國體護持總論
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講和條約群と占領憲法

昭和二十年八月十四日のポツダム宣言の受諾、同年九月二日の降伏文書の調印に基づいて我が國の獨立が奪はれ、GHQの軍事占領下での占領憲法の制定と極東國際軍事裁判の實施を受忍し、昭和二十六年に『日本國との平和條約』(桑港條約)が締結されて翌二十七年四月二十八日に我が國が獨立を回復するまでの道程は、前に述べたとほり、帝國憲法第十三條の講和大權を拔きにしては語れない。

これまでも述べてきたが、占領憲法第九條第二項後段には、「國の交戰權は、これを認めない。」とあるため、交戰權を有しない國家であれば、交戰後の講和も締結する權限をもないことになるので、桑港條約の締結權限は、やはり帝國憲法の講和大權に求めざるをえないからである。

まづ、ポツダム宣言の受諾とこれに引き續く降伏文書の調印とは、講和大權の發動により、大東亞戰爭の戰闘行爲を終結(停戰)し、皇軍の無條件降伏と皇軍の完全武裝解除を約定した講和條約である。これにより我が國は獨立を喪失して、長い「非獨立トンネル」に入つた。そのことから、これらは、この非獨立トンネルの入口に位置する「入口條約」としての「獨立喪失條約」といふべき性質の講和條約である。そして、この獨立喪失條約の履行として占領憲法の制定と極東國際軍事裁判を受容し、それを踏まへて、桑港條約を締結して我が國はやうやく獨立を回復したのであるから、この桑港條約は、非獨立トンネルの出口に位置する「出口條約」としての「獨立回復條約」といふべき性質を有する講和條約である。そして、このポツダム宣言の受諾から桑港條約の締結までのGHQ軍事占領下の「非獨立トンネル」時代にGHQの強制によつてなされた立法行爲その他の政府の行爲もまた一連の講和條約群の講和行爲として構成されるものであつて、その頂點に位置する占領憲法もまたこの講和條約群の「中間條約」として制定されたものと評價できるのであつて、この點について、さらに詳細に以下に考察していくこととする。

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