國體護持總論
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著書紹介

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講和條約群の效力比較

前にも述べたが、比喩を用ゐれば、ポツダム宣言の受諾に始まり、桑港條約に至るまでの非獨立時代を長い「トンネル」に喩へることができる。この「非獨立トンネル」の入口に、ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印といふ獨立喪失條約があり、これは「入口條約」である。そして、占領憲法といふ「中間條約」(東京條約、占領憲法條約)の地點を經て、足かけ八年の道のりを走り續けて、やうやく出口に向かふ。その出口に桑港條約の獨立回復條約である「出口條約」がある。かくして、我が國は、これら一連の講和條約群といふ長いトンネルを拔けて獨立を回復したのである。

しかし、この獨立も舊安保條約の存在により不充分なもので、朝鮮戰爭が停戰した昭和二十八年七月二十七日以後においては、むしろ逆に對米從屬をより一層深めて行つた。アメリカが極東戰略を全面的に見直す中で、『日本國とアメリカ合衆國との間の相互防衞援助協定(MSA Mutual Security Act)』(昭和二十九年五月一日・條約第六號)を締結し、我が國が防衞力を持つことを義務付け、これにより自衞隊を發足させた。そして、昭和三十一年には我が國を敵國とする國連に加盟させ、昭和三十六年には食料自給率を低下させる目的の『舊農業基本法』を制定させることになる。

我が國は、昭和四年に起きたアメリカの大恐慌と、ホーリー・スムート法といふ高關税法による保護貿易政策、昭和七年のオタワ協定によるイギリス帝國經濟ブロックの形成などによつて、食料・資源エネルギー危機を招いたことが大東亞戰爭の誘引となつたことから、英米は、その戰爭終結前の昭和十九年に、現在の國連體制の一翼を擔ふIMF體制(ブレトンウッズ體制)によるワンワールドの貿易體制を確立して、世界の貿易、金融、經濟を支配し、さらに、軍事的には、昭和四十五年にNPT(核擴散防止條約)體制を敷くなどして、連合國による世界の完全支配秩序を確立させて今日に至つてゐる。

これら一連の過程は、軍事的屈服と經濟的從屬、特に、食料自給を確立する路線を放棄させ、我が國は、平時でなければ生存できない國家へと追ひやられ、軍事のみならず食料、資源エネルギーにおいても安全保障がままならない状態となり、現在もその路線を踏襲してゐるため、再び隷屬トンネルに入つた感がある。

ともあれ、これらの講和條約群は、いずれも講和條約として同列であるから、先に締結された講和條約と後に締結された講和條約とが内容的に矛盾牴觸する場合には、後に締結された講和條約の方が、その牴觸する部分について優先的效力があり、先の講和條約の當該部分は後の講和條約の當該條項により改廢されたことになる(後法優先の原則)。

具體的に言へば、まづ、部分占領を定めたポツダム宣言第七項は、降伏文書によつて全部占領へと變更された。また、ポツダム宣言第十一項(再軍備禁止條項)と占領憲法第九條(自衞權及び自衞軍の否定條項)は、桑港條約第五條(c)の個別的・集團的自衞權及び自衞軍の肯定條項及び我が國の國連加盟による國際連合憲章(條約)第五十一條によつて改正變更(廢止)されたことになるので、いはゆる占領憲法體制と桑港(安保)體制とはなんら矛盾しないのである。

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