務局に保管されままとなつてゐたのであり、それが平成七年になつてやうやく公開された程度で、しかも、それは一部の者しか知り得ない程度で、これを啓蒙周知させる措置はいまもなほ爲されてゐないのである。

ところで、前述したとほり、追認有效説は、占領憲法を「取消しうべき行爲」であるとして追認するのか、あるいは「無效行爲」であるとして追認するのかが定かではない。しかし、帝國憲法の改正行爲が「取消しうべき行爲」であるとするのは、そもそもその根據に乏しいので、やはり「無效行爲」として追認を想定してゐるのであらう。また、法定追認有效説は、おそらく「無效行爲の法定追認」を主張するものと思はれるが、無效行爲の追認にはそもそも法定追認の規定はなく、類推適用もされない。この法定追認の制度は、取消しうべき行爲といふ不確定な法律状態を速やかに解消するために、たとへ追認の意思表示がないとしても、これと同視できる行爲や表示があれば、それは追認と看做すことによつて利益衡量を實現するための規定であるから、初めから無效であるものを特段の意思表示もなしに殊更に有效とすることは私的自治の原則に違反し、當事者にとつては不意打ちとなるからである。

このやうに、無效行爲の追認を想定して構築された追認有效説や法定追認有效説は、その出發點において論理破綻を來してゐることになる。

さらに、本質的な問題として、「無效行爲の追認」が絶對に不可能であることの理由がある。つまり、民法第九十條によれば、「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする(公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反スル事項ヲ目的トスル法律行爲ハ無效トス)」と規定し、いはゆる公序良俗違反の行爲は絶對無效であるとするのであつて、このことは占領憲法の效力論においても妥當する。公序良俗違反の典型例として、人身賣買の例で説明すれば、これは人權の否定であり違憲の行爲であるから許されないのであつて、人身賣買の行爲は無效であるといふことである。そして、この無效といふのは絶對無效であつて、事後に追認することも許されない。もし、これを許すのであれば、結果的には公序良俗違反を肯定することとなつて法の趣旨に反するからである。それゆゑ、追認自體が無效であり、追認しても人身賣買は有效とならない。これが絶對無效といふ意味であり、占領憲法は、そもそも追認をなしえないものなのである。

さらに言へば、詐欺、強迫の場合は取消うべき行爲であつて、事後の追認によつて有效となる私法理論を憲法や條約などの公法にそのまま適用されるかといふとさうではない。むしろ、公法においては、詐欺、強迫は取消うべき行爲(暫定的有效)ではなく、「無效」であるとすることが多い。たとへば、後にも觸れるが、我が國も締結した『條約法に關するウィーン條約(條約法條約)』といふものがあり、これによると、條約が無效となる事由として、①「條約を締結する權能に關する國内法の規定」に違反した場合(第四十六條)、②「國の同意を表明する權限に對する特別の制限」に違反した場合(第四十七條)、③「錯誤」があつた場合(第四十八條)、④「詐欺」があつた場合(第四十九條)、⑤「國の代表者の買收」があつた場合(第五十條)、 ⑥「國の代表者に對する強制」があつた場合(第五十一條)、⑦「武力による威嚇又は武力の行使による國に對する強制」があつた場合(第五十二條)、⑧「一般國際法の強行規範に牴觸する條約」である場合(第五十三條)を掲げてゐる。公法規範がこのやうな事由によつて成立したとしても、それは私法における公序良俗違反による無效以上の否定的な評價が下されるといふことである。憲法と條約との關係において、いづれが優位するかは別としても、これらは共通した公法上の法理であるから、軍事占領下といふ強迫状態での占領憲法は「無效」であつて、これを「追認」することはできないのである。

このやうに、憲法の條項に違反する行爲が絶對無效であるのならば、憲法自體を否定した上で憲法の條項にも違反する行爲は、さらに違法性が著しいので絶對無效であることは當然のことである。占領憲法の制定は、帝國憲法を否定し、その條項(第七十五條)にも違反する行爲であるから、占領憲法の規範定立行爲(制定行爲)は絶對無效であつて、帝國憲法の改正行爲として追認することも絶對にできないのである。

從つて、追認ないしは追認と同視しうるとする「法律行爲」を以て有效とすることはできないのであるから、ましてや、追認有效説及び法定追認有效説以外の後發的有效論のやうに、「既成事實」とか「定着」、ないしは時間の經過といふ「事實」を以て有效化しうる根據はない。

附言するに、追認有效説と法定追認有效説が論理として成り立ちうるのは、これらの説が憲法改正の限界に關して無制限説を採る場合に限られるといふことである。制限説を採るのであれば、そもそも追認も法定追認も認められることはないのである。それを認めれば、追認の場面だけが無制限説となつてしまふのであり、論理矛盾となるからである。

また、追認の手續についても、前に「追認と法定追認」のところで述べたとほり、規範が追認されるための手續は、規範定立行爲と同樣同等の方法によらなければならないのは當然である。それが憲法の制定であれば、憲法の制定と同樣同等の方法、まさに「憲法制定手續に基づく追認」がなされなければならない。それは帝國憲法第七十三條に基づくことになるが、貴族院と樞密院といふ機關が缺損してゐることから、その問題が治癒されなければならず、直ちに追認手續を行ふ要件を缺いてゐる。ましてや、國會(加害者)は帝國議會(被害者)ではないので、國會の追認などは噴飯ものである。假に、占領憲法下での追認を肯定できるとする見解に立つたとしても、占領憲法第九十六條の改正手續を代用する以外にはない。このやうな見解からすると、憲法改正權は、憲法制定權力(制憲權)を超えることはできないとするのであらうから、せめて憲法改正手續を借用して、制憲權の瑕疵を追認できるとすることになるはずである。つまり、「憲法の追認」とは制憲權の行使そのものであるから、これを簡易な手續や事實の存在を根據に肯定するとなると、その憲法は「軟性憲法」となり「硬性憲法」ではなくなるのである。ところが、その憲法の改正については「硬性憲法」の性質を持つといふのは、あたかも、「子が親を生む」といふか、「山より大きい猪が出た」といふことに比肩される致命的矛盾を來すことになるからである。

つまり、せめて占領憲法の改正手續(第九十六條)に從つて占領憲法の「追認」手續をなすべきであるとの主張が追認説や法定追認説から出ないことは、これらの見解のいかがわしさを證明してゐることになる。しかし、假に、その改正手續に從つて國會で發議され國民投票で承認されたとしても追認とはならないことは前に述べたとほりである。むしろ、國會で追認の発議が否決され、あるいは國民投票の結果において不承認となつたときは、占領憲法を追認しないといふ政治意思が表明されたものとして、占領憲法の無效が政治的にも確定することになるのである。

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