國體護持總論
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法的安定性

これまで、「無效論は過激である」といふ批判があつた。確かに、舊無效論の場合はさうなのかも知れない。現行の「憲法」を無效だと主張するのは、占領憲法が「革命」によつて有效だとする見解以上に過激で革命的な危險思想といふ誤解があつた。そもそも、この「無效」といふ言葉に過激性が内包されてゐたことからくる宿命であつたかも知れない。しかし、このやうな謂はれなき誤解が蔓延した最大の要因は、そのことを意圖的に吹聽されてきたことにある。その喧傳をしてきたのは、「敗戰利得者」であり、その保身術が占領憲法有效論であつた。もし、眞正護憲論(新無效論)ですら過激な見解であるとするのであれば、占領憲法といふ銃口の先から生まれた「暴力禮贊憲法」を憲法として有效であるとする有效論の方こそ、眞正護憲論(新無效論)以上に超過激であることを自覺せねばならないはずである。

そもそも、今日の我が國における憲法學といふのは、占領憲法の解釋學でしかなく、眞の意味での憲法學や國法學がない。それは、戰前も同じある。軍事占領下では憲法學者とか法曹には公職追放がなかつたが、宮澤俊義に見られるやうに、權力に迎合して見事に變節した者が殆どである。特に、舊帝大系の學者は悉く變節して占領憲法を擁護した。そのため、占領憲法が出生した祕密をつきとめたり、その效力論を論じたりすることは自己否定となつてできず、僅かな者だけが占領憲法が無效であるとする學燈を守り繼いた。憲法を生業とする學者や裁判官などの「憲法業者」は、占領憲法を有效としなければ、その解釋學が成り立たず、自らの職を失することになるので、どうしても有效であると強辯せねばならない「保身」といふ裏の事情があつたのである。そのために、占領憲法の構造だけを解明し、その運用のための解釋のみを教へるといふ「占領憲法眞理教」の信者としての法曹を養成することが憲法學者に與へられた使命となつてしまつた。つまり、占領憲法有效説派(占領憲法眞理教)が我が國の國家教學(司法試驗制度、裁判制度)となつてしまつたといふことである。

丁度このことは、德川幕府が寛政異學の禁(1790+660)を發してまで官學として養護された朱子學に似てゐる。さらにいふならば、李氏朝鮮で國家教學となつた朱子學と類似したものと言つても過言ではない。國家教學となつた占領憲法有效派と朱子學派との相似性は、他の學派である占領憲法無效派とか陽明學派などを一切排除する點にある。そして、このことが、これまでの憲法學を壞死状態に陷れた元凶なのである。

有效論者としては、自己の保身のために、このやうな學問の無明を何時までも續けることに固執し、占領憲法の效力論爭の土俵には上がろうとはしない。無效論は無意味なものであるとか、最大級の侮蔑をしたり、あるいは、これを無視し續け、逃げまどふことしかできない。無意味、無價値であるのなら、どの點がそうであるのかを説明するのが學問ではないのか。效力論爭の土俵に上がり、その内容の詳細を廣く公開して人口に膾炙すれば、有效論者は陶太され失職してしまふことを自覺し恐れてゐるからである。

效力論爭を廣く公開することは、「國家事業」であつて、單なる學術論爭ではない。それは國家の責務でもある。そして、この論爭における爭點は、これまで述べてきた國體學、國法學、憲法學、政治學、社會學などの爭點の中で、「法的安定性」の爭點が最も熾烈となるであらう。それは、有效論が喧傳するとほり、占領憲法が無效ならば、何らかの修復措置が必要となり、多くの不利益や犧牲や負擔を生ぜしめるとの不安があるのは、當然のことであると通常は理解できるからである。しかし、眞正護憲論(新無效論)ではそのやうなことはない。眞正護憲論(新無效論)は、徹頭徹尾、論理學的に構築されたものであり、その結果、法的安定性においても問題はないもので、決して過激で亂暴な議論ではない。

これまで説明してきたとほり、眞正護憲論(新無效論)は、帝國憲法は今もなほそのままの存續し、その下位法規として東京條約(占領憲法條約)か存在するのであるから、東京條約(占領憲法條約)と桑港條約とは、講和條約群として同列であり、後方優位の原則によつて、東京條約(占領憲法條約)第九條第二項は、桑港條約第五條(c)の個別的自衞權及び集團的自衞權を容認する規定によつて廢止され、自衞隊は國防軍として當然に合憲となるとするのである。

