國體護持總論
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著書紹介

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外患の實相

ヤルタ・ポツダム體制の構造は、主として政治、經濟、軍事の側面によつて構成されて今日に至つてゐる。總體的な枠組みは國際連合憲章で組織された國際連合であり、部分的には、經濟面がWTO(舊GATT)・IMF體制、軍事面がNPT體制によつて構成されてゐる。

WTO(舊GATT)・IMF體制とは、舊GATT(關税及び貿易に關する一般協定、ガット)とブレトン・ウッズ協定で定められたIMF(國際通貨基金)による世界貿易と通貨金融の國際機構をいふ。これは、自由貿易の推進、世界貿易の擴大及び世界金融の統合を理念とする「世界主義」(グローバリズム、Globalism)に基づく世界支配構造である。連合國は、世界の中央集權化を實現し世界支配を強化するために、先づ、經濟(貿易、通貨、金融)の世界化を推進することによつて、政治的、經濟的、軍事的に、世界各國の連合國への依存體質が強化されることを推進した。世界の全ての國が、自國に必要な食料、資源、エネルギーなどの基幹物資の自給率が低下するにつれて、連合國主導の世界機構に對する依存率が高くなる。連合國は、基幹物資の自給率を年々高めている傾向があるのに對し、我が國はその自給率を年々低下させてゐる。これは連合國の世界支配戰略が豫定通り遂行されてゐる例證である。大東亞共榮圈構想は、戰前からの連合國の世界戰略に對抗して、國家安全保障の見地から、危險を分散して基幹物資の安定供給を確保し、自給率を高めるための「地域主義」(リージョナリズム、Regionalism)であつたが、これによる國力增強を恐れた連合國は、地域經濟ブロックを阻止するために「太平洋戰爭」を誘發させたのである。この路線は、戰後さらに顯著となり、GATT・IMF體制へと、そして、GATTはWTOへと改組されて今日に至つてゐる。

また、NPT體制とは、『核不擴散條約』(核增殖防止條約)による原子力管理の國際機構をいふ。核保有國である連合國は、その保有する核兵器の廢絶と核軍縮を義務づけられることなく、非核保有國の核兵器保有を禁止するといふ完全不平等條約であり、これにより連合國は、他國に對する軍事的な絶對優越的地位を確保してゐる。

このやうに、ヤルタ・ポツダム體制は、その象徴であつた東西冷戰構造の崩壞と、米ソの二大超大國による寡占支配が終焉することにより、從來の支配状況が變質したが、依然として、その具體的制度である國連體制、GATT(WTO)・IMF體制及びNPT體制は健在である。それどころか、一段とそれらの制度活用が頻繁に行はれてをり、むしろ、ヤルタ・ポツダム體制は、冷戰構造崩壞後に更に強化されてゐる。

その状況下で我が國は、獨立と同時に桑港條約と舊安保條約といふ國連支配體制の豫備組織に組み入れられ、その後、我が國を支配する連合國を常任理事國とする國連體制に組み入れられ、國連分擔金や政府開發援助(ODA)などの多額の資金を實質的には戰後賠償として供出させられ續けてゐる。

この國連體制が我が國を未だに支配し續ける國際系のシステムであり、その國内系に向けられた桎梏が占領憲法なのである。

そして、そのやうな状況の中で、對米從屬(アメリカ追随主義)か、對國連從屬(國連中心主義)かの路線對立が國内で生まれてくる。それは、占領統治の投影であり、マッカーサーに從ふか、極東委員會に接近するか、といふ選擇肢がそのまま引き繼がれただけで、コップの中の論爭ではあるが、それしか今の我が國には選擇肢がないといふことである。日米間は、新安保條約になつても、米國に支配從屬する關係であり、對等の同盟關係でないにもかかはらず、あたかも對等の同盟關係であつた「日英同盟」を連想させるやうな、むしろ、その幻想へと移行できるかのやうに、いつの間にか「日米同盟」といふ言葉が喧傳されるやうになつたことは、我が國を安易に極めて危險な方向へと導くおそれがある。また、國連中心主義といふのも單なる幻想である。いまだに占領憲法の前文を正しいと信じてゐる愚か者の戲言にすぎない。

