國體護持總論
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著書紹介

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意識改革

第五章 復元改正と統治原理

 ふさがれし うみくがのりを はなつちは たみのいさみと こゝろのおきて

  塞がれし(占領されし)海陸(皇土)法(法體系)を放つ(解放する)道は
    民(臣民)の勇み(勇氣)と心の掟(心構へ)




マッカーサーが厚木基地に舞ひ降りたとき、口に咥へたコーンバイプに右手を添へて、左手には「玉手箱」を持つてゐた。この玉手箱は、アメリカで作られた日本の「主權」が入つてゐるとされた。戦前、我が國でこれを見たと吹聴するいかさま師も居たが、實際は今まで誰も見た者が居ない。そして、これが、占領憲法を作るときに必要なものだとされ、後日になつて「天皇」の手から「國民」にこの玉手箱が渡されたかのやうな儀式が政府と帝國議會を中心に演出されて占領憲法が作られた。ところが、この玉手箱の中には何も入つてゐない。そのことを知つてゐる学者や政府の者も居たが、殆どがすべてがマッカーサーの僕として利益と保身を保障され、命ぜられるままに立ち振る舞つたことから、全ての臣民が騙された。しかし、これを開けば、虚僞の證である黒煙が立ち上り、これまで虚構の政府組織によつて営まれてきた長い時間の經過が全て無駄で有害であつたことを誰もが気付くはずである。


マッカーサーの玉手箱は、未だに開けられてゐない。これを斷行する志と勇氣があれば實現できる。そのための意識改革が必要となる。これによつて帝國憲法を復元して神州の正氣を甦らせるのである。

しかし、占領憲法は、憲法としては無效であるが、講和條約(東京條約、占領憲法條約)として成立したと評價できるものであつて、その意味で帝國憲法は未だ改正も廢止もされずに現存するものであるとの認識からすれば、帝國憲法を「復元」するといふのは、いささか誤解を生む表現と云へる。

我々は、戰前、戰中、被占領期、獨立回復後を通じて現在まで間斷なく、「帝國憲法の下で生きてゐる」のである。正確に云へば、帝國憲法を含む正統憲法の下で、そして、規範國體の下で生きてゐるのである。國璽は、戦前から現在に至るまで、我が國の國璽の刻字は、「大日本國璽」のままであり、我が國名は、「大日本帝國」であつて、その成文憲法は「大日本帝國憲法」なのである。

つまり、論理的には、帝國憲法を復元する必要はなく、それが現存することを正確に認識し、これまで占領憲法を最高規範であるとしてきた誤つた認識を改め、その誤つた認識に基づく運用などを是正する措置をとるといふことであり、いはば、占領憲法を憲法であるとする「錯覺からの解放」、「誤認からの解放」、「洗腦からの脱却」による「意識の復元」から始めなければならない。

帝國憲法が憲法であるとする意識の復元であつて、過去の帝國憲法時代をそのまま復元する時代錯誤を求めるてゐるのではない。

事實の「認識」(狹義の認識、知覺)とその「評價」(價値判斷)といふのは、簡單に區別できるやうで、實はさうではない。例へ話をしてみる。透明のガラスコップの中にその半分の飮み水が入つてゐたとしよう。事實の認識としては、水の量が半分あるといふことである。ところが、人は、先入觀といふものがあつて、直感的に、半分「しか」ないとか、半分「も」あるとかといふ價値判斷を瞬時にしてしまふ。それはどうしてかといふと、喉の渇きを感じてゐる人は、水の量が少ないと感じるだらうし、さうでない人は多いと感じるからである。

この程度のものなら認識と評價の區別はできるが、もう少し複雜になると樣相が變はつてくる。たとへば、誰でも一見して判別できる場合ではなく、ある程度の調査をしなければ判別しえない事例の場合である。たとへば、透明でない密封の容器に水が入つてゐるか否かが不明な場合、自らが手に取つてみたり搖すつて調べることができない環境にあるときは、それを實行してみたといふ經驗者の判斷に從つて推測することしかない。「堅白同異」(荀子)といふ言葉がある。これは、白い石に手を觸れずに目視すると、それが白いことは解るが堅いことは解らない。他方、目を閉じて手で觸れれば、それが堅いことは解るが白いことは解らないのである。しかし、手に觸れると同時に目視すれば、堅くて白いことはすぐに解るし、人は、視覺や觸覺など五感の作用によつて全ての事象を認識できてゐると信じてゐる。

