國體護持總論
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教育問題について

復元措置の最大かつ最終の到達點は教育にある。

教育全般ついて、數へ切れないくらい樣々な問題がある。知育、體育、德育の三育の分類で云へば、知育における最大の問題は歴史教育であり、これは、民族の傳統と精神を傳承する民族教育の根幹に關はることである。

GHQは、日本弱體化政策の一環として、學校教育や社會教育その他マスメディアを通じて行はれるあらゆる歴史教育、特に、大東亞戰爭に至る近現代史においては東京裁判史觀やコミンテルン史觀による日本惡玉論で徹底的に洗腦し、民族の傳統と精神は完全に否定され、「その國の青少年に祖國呪詛の精神を植ゑつけ、國家への忠誠心と希望の燈を消すことが革命への近道である」(レーニン)とする謀略により、我が國は着實に亡國の道を歩んだ。勿論、いはゆる天皇の人間宣言、東京裁判(極東國際軍事裁判)の斷行、占領憲法の制定、教育敕語の排除等はGHQ占領下の指導のもとに、占領政策の一環として行はれた。

そして、東京裁判の結果を容認することを盛り込んだ桑港條約と、冷戰構造下では反米路線を選擇し得ない政治状況が繼續したため、獨立後もその間隙を縫つて東京裁判史觀などの反日史觀が温存され、これらと訣別する機會が見出せないまま今日に至り、現在の教科書問題へと連なつていく。

昭和五十七年六月、新聞の一齊報道で、高校の日本史檢定教科書に、支那華北への「侵略」と書かれてゐた記述が「進出」といふ表現に書き直されたといふ報道がなされたが、これは全くの誤報であつた(いはゆる教科書誤報事件)。にもかかはらず、これに端を發して、翌月、中韓の新聞による追随報道と中韓からの抗議に屈して、鈴木善幸内閣は、政府の責任において教科書の記述を是正するとの宮澤喜一官房長官談話を發表したことが、「歴史觀の無條件降伏」へと轉落していく始まりであつた。その後は、檢定基準にいはゆる「近隣諸國條項」を追加して、宮澤談話を法制化し、中韓の外壓による教科書檢定を行ふこととなつたのである。それまでは、家永裁判とか高嶋裁判などのやうに、檢定制度は、少なからずも反日的教科書の登場を阻止する機能を果たしてきたが、この時點から檢定制度は變容し始め、文部省自體が反日體質へと變化した。さらに、昭和六十一年の中曽根康弘内閣における後藤田正晴官房長官が東京裁判史觀受容發言を行ひ、いはゆる『新編日本史』外壓檢定事件が起こつてからは、檢定制度は、外壓による「檢閲」へと變質してしまつた。そして、平成五年八月、細川首相の侵略戰爭發言、同七年六月の衆議院での戰爭謝罪決議、同年八月の村山首相談話などを經て、その後の内閣もこれらを踏襲して今日に至つたが、我が國はGHQの占領から獨立回復後も繼續して反日勢力と闘い續けてきた「思想戰爭」における各地各所の戰闘に悉く敗退し續けてきた。

教科書を執筆した著者や政府の檢定意見などによつて特定思想が介在する現行の檢定制度が容認しえないことは明らかであるが、では、どのやうな教科書制度に變更する必要があるのか。それは、結論を言へば、「檢定教科書制度」から「國定教科書制度」に轉換することである。「國定教科書制度」といふのは、概ね以下のやうな制度のことである。まづ、一定の資格要件を具備した樣々な見解をもつ多數の學術者などが、教科書作成編集を行ふ政府所管の專門委員會の委員に選任される。そして、同委員會で各委員による審議檢討を經て共同著作にかかる「國定教科書」を完成させる。その記述内容については、教科書としての客觀かつ公正な基準に基づいていることは勿論であり、爭ひのある歴史事象などについては、詳細に兩論併記をしたものであることが要求され、これを國民に縦覽させ、記載等の過誤や不公正な記述箇所等の指摘を受けて再度審査して確定させる。國家は、特定の思想や歴史觀を正しいものとして教育してはならず、爭ひのある事項については、兩論併記により詳しく記述されたものにしなければならない。それによつて學習する兒童生徒が、自己の成長過程で正誤の判斷をすればよいのであつて、大人が特定の思想や歴史觀を強制するものであつてはならない。このやうな教科書で正しく學習すれば、兩論併記された各歴史觀の正邪を判斷し奴隷史觀を陶太して、自づと祖國愛が生まれてくるのである。


