國體護持總論
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立法義務條約

ともあれ、我が國における實際の占領統治について見てみると、ポツダム宣言は、保障占領を求めてをり、占領終了後の再軍備についても否定したものの(第十一項)、桑港條約では再軍備を否定しなかつたので、これはあくまでも大權事項の一時的な制限、停止の要求であつた。そして、實際においても、後述するとほり、桑港條約發效により獨立し、これまで制限、停止されてきた障碍が喪失して、個別的自衞權及び集團的自衞權が認められて復活したことから、これら制限、停止されてきた大權事項もまた全て復元したと解されることになる。

このやうに、講和大權の權限内容とは、①規範國體(根本規範)に屬する事項について改廢はできず、暫定的な效力の停止または制限のみができる權限であること、②規範國體以外の通常の憲法規範(統治技術的な規定など)については、規範國體を維持する必要がある場合に限つて、對外的にその改正義務を負ふことを内容とする講和條約(立法義務條約)を締結する權限があること、の二點に集約される。

そして、入口條約である獨立喪失條約(ポツダム宣言、降伏文書)、中間條約である占領憲法(東京條約、占領憲法條約)、出口條約である獨立回復條約(桑港條約)といふ國際系の講和條約群は、講和條約としては有效であつても、國内系においては、規範國體と齟齬し牴觸する限度において無效であり、その齟齬する部分については、對外的には事後(獨立後)において國内法秩序への編入を義務付けられるといふ效力があるといふことになる。あくまでも憲法の改正は、事後(獨立後)において帝國憲法第七十三條による「正系」の憲法改正手續によるものであつて、同第十三條による「閏系」の講和條約締結手續で改正されることはない。

入口條約である獨立喪失條約(ポツダム宣言、降伏文書)は、前に述べたとほり、講和條約群の性質と内容を決定づける總論的な「基本條約」であるから、ここに憲法改正義務が明文化されてゐない限り、占領憲法(東京條約、占領憲法條約)にも憲法改正義務はない。ましてや、これに憲法改正義務があるとすることは、有條件降伏であり憲法改正義務を謳はなかつたポツダム宣言、降伏文書に違反することになり、武装解除がなされた後の抗拒不能の「戰爭状態」下における一方的な不利益變更であるから、このやうな場合に、これまでになかつた憲法改正義務を追加して義務付けることはできない。

ましてや、占領憲法(東京條約、占領憲法條約)は、時際法的處理がなされてゐないことから、國内法においては憲法的慣習法に留まつてゐるので、假に、この義務規定があつたとしても、國内法への編入が正式になされてゐないことから、その義務は「未發效」である。

また、もし、講和條約(中間條約)としての占領憲法(東京條約、占領憲法條約)に帝國憲法の改正義務があるとするのであれば、そのやうな解釋はヘーグ條約の條約附屬書『陸戰ノ法規慣例ニ關スル規則』第四十三條(占領地の法律の尊重)にも違反することになる。なぜなら、同條は、「國ノ權力カ事實上占領者ノ手ニ移リタル上ハ、占領者ハ、絶對的ノ支障ナキ限、占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ、成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ回復確保スル爲施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ盡スヘシ。」と規定してをり、連合國の軍事占領下においては、帝國憲法第八條の緊急敕令などによつて占領政策を支障なく實施しえたのであるから、帝國憲法を改正しなければならないやうな「絶對的ノ支障」は全くなかつたからである。帝國憲法は、國家緊急時に對應する規定(第八條、第十四條、第三十一條、第七十條など)が存在し、さらに、臣民の權利義務(第十八条ないし第三十二條)についてはその殆どが法律事項となつてゐるなど、極めて柔軟かつ彈力的に運用しうるものであつたからである。

從つて、いかなる意味においても、占領憲法(講和條約)において憲法改正義務を認めることはできず、時際法的處理がなされてゐないことによる國内系の憲法的慣習法であつても、下位規範である憲法的慣習法が上位規範である帝國憲法の改正を義務付けることなどは法理論からしても到底ありえないことである。


