國體護持總論
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正統典憲の復元

認識の復元を果たした後になすべき復元措置には樣々な課題があり、その中でも正統典憲の復元措置は、その中心的な事項である。

それによつて初めて、占領憲法秩序から正統憲法秩序へと回歸し、政治的にも、GHQ占領期からこれまで續いた占領憲法政府が終焉し、正統憲法政府が樹立されることになる。これまでの戰後處理とは、占領憲法體制への固定化であつたが、これからは正統憲法體制に原状回復することよつて、獨立自尊の矜持を持つた眞の道義國家へと邁進できることになる。その國家目標は、次章で述べる自立再生論による祖國と世界の改造である。それゆゑ、正統憲法政府の樹立はその手段であつて、道義國家の目指すものはあくまでも自立再生社會の建設にある。

しかし、我が國において國家百年の大計である自立再生社會を建設して世界の龜鑑となり、それを世界に恢弘して世界平和を實現するためには、その一里塚となる正統憲法秩序への回歸が刻下の急務となる。

そのために、以下に述べるのは、眞正護憲論(新無效論)、すなはち講和條約説に基づいて、占領憲法が憲法であるとする錯覺(集團ヒステリー)を解くための手順であるが、その前に、これらの手順を採ることのできる論理性の根據について説明したい。

それは、第一章で述べたクルト・ゲーデルの「不完全性定理」である(文獻250、327、328)。つまり、「自然數論を含む歸納的に記述できる公理系が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を證明できない。」といふジレンマが占領憲法にあるといふことである。平易に云へば、占領憲法が法律學、憲法學、政治學において、論理學的に矛盾のないものであるとしても、「占領憲法自身が自らの有效性を證明することはできない。」といふ意味に還元できる。これは、第三章の「法定追認」のところで説明したとほり、「泥棒や詐欺師の側が、『これは俺のものだ』と宣言しても、それは追認とは云はない。」といふことと同じ性質の論理であり、これはその基礎理論である。

身近な譬へ話をすると、人が認識の窓としてゐる自分の目(視覺)についてである。可視光線の範圍内であれば、自分の目ですべて物體の表層と位置關係を直接に認識できることを前提として、これを「視覺」と定義づけたとすると、自分の目それ自體を自分の目で見ることはできないことが解る。つまり、自分の目では、すべての物體を見れない。自分の目だけは例外であることになる。しかし、自分の目(自分の公理系)では見えないが、他人の目(他人の公理系)ではその人の目は見える。ところが、このことに對しては、鏡(反射鏡)を用ゐれば、自分の目で自分の目を見ることができるのではないか、といふ反論があらう。しかし、鏡に映つた自分の姿は、「虚像」である。自分の目から發散した光線が鏡で反射したものを受け止めて見ることになるが、それは、反射した光線を逆方向に延長して収束させた位置にある虚像を認識してゐるだけである。目は、光線が真つ直ぐ進むものといふ錯覺をするために、反射光線でも目に入つてきた方向から眞つ直ぐ進んできたものと認識してしまふ(直進錯覺)。部屋の壁に掛けてある鏡の奥に自分の姿を見るが、鏡の後にある壁の奥は、隣の部屋であつたり、戸外であつたりするのであつて、そこに自分が居るはずがない。それは自分ではないし、自分の目と思はれる部分も自分の目ではない。その虚像を見てゐるだけで、自分の目の實物を直接に見てゐるのではない。そして、自分の目の位置の認識についても、自分の目(見られる目)と自分の目を見てゐる自分の目(見る目)との距離はないのに(同じ位置なのに)、鏡に映つた自分の目(見られる目)の位置は、自分の目(見る目)と鏡との距離の二倍の距離の彼方の位置にあることになる。しかも、右左が正反對となつてゐる自分の目であるから、それが自分の目でないことは明らかである。そして、いくらこれが虚像であり、目に入つて來るのが反射光線であることを理性的に判斷できても、目はその直進錯覺を修正できずに、常に虚像しか見えないのである。ここに視覺の限界があり、自分の目を自分の目で見ることはできないことは紛れもない眞實なのである。

このやうに、不完全性定理といふのは、比喩的に言へば、「自畫自贊」はできないといふことを數學基礎論、論理學において證明したもので、このことは、同じく論理學を基礎とする法律學、憲法學、政治學などにおいても同樣に適用があるといふことになる。

これにより、「占領憲法は、占領憲法自身の論理(自己の目)によつて自己の有效性(無矛盾性)を證明できない。」といふことが導かれるのであり、占領憲法は占領憲法が憲法として無效であることについては、占領憲法とは形式的には別の公理系(他人の目)である帝國憲法の側から占領憲法の矛盾性を證明したのである。その公理系(他人の目)の理論が講和條約説(眞正護憲論)といふことになる。