次に、體育と德育を一體として考察したとき、問題として見えてくるのは、學校教育における體罰禁止條項についてである。

『學校教育法』第十一條は、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」(昭和二十二年法律第二十六號)と定められ、教師の懲戒權から「體罰」を除外した。このやうな體罰禁止規範は戰前にもあつたが實效性のないものであつた。ところが、占領下においては、GHQの指示によりこれが徹底される。これは、體罰も辭さない「教練」といふ我が國の戰前における履修教科が、強い體力と信念、それに團結の力を育んできたとの認識などから、GHQは、この精神力と組織力の源泉である教練を廢止しすることが我が國の弱體化につながると判斷して實行した。

しかし、『民法』第八百二十二條第一項は、「親権を行う者は、必要な範囲内で自らその子を懲戒し、又は家庭裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる。」と規定し、親の懲戒權には體罰を除外しなかつた。つまり、親の懲戒權には體罰を認め、教師の懲戒權には體罰を認めないといふ歪んだ制度となつたものの、家庭教育よりも學校教育が中心となる義務教育體制のもとでは、體罰禁止がいはば理念的な教育理念であるかの如く喧傳された。

つまり、この體罰禁止條項は、喩へて云ふならば、「教育における武裝解除條項」なのである。武裝禁止と體罰禁止の重層的な雛形構造によつて弱體化は進められた。「武」の原義は、「戈を止めるを武と爲す(止戈爲武)」(左傳)であることから、これは、軍備を常に怠らずしてそれを行使しないことによる戰争抑止力が重要であることを示唆する。無防備であれば、外交力を弱め戰争を誘發することがある。そのため、我が國は諸外國からも舐められ、教師は兒童・生徒から舐められ、逆に暴力を振るはれても教師は手も足も出せず、手を出せば教師の監視を行ふためにGHQが作つたPTAの讒言と教育委員會の處分によつて教師が失職するといふ教師の強迫觀念が教育への情熱を失はせて精神を萎縮させ、これが惡循環となつて今日の學校荒廢、秩序崩壞が進んできてゐるのである。附言すれば、GHQは、教育の民主化と稱して學生自治會(大學自治會)を組織させ、これに莫大な自治會費を與へて、大學紛爭のための資金源にさせ、それが、昭和四十年代の全日本學生自治會總連合(全學連)の運動と、それをさらに脱却する方向へと向かつた全學共闘會議(全共闘)の運動によつて大學との對決姿勢を深めたことから、大學の荒廢と俗化を生んだ。つまり、GHQは、兒童、生徒、學生に「造反有理」による教師への反抗を促進させる制度として、PTA、教育委員會、學生自治會などを作つたのである。

ともあれ、體罰も武力も、何でもかんでもむやみやたらに行使すればよいといふものではないことは勿論である。そんな國家は、まともな國家でないし、そんな親は、まともな親ではない。それは單なる暴力癖の國家であり、虐待癖の親である。あくまでも、その備へと能力と威壓があつてこそ、抑止力が働き、國家は守られ、子供は育つのである。自衞と侵略、體罰と虐待といふ對比が誤解されてゐる。侵略戰爭も自衞戰爭と僞つて行ふので自衞戰爭も許さないとする論調が、虐待も體罰と僞つて行ふので許さないとする主張に相似してゐる。

その結果、體罰禁止條項による弊害に拍車をかけるやうに、平成十二年に『児童虐待の防止等に関する法律』(兒童虐待防止法)が制定され、その第二條第二號によると、保護者が「児童の身体に外傷が生じ、または生じるおそれのある暴行を加えること。」を身體的虐待などと定義したことにより、親の懲戒權における「體罰」と「虐待」の概念區別ができなくなり問題となつた。

兒童相談所等の行政機關及び裁判所の傾向は、體罰即虐待とすることにより、親の體罰の一切を禁止するといふ誤つた運用による魔女狩りが始まつてゐる。兒童相談所による「一時保護」(兒童福祉法第三十三条)といふ無令状の兒童拉致事件が頻發するやうになつた。それは、「一時保護」と稱して恣意的に判斷して突然に子供を拉致し、その後一切親子の面談すら許さないといふ事例が多く、子供を隔離することによつて親子関係の断絶を促進させる運用がされてゐる。これは「保護」とは縁遠いものである。むしろ、「一時保護」が「虐待」そのものであるといふ事例が多くなつてゐる。