桑港條約第五條(c)は、「連合國としては、日本國が主權國として國際連合憲章第五十一條に掲げる個別的又は集團的自衞の固有の權利を有すること及び日本國が集團的安全保障取極を自發的に締結することができることを承認する。」と規定する。連合國は、占領憲法の制定に關與してゐるので、その第九條によつて、「個別的又は集團的自衞の固有の權利を有すること及び日本國が集團的安全保障取極を自發的に締結することができること」といふことは絶對に不可能であることを認識してゐるはずである。しかも、我が國が昭和三十五年に國連加盟條約を締結する以前であるから、これはあくまでも桑港條約によつて連合國が我が國に對し、個別的自衞權及び集團的自衞權を「特別」に認めたといふことである。占領憲法が本來の憲法であるとすれば、その憲法の授權限度内で講和條約を締結するのであるから、講和條約によつて占領憲法を變更することができないことは明らかである。つまり、占領憲法第九條で個別的自衞權及び集團的自衞權ないしは交戰權を否定してゐるのであれば、講和條約でこれを認めたとしても「法的」には全く無意味なことである。ところが、あへてこの桑港條約第五條(c)が存在するといふことは、桑港條約には何らか「特別」の性質と意味があるはずである。そして、その意味は、桑港条約占領憲法第九條を桑港條約第五條(c)によつて改正されたとする以外にはありえないし、そのやうに連合國と我が國が共通の認識によつて桑港條約を「政治的」に締結したことになるのである。この意義は極めて重大である。それ以後、「政治的」には自衞權と交戰權を肯定し、「法的」にはこれを否定し續けた。これが「講和體制」と「憲法體制」の矛盾相克である。

また、占領憲法を「憲法」であるとする立場であつても、占領憲法は日本側の意思だけで自由に制定できずに、各條項の細部に亘つて連合國の承諾が必要であつたことは、「法的(憲法的)」には兎も角も、「政治的」には「講和條約」であつたことを否定することはできない。連合國のポツダム宣言を「受諾」した經緯と、GHQの憲法改正草案を「受諾」した經緯とは、驚くべき相似性がある。これは、いづれも「外交」としてなされたものであつて、占領憲法は日本側の意思だけでは成立しえなかつた性質があつたことは明らかである。それが政治的には講和條約の性質を持つことを意味するのであつて、このことは誰も否定する者は居ないはずである。

つまり、法律學(憲法學)的には「憲法」であつても、政治學的には「講和條約」であるといふ矛盾相克が生じてゐるのである。

敗戰利得者の憲法業者や政治業者たちは、この相克を説明することができずに、政治學と憲法學とは別であるなどと気取りつつ、その實は焦燥感を抱いて逃げ回つてゐる場合ではないはずである。これを萬人に對して、矛盾なく説明することが本來の學者と政治家の務めであり、それが憲法學と政治學との上位に位置する國法學の役割でもある。さうであれば、この矛盾相克を解消するのは講和條約説以外にはなく、これを排斥せざるを得ない特段の理由がない限り、講和條約説は相對的眞實の地位を獲得することになる。あくまでも、講和條約説を排斥すべきことを主張する者が、自己の主張する見解の眞實性を担保するための十分な理由を示さなければならないのである(ライプラッツの理由律)。

このやうな理由から、講和條約説は、この「講和體制」と「憲法體制」の矛盾相克を解消しうる極めて有用な見解であることから、これによると、眞正護憲論(新無效論)によつたとしても、占領期から今日に至るまでの全ての國家行爲が直ちに覆るといふやうな、法的安定性を害する事態は起こるはずがない。つまり、眞正護憲論(新無效論)は、講和條約説といふ占領憲法有效論であつて、講和條約(占領憲法)が國内系として時際法的處理がなされず國内系秩序への正式な編入がなされないまま、それが憲法的慣習法として、占領憲法の條項に準じた慣習的運用がなされてゐることになり、これまでなされた立法、行政、司法、地方自治などにおける處分等には原則として何らの影響はないのである。

占領憲法が第二章のやうな歴史經過で制定されたことは事實であり、これを事實とは違ふといふのは、事實を見誤つたか、意圖的に捏造してゐる人たちである。しかし、事實は動かない。そして、この暴力的な事實經過を知れば、健全な人々は嫌惡するが、中にはこれを歡迎する自虐者もゐる。しかし、問題はそれだけでは終はらない。その事實をどう正當に評價するかである。その評價基準において、眞正護憲論(新無效論)は、科學的根據を示し、その結論として、帝國憲法が今もなほ現存してゐると憲法學的に認識できるとし、さう認識することが現實と何ら矛盾するものではないと説いたものである。つまり、まづは「意識改革」を提唱し、いはば、「法的な心構へ」を説くのであつて、現状の事實認識はそのままで、その評價を變へるだけである。