ところが、占領憲法の效力論といふやうな「複雜系」の事象などについて、その過去の經緯にかかる歴史的事實や法律的事實の認識や個々の事實の評價、それに法的判斷を綿密かつ正確にすることを誰でもが簡單にできるものではない。そうすると、一部の事項については獨自にできても、その大半は他人の調査や認識と判斷に賴ることになる。そして、その他人の認識や判斷を無條件に信じてしまふことも多い。しかも、その他人は、自己に批判的な者ではなく、近親者であつたり思想や信條を共通する者である場合が多い。たとへば、殆どの人は自分の誕生日を記憶してゐるが、それは自己に關する體驗事實であつても、自己が體驗時から記憶してゐる認識事實ではない。後で、誕生に立ち會つた親兄弟などから教へてもらつて、あるいは戸籍の記載から、その年月日が誕生日として正しいとして信じてゐるだけである。それが反復されて、學習效果により確信に變はる。しかし、これは他人の認識を正しいものと評價して自己の認識としただけである。ここでは、認識と評價とが混然としてゐて、峻別することは困難である。ところが、このやうなことは、その經驗者である他人が嘘をついてゐたり、錯覺してゐたらどうなるのか。後でそれが間違ひであつたことが解つても、俄に信じがたいと違和感を抱く。むしろ、それまでの刷り込みのために、間違ひのまま押し通そうとすることも多い。このやうに、認識とその評價と言つても、人の知見と判斷は極めて危ふいものなのである。

これと同じやうに、歴史的事實と法律的事實を科學的に詳細に檢證すれば、帝國憲法には未だに憲法としての妥當性と實效性があり、占領憲法にはそれがないと認識できるとしても、多くの人々は、そのやうな研究を綿密にして獨自に認識して判斷する機會がない。そして、これまでのマスメディアの虚僞報道や敗戰利得者の憲法學者や政治家などの保身による虚僞の説明を信じて、占領憲法が憲法として有效であると喧傳されて先入觀を植ゑ付けられると、占領憲法の制定經過などに關する具體的な事實は殆ど認識してゐないのに、それが「有效」であるとする評價だけは反復による學習效果によつて確信に至つてしまふ。人々はそのやうに誤つて認識と評價をしてしまふのである。それは、誕生日の間違ひなどといふ類のものではない。社會人になつてから誕生日を訂正したり、その訂正を自覺をして生きることは、社會生活においてある程度の不便さはあるが、占領憲法の場合は、さう簡単ではない。職業や人生觀とも関はつてくる。そのため、「わかっちゃいるけどやめられない」といふ惰性を續けることになる。そして、そのことによつて自己が敗戰利得者であつたことを密かに自覺することになる。

しかし、憲法學における科學的知見としては、それでも帝國憲法は存在してゐるのである。多數決で眞實が何であるかが決まるのではない。

戰後の大きな錯覺は、GHQへの「服從」と「迎合」がなされたことから、それまで繼續してきた戰闘や爆撃による死と飢餓の恐怖から解放された心理状態を「平和」と勘違ひしたことである。「服從」の始まりを「平和」の始まりと錯覺した。「あゝこれで今日から逃げ惑はなくてよいのだ。」といふ安堵感をあからさまに表現することに恥じらいつつも、これに馴致してくると、ついには劣等感や屈辱感をかなぐり捨て、これを維持することが「平和」であり、「正義」だとして聲高に喧傳することが快感へと轉嫁する倒錯が始まるのである。人は個別的な「戰闘體驗」はできても全體的な「戰爭體驗」をした者は誰も居ない。自己の味はつた敗殘と疎開などの悲惨な個別體驗があることを以て、その體驗がなかつた者に對する特權意識を抱き、それを肥大化させて、これこそが「戰爭體驗」であると普遍化し、そのトラウマから生ずる厭戰感情によつて「不戰の誓ひ」のみで「平和」が實現できると錯覺した者の喧しい聲が戰後空間を埋め盡くした。「部分の性急な全體化」によつて、「一斑を見て全豹を卜す」のであればまだしも、フェティシズムの倒錯に陥つてゐる。

このやうな錯覺は、天動説と地動説との論爭に似てゐる。コペルニクス的轉回を果たしたとしても、地球上の人の營みに何ら關係がない。敗戰利得者は、どうしても天動説(有效論)に固執して、ガリレイを宗教的に彈壓としたと同樣に、地動説(無效論)を唱へる者を彈壓したり排除し續ける。これは、まさに一種の宗教(占領憲法眞理教)である。「國民主權」を絶對神と仰ぐ一神教である。しかし、科學的に考察すれば必然的に認識が轉回するのであつて、その究極は兩動説(講和條約説)による認識が確立されるといふことである。「それでも地球は回つてゐる」のと同樣に、「それでも帝國憲法は現存してゐる」のである。

そして、このやうに自覺することによつて、「無效規範の轉換」といふ「認識の轉換」が実現できれば、將來の營みに文化的な豐かさをもたらすことになる。

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