しかし、あくまでも體罰と虐待とは明確に區別できるのである。體罰は、監護教育の目的、すなはち子の成長を願ふ親の愛情の發露としてなされる合法行爲であるのに對し、虐待は、兒童虐待防止法第二條のとほり、違法性阻却事由のない「暴行」である。虐待は、監護教育の目的もなく親の愛情の發露とは言ひ難い行爲類型であり、この目的の有無と愛情の有無といふ主觀的要素が體罰と虐待とを峻別することになる。ここで留意しなければならないのは、監護教育の目的と愛情に基づいてなされた「體罰」について、その有形力の程度と結果が相當性を缺いた場合を「虐待」と云ふのではないといふことである。虐待は、もとよりその目的と愛情がない場合であり、それが存在するもその程度と結果が不相當となる場合ではないのである。體罰と虐待とは、その外觀上の客觀的要素において、有形力の行使を伴ひ、兒童の身體的完全性を損なふことがありうる點において類似する場合があるとしても、その主觀的要素としての目的と愛情の有無によつて峻別されるため、單なる傷害罪の場合と、過剰防衞といふ結果によつて傷害罪に問擬される場合との明確な相違があるのと同樣である。あるいは、外科醫が患者に對して正當かつ相當な手術行爲をなしたところ、その施術の判斷を誤つて死に至らしめた場合は業務上過失致死罪が適用されるのであるが、これとは異なり、初めから外科醫が患者を殺害する目的で手術行爲を裝つて殺害した場合には殺人罪が適用される場合との違ひと相似してゐるのである。

體罰の程度と態樣が誤つて過剰となり、假に相當性を缺く場合であつても、それは虐待ではない。それは、犯罪行爲に例へれば、故意の傷害罪ではなく、親の懲戒權行使における注意義務に違反した業務上過失傷害に過ぎないのである。それを虐待であるとすることは、業務上過失傷害罪であるものに傷害罪を適用することと同じやうに明らかに誤つてゐる。これでは、外科手術に失敗した醫師を業務上過失傷害とせずに傷害罪とすることと同じことになつてしまふ。

體罰と虐待との區別は、これまで述べたとほりであるが、それ以上に、體罰と教育的措置(躾け、指導など)との區別が必要である。體罰は、あくまでも惡事をなしたことに對する應報としての身體罰(有形力の行使)であり、その目的は教育的進歩を實現することにあるから、その惡事の程度と體罰の程度との均衡、體罰を受ける者がなぜ體罰を受けるのかといふことについて理解させることが必要である。これは、あくまでも惡事がなされた後の處分である。ところが、この體罰と教育的措置とが混同されることがある。たとへば、武道において、被指導者の構へ(姿勢)を矯正するために、その矯正が必要な部分に手足や竹刀などで叩く行爲やこれに加へて叱咤することなどは、矯正部分を身體感覺で記憶させ、士氣を鼓舞し、行動を制御して上達を圖らせるために必要な教育的措置である。また、躾けの場面でも、「いただきます」との感謝の言葉も口にせずに子供が食べ物に箸を伸ばしたとき、その箸を持つた手を叩いて拂ひのける行爲なども同樣で、これらも有形力の行使ではあるが、ここには應報機能がなく、いづれも體罰とは異なる。ただし、その目的は、教育的進歩の實現であるから、體罰と共通した機能があることは頷ける。それゆゑ、この教育的措置も含めて廣義の體罰に含ませてもよいが、嚴密には區別されなければならない。

では、なぜ、廣義の體罰が許されるのかと云へば、それは、子供の本能を強化する親の本能的行動であるからである。これを禁止すれば子供は育たない。これを禁止するといふのは、まさに合理主義であり、これによつて學校の秩序が崩壞したことだけでも、合理主義による體罰禁止は教育を歪めたことが證明されてゐるのである。

さらに附言すれば、我が政府は、過去に、「人の命は地球よりも重い」(福田赳夫)といふ價値論理的にも物理學的にも馬鹿げた言葉を吐いて、テロに屈し超法規的措置として犯罪者を釋放したり、ペルーの人質事件でも「人命尊重」を唱へて無爲無策に狼狽して終始したことがあつた。このやうに何が何でも「命の大切さ」を教へることが人權教育、平和教育と呼ばれてゐるのである。これは、現代人權論と同じ系譜に屬する教育思想に基づいてゐる。ところが、前にも述べたが、この人權教育や平和教育がすでに教育の現場では破綻し、殘虐事件が多發して教室は荒廢し續けてゐる。

その原因は、「命の大切さ」のみを教へつづけることにある。個體の命より大切なものがあることを教へないからである。動物の世界でも、親は、子を救ふため自らの體を差し出すことがある。個體は、社會や國家、そして地球に連なるものであるから、理性論教育ではなく、本能論教育に徹して、個體の命よりも、それを捧げてでも守るべきものがあることを教へなければならない。

「命は義によりて輕し」とか、「命は鴻毛より輕し」とかの言葉は、大義のために捨てられる命の尊さ、偉大さを教へたものである。教育敕語には、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」とあり、まさにこのことが説かれてゐるのである。

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