さうであるからこそ、法的安定性を何ら害することはなく、しかも、安全保障上の見地からしても、國家緊急時における實用的かつ即應性を備へた解釋となる。現實政治の見地からしても、法理論の見地からしても、何らの問題はない。むしろ、祖國再生のために大いに歡迎されるべきものである。

「この(天皇の)地位は、主權の存する日本國民の總意に基く。」とする占領憲法第一條に基づく手續が一度も實施されず、同じく占領憲法の樞要である第九條が自衞隊の永續的設置によつて實效性を失ひ、私學助成制度が定着して第九十八條が否定され續けてゐるものの、それ以外では概ね曲がりなりにも實施されてきたといふ事實を踏まへれば、これを根底から覆滅させ、將來においても實施しないといふ斷絶と混亂はどうしても避けなければならない。法的安定性を確保し國家の繼續と民生の安定を圖らなければならないのは當然のことである。それゆゑ、眞正護憲論(新無效論)は、これまでの法律的、政治的、社會的な事實と現象を踏まへて、國法體系の構造を解明しただけである。これは、さながら物理法則の發見と同じである。物理的な諸現象の中に一定の法則性を見出しただけであり、その發見がなされたからと云つて、その後の諸現象が變化するものではないのと同樣に、眞正護憲論(新無效論)による法體系の認識をしたとしても、すべての社會事象の客觀的風景が變更されるものでもない。ただ、その法則を利用して諸現象を統制することはできるのであるから、今後の指針として活用することになるだけである。憲法學も社會科學であるならば、當然にこの手法を受け入れなければならないのである。

また、眞正護憲論(新無效論)は、占領憲法の似非改憲論(改正贊成護憲論)と比較すると、その政治的有用性は格段に高いものがある。似非改憲論が叫ばれてゐても、改正が實現できる見込は皆無に等しい。假に、あつたとしても、それは何年先になるか、どのやうな方向に向かふかも解らない。しかし、周邊事態の異變などは、それを待つてはくれない。いつ何が起こるか計り知れない。憲法改正のスケジュールに合はせて、周邊事態の異變が起こるとでもいふのか。「泥繩式」といふが、それよりもひどいものである。泥棒を捕へてから繩をなふのではなく、泥棒を捕らへることもできず、泥棒が入つて來て盜みをして去つて行つてからでも、繩をなふか否かの「小田原評定」をして、一體何になるのか。

これらのことからしても、安全保障對策において、實用性と有用性、それに即效性と即應性を備へた理論は眞正護憲論(新無效論)しかなく、似非改憲論では、國家緊急の事態に全く對應できない敗北主義的見解であるので、歴史的使命を終へたものとして、これも速やかに退場させなければならない。

そして、なによりも似非改憲論がもたらす害惡としては、占領憲法を改正するといふことが占領憲法を憲法としての實效性を認めようとする方向となるといふ點である。それゆゑ、これはどうしても避けなければならないし、絶對阻止しなければならないのである。


本來、法的安定性といふのは、大局的見地からすると、祖法との一貫性、連續性を維持することを意味する。その意味では、眞正護憲論(新無効論)こそが法的安定性を最も實現しうる理論である。

ジョージ・ウエスト博士(文獻208)は、『憲法改惡の強要』(嵯峨野書院)の中で、「占領憲法はマッカーサー・コンスティチューションに過ぎない。」として、我が國の「憲法」ではないとされた。つまり、講和條約であるとする私見と共通した見解である。ウエスト博士は、辯護士ではあるが博覧強記の賢人であり、神靈能力を持ちメキシコで神社を創建し神主をされてゐた。そのウエスト博士が約二十年前に來日された際、私を清水澄博士の遺志を繼いだ占領憲法無效論者であると斷言され、節操を守つて最後まで占領憲法と戰つてほしいと要請された。そして、「これが占領憲法(マッカーサー・コンスティチューション)無效論の應援歌です。」として、私も一緒になつて「ラバウル小唄」の歌詞の一番を三回續けて歌つていただいたことを今も鮮明に覺えてゐる。

ラバウルは、今村均陸軍大將が自給自足體制と強固な地下要塞を構築して、敗戰によつて降伏するまで死守した所である。「さらばラバウルよ 又來るまでは しばし別れの 涙がにじむ 戀しなつかし あの島見れば 椰子の葉かげに 十字星」。私は、この「又来るまでは」と「しばし別れの」とは、占領憲法の無效を宣言して再び帝國憲法下の法體系へと復歸して眞の法的安定性を實現できるまでのしばしの猶予といふ意味に理解してゐる。

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