それゆゑ、占領憲法の效力論について、占領憲法の公理系に含まれる「裁判」によつて決着を付けることはできないことになる。そもそも、占領憲法によつて設置された「司法機關」には、占領憲法から占領憲法自體の效力を審査する権限を占領憲法上は與へられてゐない。さらには、司法機關が自らの存在根據である占領憲法を否定するとすれば、それによつて自己の存在根據も否定することになり、ひいては占領憲法を否定した司法機關の資格も喪失して、その判斷自體が無效となつて自己矛盾となるから、司法機關は占領憲法を否定する権限を有してゐないのである。つまり、占領憲法によつて肯定された裁判機關が占領憲法を否定することは、いはば「親殺し」である。いづれの憲法規範の体系下においてもこれを禁止してゐるのであるから、その行爲を裁く機關が、自らこれを犯すことは許されないからである。それゆゑ、これは、司法機關で決着しうる事項ではなく、專ら政治的に決着を付けることになる。そして、この政治的決着に反對して法的決着を主張する勢力が、法的決着をせずに政治決着を行ふことが「占領憲法違反」であるとする「法的主張」を行つても、「占領憲法は、占領憲法自身の論理(自己の目)によつて自己の有效性(無矛盾性)を證明できない。」ことを理由に、その主張を排斥し、さらに占領憲法が憲法としては無效であることを證明しうる「法的根據」がこの講和條約説(眞正護憲論)なのである。

このやうに論理的な前提に立つて、以下に、その復元措置について具體的に説明することにする。


まづ、正統典範の復元措置としては、占領典範の排除と同時に明治典範及びその他の皇室令ならびに皇室慣習法の回復である。勿論、これは、皇室の自治と自律の奉還のためになされるものであつて、その復元措置とその後の改正などについては、それこそ皇室の自治と自律に委ねられるものである。

しかし、占領典範はもとより無效であることから、明治典範を含む正統典範は現存してゐることになるが、これまでの政治的障碍を除去して修祓する必要があるといふことである。それゆゑ、これについての政治的な無效確認決議がなければ憲法的に無效とはならないといふものでもない。從つて、その具體的手順としては、①昭和二十二年五月一日に明治典範を廢止する旨の敕令である『皇室典範及皇室典範增補廢止ノ件』を祓除(無效確認)して明治典範を復活させ、②昭和二十二年十月十三日に占領典範のもとの初めての「皇室會議」でなされた、秩父宮、高松宮、三笠宮の三宮家を除く十一宮家五十一人の皇族の皇籍離脱の決定が無效であることを前提として、明治典範第三十條の皇族すべての皇族たる身分が回復された旨の新たな敕令を宣布され、③昭和二十二年四月三十日に「皇族會議」を廢止する旨の敕令を祓除(無效確認)して皇族會議を復活させ、さらに、④昭和二十二年四月三十日の敕令によつて『樞密院官制』(明治二十一年敕令第二十二號)とこれによつて廢止された樞密院を廢止する旨の敕令や『皇室令及附屬法令廢止ノ件』(昭和二十二年皇室令第十二號)などを祓除(無效確認)して樞密院官制及び樞密院を復活させる旨の新たな敕令を宣布されれば、これだけで明治典範を含む正統典範の復元措置としては充分である。

ただし、皇族身分の回復の件については、少し説明が必要となる。初めに、宮家とは、明治典範上の地位ではない。明治典範第三十條に定める「皇族」が皇室御一家とは別の宮家を構へられた場合に宮號の尊稱を贈られた皇族集團のことであり、これも正統典範に屬する典範慣習法によるものである。

また、皇族の範圍については、明治典範では無窮である。つまり、明治典範第三十條には「皇族ト稱フルハ太皇太后皇太后皇后皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃内親王王王妃女王ヲ謂フ」とあり、同第三十一條には「皇子ヨリ皇玄孫ニ至ルマテハ男ヲ親王女ヲ内親王トシ五世以下ハ男ヲ王女ヲ女王トス」とあるので、「五世以下」無窮といふことである。

そして、明治典範第四十四條に「皇族女子ノ臣籍ニ嫁シタル者ハ皇族ノ列ニ在ラス但シ特旨ニ依リ仍内親王女王ノ稱ヲ有セシムルコトアルヘシ」とあるものの、それ以外の事由によつて皇族の身分を離れることはなく終身といふことになる。

