國體護持總論
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獨立の概念

第四章 國内系と國際系

 とつくにの ちぎりをのりと みまがひて まつりごつやみ はらひしたまへ

  外國の契り(條約)を法(憲法)と見紛ひて政治する闇祓ひし給へ




我が國は、斯くして桑港條約によつて本土に限つて占領統治から脱却した。それに至るまでの非獨立時代(占領時代)に實施された占領政策は、國體、憲法、政治、言論、文化、傳統、民生、經濟など我が國の全事象において、有無を云はせないGHQによる暴力的な他律的變更と破壞であり、これによつて我が國の戰後體制が構築された。そして、この變更と破壞後の状態(戰後體制)が今もなほ維持繼續してゐることについて、これを結果的にも肯定的に受け入れることは、論理的に云へば、少なからず「暴力容認」の立場に他ならない。政治的な彈壓をなし、政治的自由を否定し檢閲を強行して非民主的、暴力的に構築された占領憲法を頂點とする戰後體制の諸制度は、それまで何もなかつたかの如く臆面もなく自由主義と民主主義を標榜するといふ自己矛盾を犯してゐる。戰後體制は、「目的のためには手段を選ばない。」といふ暴力肯定の論理と、「暴力で構築した占領憲法體制を暴力で轉覆させることは許さない。」といふ手前味噌の二重基準をともに肯定できなければ維持しえないのである。そして、このことを國法學的に考察すると、後に述べるとほり、占領憲法の效力論に歸着することになるが、その前に整理しておかねばならない前提問題がある。それは、我が國は、占領統治から脱却したものの、果たして、これによつて自立・自律の立場の回復、すなはち「獨立」したと云へるのか否か、そもそも「獨立」といふのはどういふものなのか、といふことについて、考察しておく必要がある。

「國家」の概念についても同樣であつたが、國家の本質を明示して定義するといふ演繹法による説明は極めて困難であり、やはり、ここでも「獨立」の本質を明示することは困難である。そこで、「國家」の場合と同じく、「獨立」の屬性を列擧して記述する歸納法による説明によることになる。

そこで、少し觀點を變へて、前にも述べたが、國家といふものが、ミクロからマクロの宇宙との相似性をもつことからして、前に述べたやうな物理學でいふところの、「孤立系」、「閉鎖系」、「開放系」の三つの物理系の分類と比較して、獨立國家とは、このいづれに近いのかといふことを考へてみたい。

鎖國をしてアウタルキー(自給自足經濟)を實現してゐる國家の場合は、貿易による物流や情報の流入がないので孤立系であると思はれるが、貿易などによる國際交流がなされるやうになると、國家は、閉鎖系へ、そして開放系へ變化していくのであらう。特に、現代の國家は、國民も領土も、國際規範も情報も、そして物質もエネルギーも、他國と相互に交換しうる體系であるから「開放系」であると思はれるが、生體が安定した定常状態の「動的平衡」の存在であることからして、國家もまたこれに相似してゐる。國民と領土は、國際規範や情報、物質とエネルギーほどには流動的ではないことから、完全な一律の開放系ではなく、閉鎖系に似てゐる。それゆゑ、獨立國といふのは、國家の同一性を動的平衡を維持して存續する状態であつて、完全な開放系への方向は、動的平衡を失つて獨立をうしなうふ方向となる。國民と領土、規範と情報、それに物流が他國に完全に依存することが獨立の喪失といふ現象であり、その逆が獨立の回復である。

その意味では、自由貿易の名の下に、食料、物資、エネルギーの自給率を低下させることは獨立の喪失方向であり、そのことは、國際規範と情報を他國に依存し從屬することもまた獨立を喪失する方向である。ここでいふ「國際規範」とは、條約によつてもたらされる。つまり、「國内系」と「國際系」とを連結共有する規範は、條約(講和條約を含む)によつて形成され、強國は弱國の法體系に對して、いはば脇腹から條約といふ「合法的な内政干渉」を行ふことになる。

つまり、國際社會において、國家の獨立について考へるとき、それは「國内系」と「國際系」の相關關係を無視しては不可能である。そして、この「國内系」と「國際系」とは、全く別個の理念で支配された別の體系である。前者においては、「法(正義)の支配」が一般であるのに對し、後者は、「暴力(實力)の支配」であり、その相克の歴史が近現代史なのである。

思ふに、我が國は、明治期において幕藩體制を統合した統一國家と變化したが、政治學的には、その後、千島全島、琉球、臺灣、南樺太、韓半島などを併合して、大和民族を中核民族とした廣域多民族國家へとさらに變化し、徐々に民族同化政策を推進させる大融合國家への道を歩み出し、さらに、滿洲帝國との「國家連合關係」を持つに至つた。