また、百歩讓つて、假に、國際系の講和條約群によつて、對外的、外形的には帝國憲法改正義務らしきものを負担することになるとしても、これは決して國内系において帝國憲法改正義務が發生する根據とはならない。あくまでもこの義務は、講和條約上の國家間における政府の對外的義務であつて、國内法秩序體系において、講和條約に副つた立法措置を講ずる義務を意味するだけであり、これについても國内法秩序への編入における立法方式が採られなければ效力を有しないことはこれまで述べたとほりである。憲法改正以外の方法で立法措置を講ずることは可能であるから、そのやうな程度の義務は決して憲法改正義務ではない。もし、それを課すとすれば、前述したとほり、憲法改正義務を謳はないポツダム宣言及び降伏文書に違反することになり、その義務は無效であつて、むしろ、我が政府にもその義務はない。

むしろ、假に、この對外的な國際系の帝國憲法改正義務といふものがあるとすれば、それは國内系の法秩序からすれば「奇胎」であるから、早晩この相剋を解消させるために、帝國憲法改正を義務付けたものと解釋しうる可能性のある講和條約の條項を改定ないしは破棄するなどしてその義務を消滅させる憲法上の義務を負ふことになる。

このやうに、講和大權は、天皇大權の中でも特別な序列的地位にある。これは、講和大權が、宣戰大權によつて開始された戰爭に敗北した場合に、その敗戰處理のための内政干渉的な講和條約の締結を餘儀なくされることによつて、國内系と國際系との關係性を有することを想定した特殊性からくるものであり、同じく帝國憲法第十三條に規定する大權のうちでも、一般の條約を締結する大權(一般條約大權)とは大きくその性質を異にする。宣戰大權、講和大權及び一般條約大權が、ともに帝國憲法第十三條に規定されてゐるのは、いづれも國際系との關係性を持つ大權であるから、それを一纏めにして列記されてゐるためである。しかし、宣戦大權と講和大權といふ戰爭の顛末處理のための「戰時」における大權とは異なり、一般條約大權は、戰爭によらない場合の「平時」における國際系との關係性を守備範圍とする點で大きくその性質を異にする。非常事態における國家緊急權に含まれる宣戰大權と講和大權と、さうでない一般條約大權とでは、その性質や権限態樣を異にするのは當然である。それゆゑ、一般條約大權は、平時における統治大權と同樣に、立憲主義が嚴格に貫かれるために、規範國體はもとより、通常の憲法律に違反することもできないことは自明のことである。

なほ、國際的な軍縮條約を締結するときは、編制大權(帝國憲法第十二條)をその限度で制約することになるが、それは一般條約大權が編制大權よりも優位の序列に位置するためであつて、これは編制大權の内在的な制約であると言へる。それゆゑ、第一章及び第二章で述べたとほり、一般條約大權に基づいて締結されたワシントン海軍軍縮條約(大正十一年)とロンドン海軍軍縮條約(昭和五年)によつて編制大權がその限度で制約されたのは、一般條約大權の行使に伴ふ反射的な當然の結果であつて、そのこと自體においては「統帥權の干犯」が起こりうる餘地が全くなかつたのである。

ともあれ、ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印の結果、「皇軍の無條件降伏」は「統帥大權(帝國憲法第十一條)の停止」として、「皇軍の完全武裝解除」は「編制大權(同第十二條)の停止」として、さらに、「軍事統治による保障占領の受忍」は「統治大權(同第四條)の制限」として、それぞれ暫定的なものとして受け入れることを具體化したのである。

また、この外にも「カイロ宣言の條項は、履行せらるべく、又日本國の主權は、本州、北海道、九州及四國竝に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし。」(第八項)として領土の侵奪を受け入れ、「吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戰爭犯罪人に對しては、嚴重なる處罰を加へらるべし。」(第十項前段)との規定が不当に拡大適用されて極東國際軍事裁判その他の戰犯處罰を受容した。さらに、「日本國は、其の經濟を支持し、且公正なる實物賠償の取立を可能ならしむるが如き産業を維持することを許さるべし。但し、日本國をして戰爭の爲再軍備を爲すことを得しむるが如き産業は、此の限りに在らず。右目的の爲、原料の入手(其の支配とは之を區別す)を許可さるべし。日本國は、將來世界貿易關係への參加を許さるべし。」(第十一項)との經濟産業に對する統制と制限を講和大權の發動により受け入れたのである。