ところが、占領典範は、皇族の範圍を制限しなかつたものの、皇族の身分を離れる條項を定めた。自らの「意思に基づく」場合(第十一條第一項)、「やむを得ない特別の事由がある」場合(同條第二項)、「皇族女子が天皇及び皇族と婚姻した」場合(第十二條)など多くの皇籍離脱事由を定め、實質的に皇族の範圍を縮小し、ひいては皇族の消滅を企圖したものである。

そして、明治典範では皇籍離脱させることができないので、速やかに占領典範を制定し、その占領典範第十一條第二項に基づき、GHQの傀儡機關である「皇室會議」の決定によつて、十一宮家五十一人の皇族の身分を「一齊剥奪」したのである。その離脱の理由は「やむを得ない特別の事由」であるとする。皇族側にはそんな理由は全くない。GHQの指令によつて身分を剥奪せざるを得ないことを「やむを得ない特別の事由」であつたといふことである。

從つて、占領典範を無效であるとする立場であれば、皇族の地位を一齊剥奪した皇室會議の決定も無效であり、明治典範に基づく皇族の地位は復元されてゐることになり、このことについては離脱された皇族の意思によつて左右されるものではない。自動的に無條件にて復歸されるのである。そして、もし、これまで通り離脱されたままの状態をご希望であれば、改めて明治典範を改正されて、離脱を認める條項を追加された上で、その御意思が尊重されるべきである。

ただし、男系男子の皇統護持のためには、男系男子の皇統を承繼されてゐる宮家の新たな離脱については愼重でなければならない。それこそ「やむを得ない特別の事由」でなければならないと考へる。

これが占領典範無效論の立場であり、有效論であれば、無條件復歸の論理を貫くことができず、すべて「意思に基づく復歸」となり、復歸の意思表明をされることによつて世間の物議を醸すことを懸念される舊宮家の御立場を配慮することができずに畫餠に終つてしまふのである。

その後は、復歸された皇族も含め、成年男子皇族で組織された「皇族會議」が復活し、これが陛下の諮問機關となつて典範の整備作業がなされることになるが、長期に亘り占領典範が事實上運用されてきた状況から、いきなり皇室の自治と自律を奉還すると云つても、有職故實の調査、資料の收集、典範條項の文案作成や典範體系の整備、專門職の確保と養成その他の事務についての補弼は不可缺で、從來の宮内廳か、あるいはこれに代へ、又はこれと併存させた調査諮問委員會を皇族會議の下部機關として設置し、その人事及び運用を皇室及び皇族に委ねる必要がある。

そして、その改革の方向を忖度するとすれば、皇室の自律、自治を廣範に認め、皇位繼承の決定と變更、宮家の創立、舊宮家の復歸、明治典範の改正、皇族關連施設及び皇室行事關連施設(京都御所、皇居、東宮御所、御用邸など)に對する施設管理、行幸の決定、宮内廳長官その他の宮内廳職員全員の人事と組織編成など廣範な權限が陛下と皇族に委ねられ、御叡慮に從ふといふ大改革がなされるであらう。

中でも、宮家の創立、舊宮家の復歸は最重要課題である。その昔、新井白石のなした皇統護持の功績は、正徳の治において閑院宮を創立(1718+660)したことである。それまで、伏見宮、有栖川宮、京極宮の三宮家のみであつたのを、新たに御皇室の藩屏となるべき宮家として閑院宮を創立したことである。それが光格天皇から今上陛下に至るまでが閑院宮系の皇統であることからすると、この意義は何ものにも代へ難ひものがある。この宮家創立を先例として、平成の御代において舊宮家の復歸がなされるべきである。


附言するに、前に述べたとほり、我が國體における王覇の辨へと同種のものとして、「齋」(王道)と「政」(覇道)との辨別があり、これは「聖」と「俗」の辨別と相似したものである。それゆゑ、皇室は、國家の中にあつて最も聖なる「齋庭(いつきのには、ゆには)」として保たれなければならない。王道が穢れれば覇道が亂れる。それゆゑ、王道を穢し、宮中祭祀を疎かにする「開かれた皇室」といふ俗化の方向は言語道斷である。皇室の自律と自治とは、俗化の方向から聖なる方向への回歸のために是非とも必要なことなのである。

このやうに、皇室の自律と自治の推進は、正統憲法の復元改正措置と連動したものであり、もとより天皇が元首であり、當然に象徴機能も併有されるものであることから、これまでの「傀儡天皇」の運用から、眞の意味での象徴天皇となられるためのものであつて、これにより、これまでの傀儡天皇制から完全に脱却できるのである。

次に、正統憲法の復元措置としては、占領憲法の排除と、帝國憲法、教育敕語その他の正統憲法の回復であることはいふまでもない。この具體的な方法については後に述べることとする。

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