國體護持總論
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著書紹介

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權力分立制

ところで、抜本的な制度設計としての淨化再生裝置を考案するための前提として、既存の制度がどのやうな淨化再生機能を持つてゐたのかについて檢討する。

先づ、從來まで、ロックやモンテスキューなどの權力分立制は、權力の分離と相互抑制・均衡の機能を果たし、權力の濫用を阻止しうる「淨化再生裝置」の機能がある制度であるとされてきた。しかし、これはその後の歴史的事實に照らし、全く淨化再生機能を期待しえない缺陷システムであつた。この制度は、單に、「權力分掌制」にすぎず、細分化し多樣化する社會の統治效果を高める機能(機能的合理性)しか果たしてゐなかつた。いはば統治の分業體制である。そのため、少數支配の法則のとほり、少數者による支配が必然的に發生する。マックス・ヴェーバー(Max Weber)は、いづれの政體であるを問はず、全ての支配の實態は、極めて少數の支配者が多數の被支配者を支配してゐるのであり、その現實は偶然に起こるのではなく、不可避的に起こるものであることを論證したのである。ルソーもミヘルスも同樣の分析をしてゐる。それが不可避なものであることから「少數支配の法則(原理)」と表現されるのである。

少數支配に至る原因は、大衆國家性と機能的合理性とされる。現代國家は大衆國家であり、漫然とテレビを毎日見續けて時を過ごす生活に象徴されるやうに、膨大な大衆の特質は、無知、消極性、受動性などの政治的無關心であることから、政治的關心及び支配意志のある一部の支配階級が形成され、これらが權力を掌握して支配に至る。また、膨大な大衆社會を支配するについては、その支配の統一性を維持し統治能率を高めるためには、上下階層的(ヒエラルヒィッシュ)かつ官僚的(ビュロクラティッシュ)な近代組織體の機能的合理化を進める必要がある。その機能的合理化が進めば、その組織の頂點には計畫を立案して執行する指導的地位が形成され、少數支配が確立する。その意味では、『アメリカ民主政論』を著したトクヴィルの指摘は基本的には正しかつた。

そして、注目すべきは、この少數支配の法則の妥當する領域は、國家だけに限らず、現代國家に存在する、政黨、政治クラブ、労働組合、學校、會社、團體その他國家以外の一切の團體を含むとした點である。

即ち、權力分立制といへども、支配の統一性が必要であり、分立した權力のうち、必ず實質的に總ての權力を統括支配する「樞軸權力」が必然的に生まれるからである。憲法上の制度では分立した權力が相互に抑制・均衡の機能があるとされてゐるが、その中から樞軸權力が發生して他の權力を支配するに至るのは、まさに、「權力機關」相互間における少數支配の法則の適用でもある。

帝國憲法下の樞軸權力は、法律學的には統治權の總覽者である「天皇」とされてゐたが、政治學的には「軍部及び内務省(行政府の一部)」であつた。占領憲法では、法律學的には、「立法府」(占領憲法第四十一條)であるが、政治學的には、行政機構(官僚)の肥大化が進むうちに、次第に「行政府」へと移行した。言はば、「立法國家」から「行政國家」への變容である。本來、議院内閣制は、内閣(行政府)を國會(立法府)の執行委員會としての性格として位置づけ、行政府の抑制を實現しようとした統治組織であつた。しかし、國會の最高機關性と國政調査權を全うなさしめる實效性の擔保が缺落してゐたため、議會權限の空洞化が進み、國會(立法府)は内閣(行政府)の構成員(國務大臣及び各省政務次官など)の人材登録銀行と化して、現在では完全に國會の本來的機能を喪失するに至り、内閣(行政府)が「樞軸權力」の地位を確立した。さらに、樞軸權力を支配する政權政黨内部にも少數支配は確立し、多重的な少數支配が出現するに至つた。