そもそも、「アメリカと離れては何もできない。」といふ觀念は、對米從屬意識の所産であるといふよりも、その根底にはニーチェのルサンチマン(奴隷道德)がある。まさに「蚤の曲藝」である。これでは、白人支配の脱却のための大東亞戰爭の眞價も理解できないし、キング牧師などのアメリカの黑人奴隷解放運動理論や我が國の部落解放理論などを嘲ることに等しく、ひいては占領體制からの解放のための原状回復理論を理解することはできない。

日露戰爭では、國内で自前の戰費調達が果たせず、外國からの借款に賴らざるを得なかつた教訓を踏まへ、政府の信用が不充分な時代において、その資金調達を地方の名士や素封家などに賴つたのが「特定郵便局制度」であり、この擴大により、郵便部門によつて通信網の整備充實が實現し、さらに、郵貯簡保部門などによつて戰費や災害復興資金の調達が容易となつた。そして、これが大東亞戰爭を自前の戰費で支へた源泉であつた。つまり、その意味で大東亞戰爭は眞の獨立國の戰爭であり國民の總力戰であつた。ところが、その自存自衞のための制度を解體したのが、「郵政民營化」と稱する暴政である。これは、平成六年からアメリカが毎年我が國を主導權(initiative)によつて要求(指導)し續けてきた『年次改革要望書(指導書)』に盲從した結果である。これだけではない。外貨準備は、繼續的に米國債に吸ひ取られて經濟的獨立(經濟主權)を制約され、橋本龍太郎元首相が平成九年六月二十三日にニューヨークで「米國債を賣りたい誘惑に驅られたことがある。」と發言しただけで、米國債賣却を阻止する巨大な壓力が加へられ、その後のスキャンダル攻勢を仕掛けられるなど、我が國の首相と雖も自國の金融政策を思ふとほりにできない状況となつた。この經濟的敗戰は、昭和五十八年十一月に日米圓ドル委員會(日米共同圓・ドルレート、金融・資本市場問題特別會合)が設置されたときから始まる。このやうな機關を隠れ蓑として、それ以後の我が國は、實質的にアメリカの全面的な金融支配を受け、金融自由化の名の下に經濟的獨立(經濟主權)を奪はれ今日に至つてゐる。さらに、農協(JA)の解體、商法改正、医療、介護の改革など、これまでの全て「改革」なるものの正體は、我が國を弱體化するためのものであり、我が政府は、國民に對し、この對米「盲從」を「改革」と僞り續けてきた。これは、黑船來寇、大東亞戰爭に續く對米戰爭における「第三の敗戰」である。我が國には、「親米派」なるものは居ない。「屬米賣國派」の蚤御仁だけである。

これらの蚤御仁は、平成十四年二月にブッシュ米大統領が來日し、そのローラ夫人が『ひとまねこざるときいろいぼうし』といふアメリカの童話を數多くの學校を精力的に訪問して兒童に朗讀して聽かせたことをどう評價してゐるのであらうか。おそらく大歡迎なのであらう。

この話の概要はかうである。ある日、アフリカで、ひとまねをするのが大好きな好奇心旺盛の「おさるのジョージ」のところに、黄色い帽子をかぶつたおじさんがやつて來た。ジョージは、おじさんが地面に置いたその黄色い帽子を手にして、そのおじさんのまねがしたくて、その帽子をかぶつてみる。すると、前が何にも見えなくなつてしまひ、そのうち、ジョージはおじさんに捕まつてしまつた。おじさんはジョージを可愛がり、アフリカから船に乘せてニューヨークに連れてきて動物園に入れるが、それまでに、ジョージは、好奇心を滿たしながら次々と騷動を起こすといふ物語である。

これは、ひと(白人)まねをする黄色帽子を被つた小猿のジョージ(イエロー・スモールモンキー。日本人)が、おじさんの國(アメリカ)の動物園に入れられても(植民地になつても)、その文明に魅せられて喜んでゐるといふことを露骨に表現したものである。これをわざわざローラ夫人は意圖的に我が國の兒童に讀み聞かせて回つたのである。蚤御仁たちは、この事實を諸手を擧げて嬉々として受け入れるのであらう。これは既視感(デジャビュ)ではない。「マッカーサー萬歳」の再現なのである。

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