そして、「日本國政府は、日本國國民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に對する一切の障礙を除去すべし。言論、宗教及思想の自由竝に基本的人權の尊重は、確立せらるべし。」(第十項後段)として、表面上は民主主義的傾向の復活強化と基本的人權の尊重を受け入れたこととなつてゐるが、實際は、「吾等は、無責任なる軍國主義が世界より驅逐せらるるに至る迄は、平和、安全及正義の新秩序が生じ得ざることを主張するものなるを以て、日本國國民を欺瞞し、之をして世界征服の擧に出づるの過誤を犯さしめたる者の權力及勢力は、永久に除去せられざるべからず。」(第六項)として、特定の思想と政治勢力の排除をも講和大權の發動により受け入れた。つまり、GHQによる自由主義の否定(思想統制)を受け入れざるを得なかつたのであつた。

そこで、このやうな状況下での占領憲法の成立過程を考へるとき、占領軍の強い影響下でGHQの要求と承認によつてなされたといふ政治的かつ社會的な現象としてとらへてみると、占領憲法は「欽定憲法」でも「民定憲法」でもなく、アメリカが制定したとの趣旨から「米定憲法」であるとする見解の方がより正鵠を得てゐるかも知れない。しかし、占領憲法は、到底「憲法」ではありえなし、しかも、アメリカが單獨で制定したものでもない。假に、占領憲法を「憲法」であるとして議論を進めるとすると、占領憲法の實相は、欽定憲法でも民定憲法でも米定憲法でもないとすれば、「協定憲法」といふ種類に屬することになる。この協定憲法といふ憲法は、合意又は契約に基づいて制定される憲法のことで、この中には、君主と人民(代表)との合意で制定される「協約憲法」(一八三〇年フランス憲法など)や、次に述べる「條約憲法」が含まれる。そして、占領憲法は、その中でも、連合國と日本國との間でなされた條約憲法の一種といふことになるのである。

この條約憲法とは、アメリカ合衆國憲法、ドイツ帝國憲法(1871+660)などのやうに、多數の國家が連邦を形成する場合に、國家間の合意によって制定される憲法のことである。一般的に、「國家結合」又は「國家連合」には樣々な態樣があり、そのそれぞれの現象に對應した形態がある。

そのため、憲法と條約のいづれが上位に位置する規範であるかといふ點についても、獨立國家において、自國の最高規範とされる憲法が、その憲法の授權によつて締結される條約よりも優位(上位)であることは言ふまでもないが、歐洲連合(EU)における歐洲憲法條約のやうに、自國の憲法に優位する憲法條約により、國家連合を成立させる場合には、その條約(條約憲法)が優位することになる。しかし、それ以外では自國が最高規範と定めた憲法が優位することは當然のことである。そして、EUが目指す連邦形成といふやうな最も硬い國家結合から、一般條約による友好國關係や同盟關係の創設といふ最も柔らかい國家結合まで無數の態樣が存在することになる。

さらに、その法的效力と法體系の位置づけについても、純粹な「憲法」から「一般條約」までの廣がりを持つことになる。そして、その中間領域として、國家結合の態樣や程度に對應し、當該國家の憲法の一部の改廢を義務付けて國内法體系に影響を及ぼしうる效力を有する條約(憲法的條約)といふ條約の範疇が存在しうることになるのである。

このやうに考へてくると、占領憲法の制定が外國勢力の干渉の全くない状態で純粹に獨立國の憲法として成立したものでないことは明らかであるから、法社會學的に捉へても、國際系の規範といふことになる。しかも、アメリカ合衆國やEUなどのやうな國家連合や、あるいは、廣い意味で國家協力關係を形成しようとするやうな「友好的」な環境の中で成立したものではなく、あくまでも戰勝國が敗戰國を支配するためにその占領下において「敵對的」な環境の中で成立したものであることからすると、占領憲法は、社會科學的なマクロ的見地から考察すれば、紛れもなく「條約」の性質があることが明らかとなつてくる。

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