昭和三十年十月十三日の日本社會黨再發足(左右兩派合同)及び同年十一月十五日の自由民主黨結成(自由黨と民主黨の合同)によつて、いはゆる五十五年體制が始まつた。これは、複數政黨の連立よりも統一政黨の連合の方が、人事の密行性と迅速性が保障され、少數支配に至る能率性が高まるからであり、必然的な傾向である。そして、その後も離合集散を繰り返し、基本的な變化がないまま今日に至つた。そのために、與黨(政權擔當政黨、組閣政黨)及び野黨(與黨以外の政黨)内部にも當然のやうに少數支配の現實が發生する。そして、樞軸權力を掌握する内閣(行政府)は、專ら與黨によって支配されるため、その與黨の少數支配者によつて支配される「二重支配構造」となる。ところが、與黨の内實は、合從連衡する各派閥や政黨の連合體であり、その内にある樞軸勢力は、連合體の過半數を掌握する必要があるため、實際には樞軸勢力は單獨の派閥や政黨ではなく複數の派閥や政黨の連合體となる。さらに、その連合體の内でも、最大派閥・政黨又は有力派閥・政黨(樞軸派閥・政黨)の少數支配となり、さらに、樞軸派閥・政黨においては、その領袖及び側近集團の少數支配が實現する。これだけでも五重、六重の支配構造であつて、このやうな「多重的少數支配」の構造形成は、單に我が國だけに限らず、およそ大衆國家の不可避的な宿命であつた。これは、五十五年體制固有の支配構造ではなく、五十五年體制の崩壞後においても、多重的な支配構造に本質的な變容はない。

この宿命的傾向に抵抗して、行政府の機能を監視し、その公正な運用の實現のため、各種の行政委員會などの行政機關が設置されたが、いづれも樞軸權力から選任される派生機關であるために、人事權の行使等の干渉や壓力により、次第にその獨自性は消滅していつた。上位權力である樞軸權力から派生する下位權力が、自己の存在根據である樞軸權力に反抗することは、その存在基盤自體を否定することになり、獨自性の維持について本質的な自己矛盾を包含してゐたからである。

ところが、戰後の我が國には、これまで樞軸權力から派生する下位權力の内で、唯一政治腐敗を摘出してきた行政機關があつた。それは、特捜部を設置した「檢察」であつた。

檢察官は、法律的には「獨任官」である。檢察官の複合官廳である檢察廳は、明文規定はないものの、檢察權の統一行使を實現するための「檢察官同一體の原則」といふ不文律により運營され、司法權の一翼を擔ふ「法曹」としての自負心に支えられて「檢察の獨立」を維持してきたのであつた。歴史的にみれば、戰前に、内務省を支配する警察に對して、司法警察作用に關してのみではあるが、各檢察官が捜査を擔當する各警察官に對して直接かつ個別的な捜査指揮權を行使して、警察權力に對して限定的ではあるが唯一獨自性を維持できた官廳であつた。ところが、戰後の『(新)刑事訴訟法』により、從來の強大な捜査指揮權は剥奪され、警察と檢察とは、基本的に協力關係といふことになつた(第百九十二條)。そこで、檢察内部には、捜査指揮權を奪はれた悔しさから、警察とは異なる獨自捜査を行はうとする積極意見と、公判に專從しようとする消極意見が對立したが、その失地回復を悲願とする前者の見解によつて、特別捜査部(特捜部)が設置された。そして、現在まで數々の疑獄事件を手がけて舊内務省官僚と張り合つたが、檢察には從來の捜査指揮權を復活させるだけの政治力がなかつたために、現在では、檢察の主人である法務大臣も舊内務省(警察官僚)が就任する事態も生じて、檢察も警察官僚の傘下に入つて支配される時代が到來し、失地回復を求め續けてきた檢察の政治介入による抵抗の時代は終はりを告げようとしてゐる。

この警察と檢察との國内二大權力の拮抗關係は、過去の統制派と皇道派との軍閥對立と似てゐる。戰後の造船疑獄事件において、法務大臣が檢事總長に指揮權發動して自民黨幹事長(佐藤榮作)を逮捕できなかつた夜、『青年日本の歌』(俗稱「昭和維新の歌」、五・一五事件の首謀者であつた三上卓海軍中尉の作詞)が東京地方檢察廳の廳舍から聞こえてきたとの新聞報道の逸話はこれを象徴してゐる。

しかし、司法制度の一翼を擔ひ、本質的に「司法作用」しか擔當しえない檢察に、政治腐敗を防止するための「政治作用」を果たさせることに本質的な限界がある。「公益の代表者」を自負するものの、これには明確な法的根據はなく、情緒的な過度の期待は「檢察ファッショ」の温床となるものであり、既にその弊害が明らかになつてゐる。

