國體護持總論
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獨立回復條約

我が國は、昭和二十六年九月八日、獨立回復條約である桑港條約を締結して獨立した。この獨立回復條約の目的は、我が國にとつてすれば、第一には、我が國の獨立(主權)の回復であり、第二には、我が國の自衞權と自衞軍(國防軍)が容認されることにあつた。

連合國は、ヤルタ・ポツダム體制を固定化するため、我が國がポツダム宣言を受諾する前の昭和二十年六月二十六日、國際連合(國連)を設立して常任理事國に就任したので、獨立喪失條約に始まるこれら一連の講和條約群の當事國の地位は、實質的には國連が承繼することになる。そして、桑港條約の締結と同時に締結された舊安保條約は、この同時締結が獨立の實質的な條件であつたことから、桑港條約の意義はさらに鮮明となり、この舊安保條約もまた獨立回復條約の一つとして講和條約群に含めることができる。

舊安保條約は、米軍の駐留目的が不明確であり、效力期間の定めがなく、我が國に内亂等が起こつた場合に米軍が出動することがてきるといふ「内亂條項」まで存在した。  そして、連合國、とりわけ米國にとつてすれば、この桑港條約と舊安保條約の二重構造からなる獨立回復條約の目的は、我が國を敵國として規定する國際連合憲章(第五十三條、第七十七條、第百七條)による「國際連合體制」と、米軍基地の提供を繼續させる「日米安保體制」とによつて我が國を半獨立状態のまま支配する構造を確立することであつた。

東西冷戰構造が構築された後の昭和二十五年六月二十五日には朝鮮戰爭が勃發したことから、同年七月八日にはマッカーサーが警察豫備隊七萬五千人創設、海上保安廳八千人增員を許可(指示)した。すは、これは、我が國と連合國との再軍備の合意(條約)であつて、桑港條約の締結を俟たずして占領憲法第九條が廢止された瞬間でもある。そして、同年十月には、戰闘地域での日米作戰合意に基づき米軍の上陸作戰を支援するため、海上保安廳の掃海隊が朝鮮半島沖の機雷處分に投入され、我が國は「參戰」して戰死者まで出してゐた。そこで、米國主導の連合國としては、この戰時體制を維持し、かつ、我が國に對する支配を繼續するために、我が國に「責任ある政府」(傀儡政府)を樹立させてこれに主權を移讓させることが必要となり、桑港條約を締結させ、その同第五條(c)において、我が國に個別的自衞權と集團的自衞權を認めたのである。

そして、舊安保條約は、我が國國内及びその附近に米軍の配備を許與する内容(具體的には米軍基地提供)の片面的軍事同盟(軍事支配繼續)であり、同日に吉田茂内閣總理大臣とアメリカのアチソン國務長官との間で交はされた「吉田・アチソン交換公文」に、桑港條約と舊安保條約が締結された眞の目的が確認されてゐる。

それは、言ふまでもなく、いはゆる朝鮮戰爭の勃發と東西冷戰構造の定着化等の國際情勢の變化により、アメリカとしては、我が國に再軍備させる必要が生じたためであつて、占領憲法第九條第二項を名實ともに變質させることに第一次的な意義と目的があつた。ヤルタ協定とポツダム宣言から占領憲法制定に至るまでの連合國の主要な對日政策の目的は、日本の産業構造をも變革し、「再軍備を爲すことを得しむるが如き産業」をも禁止して(ポツダム宣言第十一項)、非工業化政策を推進し、日本を弱體化させることにあつたが、朝鮮戰爭が勃發したことにより、我が國を防共の堡塁とするために、それまでの對日政策を放棄して全面解除した。そして、再軍備の制限規定を一切定めずに自衞權を完全に肯定して講和條約を締結し、西側陣營に屬することの血判状(舊安保條約)に誓詞させることと引き換へに獨立を許容したのである。

そして、その結果、我が國の國内政治において、國内系の「占領憲法體制」と國際系の「桑港(安保)體制」といふ占領憲法をめぐる二律背反の相剋状況が出現し、現在に至るまでその相剋から脱却しえない状況が續くのである。

アメリカなどの連合國は、およそ占領憲法を占領政策の手段としか評價してをらず、この押し付け憲法は、連合國の事情の變化により、随時變更しうるとの認識であつたため、他國の法體系に二律背反の状況を生み出させることを、いとも簡單にやつてのける。連合國からすれば、やはり占領憲法は條約程度の規範性しか認識してゐなかつたのである。

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