國體護持總論
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退位問題

ところで、敗戰による不利益の受容といふ點に關して、天皇の退位に關して議論されたことがあつた。しかし、これは決して、退位すべき義務があるといふ意味での「戰爭責任」を意味しない。そのやうな意圖で議論されたことがあるが、それは感情論であつて論理性はない。なぜならば、正統典範は勿論、占領典範にも退位の規定も退位の義務を定めた規定もない。從つて、退位の義務のないところに退位責任は存在しないのである。

實のところ、先帝陛下は、過去三回に亘つて退位の意向を表明されたことがある。一回目は、敗戰直後に、自ら退位することによつて敗戰國の責任を一人で負へないか、と木戸幸一内大臣に漏らされたが、木戸がこれに反對した。その理由は、GHQに退位の意圖が誤解され、あるいは皇室の基礎に動搖があると誤解されることになるのではないかとの理由からであつた。その後、アメリカの國務・陸軍・海軍三省調整委員會の極東小委員會は、天皇が自ら退位し、かつ訴追する正當な理由がある場合には、天皇を戰爭犯罪人として逮捕し裁判にかけるべきであるとする意見書が提出されたことからすると、木戸の豫測は正しかつたことになる。二回目は、東京裁判の判決を控へた時期である。A級戰犯に對する判決に合はせて自らも退位といふ形で責任を取りたい、といふ意向を表明されたが、退位による混亂を恐れたマッカーサーの反對があつて撤回された。三回目は、講和條約調印直前の昭和二十六年秋のことである。巣鴨プリズンに服役中の木戸が宮内廳式部長官松平康昌を介して、皇祖皇宗と戰犯を含む國民に對する敗戰責任として退位されることが皇室を中心とする國家的團結に資するのではないかと内奏し、天皇もこれに受け入れて希望されたが、吉田首相の贊同が得られず見送りとなつた。

このやうに、結果的に退位されなかつたことは重大な意義がある。それは、「火のない所に煙は立たぬ」といふやうに、もし、退位なされれば、何らかの非があつたとの憶測を生むことになるからである。また、退位の制度がないので、單なる假定の話ではあるが、東京裁判開廷前の訴追可能な時期に退位されて上皇となられたならば、「天皇訴追」といふ事態が回避され、上皇のご身分として訴追がなされる危險が大きかつたといへる。その意味からも最後まで退位されなかつたことは國體不變の意味からも誠に喜ばしい限りであつた。

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