ところが、大東亞戰爭の敗北によつて、國家連合が消滅するとともに、廣域多民族國家は「分裂」し、さらに、當初の統一國家も「分斷」したのである。

桑港條約の發效によりわが國は本土だけの獨立を果たしたが、沖繩縣と小笠原諸島、北方領土、竹島の我が領土の一部については一體となつた獨立回復が果たされてゐなかつたので、本土は、分斷國家として獨立したのであつた。そして、沖繩縣や小笠原諸島が返還されても、現在もなほ北方領土と竹島は、實質的には占領統治の繼續として他國の實效支配下に置かれて、わが國は、領土的にも國際法的にも、現在なほ分斷國家のままである。つまり、停戰前の領域を回復した「統一國家」には至つてゐないのである。

本土のみで獨立し、その後に沖繩縣と小笠原諸島が返還復歸したことだけで、獨立の實質的な内容を考察せずに、たゞ抽象的に獨立を論じても全く意味がない。國家といふのは、前にも述べた①恆久的住民、②支配領域、③統治權力(政府)、④對外的獨立といふ屬性を滿たすものでなければならず、このうち、すべては④の對外的獨立(對外主權の不可侵性)に集約される。これが侵害されれば、廣義の外交權によつて原状回復がなされなければ、獨立を保持したことにならず、ひいては獨立國家とは認められない。勿論、廣義の外交權といふのは、平和的外交の外に、交戰權(宣戰權、統帥權、講和權)を含むのであつて、交戰權が認められない占領憲法が憲法として有效であれば、領域侵犯に對する先制的な實力措置を講ずることができないことになり、我が國は獨立した國家であるとは云へないことになる。

そして、我が國が獨立してゐない證左として擧げられるのは、邦人拉致問題と領域(領土、領海、領空)問題の實相からである。分斷國家である我が國が眞の獨立を果たすためには、邦人拉致問題と領域問題に共通する解決の原則がある。それは、「原状回復論」である。①に關して邦人が拉致され、②に關して邦土を侵略されたときは、その侵害を排除して、それ以前の状態(原状)に無條件で回復されなければ對外主權の不可侵性は維持されず、その後の賠償清算をも含む「解決」のための端緒とはなりえないといふ原則のことである。

邦人拉致問題については無條件の原状回復しか對外主權(獨立)の侵害排除はありえないことは當然のことであるが、ここでは、領域問題について觸れることにする。


領域とは、領土、領海、領空のことであるが、このうち、基點となるのは領土問題である。領土が確定すれば領海と領空が確定するからである。しかし、多くの人は、領土にしか關心がない。我が國は舊安保條約と新安保條約によつて、領土内には數多くの米軍の海軍、空軍の基地を提供したが、その基地の領土的面積が全國土面積との比較において比率が少ないと認識した上で獨立したと錯覺するのであらう。しかし、これは、それ以外の國土の間接占領統治が終はつたといふだけで、特定地域を接收して直接占領統治をしてゐたGHQの占領期の態樣と全く變化はない。舊安保條約第三條に基づいて昭和二十七年二月二十八日に調印した『日米行政協定(日本國とアメリカ合衆國との間の安全保障條約第三條に基く行政協定)』や新安保條約第六條に基づいて昭和三十年一月十九日に調印した『日米地位協定(日本國とアメリカ合衆國との間の相互協力及び安全保障條約第六條に基づく施設及び區域竝びに日本國における合衆國軍隊の地位に關する協定)』には、安政五年(1858+660)に締結した安政の五カ國條約を彷彿させるやうな治外法權を含む不平等事項があり、その意味からすれば、我が國は、未だに「半獨立状態」であつて、いまもなほ完全に獨立したとは云へない状態である。つまり、本土ですら、未だに完全に獨立してゐないといふことである。

そして、何よりも多くの人々の錯覺は、領海と領空についてである。米軍基地は、その基地から海と空に無限に廣がつてゐる。領海においても基地提供のために我が國の領有權は制約され、米軍に對しては無害通航權のみならず一切の通航權を許諾してゐる。さらに、領空に至つては、完全に米軍に制空權を制壓されてゐる。つまり、桑港條約と沖繩返還協定によつて回復した領域といふのは、領土と領海の大半部分にとどまり、制空權は未だに回復してゐないのである。雨露を凌げる家を獨立國に喩へれば、我が家は、他人が大手を振つて間借りし、庭の一部と離れも他人が占據し、壁には穴が空き、家人が連れ去られたりすることがあるほど戸締まり不充分で、しかも、屋根が吹き飛ばされた状態のボロ家である。

しかも、これまでの獨立の概念は、專ら政治的獨立であり、本來なら國家經綸の根幹である軍事、財政、經濟における對外主權は、ヤルタ・ポツダム體制を承繼した國連體制、GATT・IMF體制(WTO體制)及びNPT體制などによる連合國の「世界主義」に組み込まれて制約され、眞の獨立にはほど遠い状況にあると云へる。

ともあれ、これらの現實を直視した上で、まづは領域問題の基點となる領土問題に照準を合はせ、桑港條約發效後に顯在化した、千島全島、南樺太、尖閣諸島、竹島などに關して以下に考察してみたい。それによつて、占領統治と領土問題との關連を鳥瞰し、占領憲法と桑港條約の法的性質を考へる上で示唆を與へてくれるはずである。

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