「法律(刑事)責任」と「政治責任」とは嚴然と異なる。前者は、「嚴格な證明」(適式な證據調べを經た證據能力のある證據による證明といふ法律概念)に基づく司法手續による證明責任に基づくものであるのに對し、後者は、「自由な證明」(嚴格な證明による證據以外又は手續以外による證明といふ法律概念)による證明責任に基づくものである。ところが、本來、司法作用は、このやうな嚴格かつ精密な手續による運用(精密司法)がなされてゐたが、これでは刑事責任が追求できないとの焦りから、檢察は、いはゆるロッキード事件において、從來までの刑事司法の定説では絶對に證據能力を肯定しえないものであるにもかかはらず、訴追免除を與へて取得したアメリカでのコーチャン、クラッターの各「囑託尋問調書」を嚴格な證明の證據として採用させるべく、法務省とアメリカ司法省間の取り決めを行ひ、最終的には、最高裁判所に、裁判所法第十二條の司法行政處分として「不起訴宣明書」を提出させ、司法作用と行政作用を意圖的に混同した異例の事態を招來させ、その證據能力を肯定させる暴擧に出た。これこそが、公益の代表者の美名に隱れて「檢察ファッショ」を企圖しようとする檢察の謀略である。この事件で右囑託尋問調書の證據能力を肯定して採用されたことは、最高裁判所も共謀して、占領憲法第三十七條第二項(證人審問權の保障)を否定したこととなつたが、それを證據として採用しなくても有罪であるとの心證を得たとしてこれを最終的に排除したが、我が國の刑事司法における正義は完璧に死滅したことだけは嚴肅な歴史的事實である。そして、このやうな檢察ファッショは、このロッキード事件以後に特捜部の變質を來した。大衆に迎合し、世間を騷がす事件だけを摘み食ひにして大衆の喝采を得ようとするポピュリズム(populism)に陷り、巨惡の順位序列を以て社會正義實現の優先順位としてゐた特捜部創設時の理想を放棄し、樞軸權力の走狗と成り果てた。

ともあれ、このやうに行政が肥大化して少數支配の確立を早めたのは、立法府(國會)と行政府(内閣)との權限分配態樣にも問題があつた。それは、内閣に法律と豫算の各提案權を認めたことに始まる。

一般に、國家の統治作用は、次の標準的な經緯に基づき實施されていく。先づ、その國の憲法に基づき、(1)「基本政策」の方針を①立案、②審議、③確定する手續、(2)「法律」の①立案、②審議、③議決の手續、(3)「豫算」の①立案、②審議、③議決の手續を經て、(4)「實施細目」の①立案、②審議、③決定(政令その他の命令)の手續がなされ、最後に、これらに基づいて(5)「執行」されるのである。

しかし、豫算は本質的に行政作用であるとか、二重法律概念(法律を實質的意義の法律と形式的意義の法律とに區分して、前者を「法規を制定する作用」とし、後者を「議會の同意を要するやうな國家の意志行爲」とする二重の立法概念)を用ゐて、實質的意味の法律について立法府の權限を縮小しようとする議論や、行政の概念について、立法でも司法でもない一切の國家作用を「行政」とする控除説の見解により、一般には、立法府の權限は右(2)の①ないし③と(3)の②及び③に限定され、その他の總ては行政府の權限となつて、立法府の審議は形骸化して行つたのである。特に、議會の場合は、政党制が導入されてゐることから、どのやうな法律や豫算であれば議會の多數派による承認が得られるか否かといふ豫測性は高くなり、そこでの審議が形骸化することは必至である。

そして、さらに議會審議の形骸化が進むと、立法府の權限は、(2)の③及び(3)の③のみとなり、立法府は、國權の實質的上の最高機關(樞軸權力)となった行政府に、その權限の正統性を付與する機關と化したのである。議員が法案策定能力を喪失することにより、立法府は行政府の諮問機關に變質したのである。

本來、意志決定及びこれに至るまでの作用は總て「立法」であり、意志決定後の作用が「行政」といふべきである。しかし、意志決定の前後で區別するとしても、國家作用は連續かつ統一されたものでなければならないので、權力分立制そのものに絶對的な價値評價を與へることはできない。「民主集中制」と呼ばれる實質的獨裁化を防止できうるのであれば、議會主義と權力分立制を否定して人民議會を設置した人民民主主義の理念も一應の評價ができる。總ての課題は、獨裁化と政治腐敗の防止にあるからである。

このやうにして、行政府が肥大化してくると、さらに、それを支配する樞軸權力が登場する。それが「官僚制」である。選擧での當落と短期の任期制によつてその地位に持續性のない議員が行政府の各部署の長となつても、行政の統一性と繼續性は期待できない。ましてや、行政の專門性を熟知しない議員においては尚更のことである。行政の專門性と継続性を維持するのは、そのことを身につけた官僚であり、選擧で選ばれた行政府の長は、選擧で選ばれない官僚の爲す政策決定に實質的に追随する結果となるのである。

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