國體護持總論
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著書紹介

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臣民について

ここで、「臣民」の意味を明らかにしておく。臣民の言葉は、近世までは用語例が少なく、特に、帝國憲法で法律用語として使はれたことによつて注目された。そもそも、「臣」と「民」とは全く異なつた概念である。臣とは、治者である君主に仕へる「人臣」(臣下)であり、民とは、被治者である。臣の文字は、象形文字で、下に伏せて俯いた目を意味し、民の文字も象形文字で、目を針で突いて目を見えなくした姿を意味するとされる。同じく目(知見)に關する文字で、これらが寓意するやうに、治者側と被治者とは峻別されるものである。

ところが、それを帝國憲法において一體混合したした概念として創造したのは、「臣たる民」として民を臣に昇格させ、天皇の下に一視同仁の平等社會を實現する理想に基づくものである。帝國憲法や教育敕語などにおいて、「民」を「盲(めしひ)たる民」(盲民)とせずに「臣たる民」、すなはち「臣民」としたが、この「臣民」とは、神國日本の民の自覺により「神民」となり「公民」、そして「皇民」となるための名稱である。

そして、この「臣民」概念は、占領統治下で占領憲法が制定される經緯において、國民主權の概念とは相容れないものとして排除され、「國民」に置き換へられた。戰前においても、臣民とともに國民と呼稱することも多かつたが、占領憲法における「國民」とは、戰前の「臣民」を意味する「國民」ではなく、「國民主權」の帰屬者である「國民」といふ意味となつた。

しかし、この「臣民」の概念は、むしろ、現代においてこそ、まさにその效用が求められてゐる。元來「國民」とは、言語的には「國の盲民」を意味するものであり、官(臣)と民とは待遇においても隔絶されたままである。中央官僚が税金の無駄遣ひをしたり、國家財政や地方財政を破綻をさせたりして、公金の不正使用、流用、橫領をしたとしても、民間人のやうに損害賠償を求められることは殆どない。刑事事件の追及も手加減がなされる。官民差別は歴然とある。それを是正するには、臣(官)と民が同じ責任を果たすために「臣民」の概念を新たな意味で復元しなければならないのである。

占領憲法第十四條第一項は、法の下の平等を定めるが、帝國憲法ではさらにこれを具體的に定めてゐた。それは、第十九條に、「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ應シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得」とあり、これは、江戸時代の門閥制度を否定し、一視同仁の畫期的な規定であつて、占領憲法第十四條の規定は、その二番煎じであつて新規性はない。むしろ、この官吏登用の平等性こそは、官吏に高潔無私であることを義務付ける基礎となつてゐる。占領憲法第十五條第二項の「全體の奉仕者」と規定するだけでは、高潔無私であるといふ積極性が導かれない。そのために、民間における株式會社などの法人の場合、その役員や從業員が第三者に損害を與へたときは、刑事責任はおろか、不法行為責任といふ民事責任を負擔するにもかかはらず、公務員だけは、何をやつても刑事責任しか負擔しないことが蔓延してゐる。

この全體の奉仕者といふのは、臣民よりも重い責任を負擔してゐることまでは意味してゐないとしても、決して公務員の責任を輕減させるやうな特別待遇を認めてゐる規定ではない。公務員については、刑事責任を負擔することにはなつてゐるが、裏金を使つて流用することは背任、橫領に該當するにもかかはらず、捜査機關もまた公務員であるから、刑事免責に關する一種の「公務員共濟組合制度」なるものがあるかのやうに、實際には殆ど立件されない。このやうな闇の制度とその運用は勿論のこと、民間人とは異なり公務員が民事上の個人責任を一切負担しないことは占領憲法第十三條の法の下の平等に違反するのであるが、最高裁判所は、このやうな結論は占領憲法第十七條に照らして合憲であるとする。

しかし、同條は、「何人も、公務員の不法行爲により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、國又は公共團體に、その賠償を求めることができる。」とするもので、この規定は、決して公務員の保護規定ではなく、臣民の保護規定(人權規定)であるから、どう眺めたところで、「公務員の個人的な民事責任は免責される」とは讀めない。この規定は、臣民保護の見地から、公務員の個人責任以外に、國や公共團體も共に直接的に責任を負ふための規定としか認識しえないのである。ところが、最高裁判所も學者も、戰前からの「代位責任論」、つまり、公務員に代はつて國が責任を負ふのであつて、公務員は直接に責任を負はないとの解釋を堅持してゐる。占領憲法は戰前を全否定する建前でありながら、自分たちに都合の良いところでは戰前を持ち出すのである。

このやうな公務員共濟制度のやうな「公務員バリア」を直ちに廢止し、公務員に公僕としての責任を負擔させる論理として、治者と被治者の自同性を意味する「臣民」の理論は、現代においても重要であり、さらなる有用性が認められるのである。本書では、このことを自覺的に用ゐる場合や引用の場合には「臣民」を用ゐることとし、一般的には「國民」と表記してゐる。

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