國體護持總論
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著書紹介

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動的平衡と雛形理論

方向貿易理論によつて自給自足體制を確立させて行くことが、國家と世界の恆久の安定と平和、そして社會の發展を實現することになるのは、その方向が人類全體に備はつてゐる「本能」に適合してゐるからである。人類が共通して感じてゐる安定社會の既視感(デジャビュ)を具體的に表現したものが自立再生論といふことになる。

そして、この本能の實相を説明するための前提として必要なものが、第一章でも述べた動的平衡と雛形理論であり、このことについて以下に概要を再述することにする。

まづ、動的平衡についてであるが、これは既述のとほり、生き物の實相に關して大きな示唆を與へたルドルフ・シェーンハイマー(Rudolf Schoenheimer)の功績による。彼は、昭和十二年に、生命科學の世界において偉大な功績を殘してゐる。ネズミを使つた實驗によつて、生命の個體を構成する腦その他一切の細胞とそのDNAから、これらをさらに構成する分子に至るまで、全て間斷なく連續して物質代謝がなされてゐることを發見したのである。生命は、「身體構成成分の動的な状態」にあるとし、それでも平衡を保つてゐるとするのである。まさに「動的平衡(dynamic equilibrium)」(文獻329)である。唯物論からすれば、人の身體が短期間のうちに食物攝取と呼吸などにより全身の物質代謝が完了して全身の細胞を構成する分子が全て入れ替はれば、物質的には前の個體とは全く別の個體となり、もはや別人格となるはずである。しかし、それでも「人格の同一性」が保たれてゐる。このことを唯物論では説明不可能である。人體細胞も一年半程度で全て新しい細胞に再生し、しかも、その細胞の成分も新しい成分で構成されるといふことになると、このシェーンハイマーの發見は、唯物論では生命科學を到底解明できないことが決定した瞬間でもあつた。

そして、このことと竝んで重要なことは、この極小事象である生命科學における個體の「いのち」から、極大事象である宇宙構造まで、自然界に存在するあらゆる事象には自己相似關係を持つてゐるとするフラクタル構造理論の發見である。フラクタルとは、フランスの數學者ブノワ・マンデルブロが導入した幾何學の概念であるが、いまやコンピュータ・グラフィックスの分野で應用されてゐる理論でもある。このフラクタル構造理論(雛形理論)とは、全體の構造がそれと相似した小さな構造の繰り返しでできてゐる自己相似構造であること、たとへば、海岸線や天空の雲、樹木、生體など自然界に存在する一見不規則で複雜な構造は、どんなに微少な部分であつても全體に相似するとするものである。そして、マクロ的な宇宙構造についても、いまやフラクタル構造であることが觀察されてをり、また、恆星である太陽を中心に地球などの惑星が公轉し、その惑星の周圍を月などの衞星が回轉する構造と、原子核の周圍を電子が回轉するミクロ的な原子構造とは、極大から極小に至る宇宙組成物質全體が自己相似することが解つてゐる。

このことについては、我が國でも、古來から「雛形」といふものがあり、形代、入れ子の重箱、盆栽、造園などに人や自然の極小化による相似性のある多重構造、入れ子構造を認識してきたのである。そして、『古事記』や『日本書紀』には、この唯心と唯物の世界、形而上學と形而下學とを統合した大宇宙の壮大な雛形構造の原型が示され、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱の神が天津神の宣らせ給ひた「修理固成」の御神敕を受け、天の浮橋に立つて天の沼矛を指し下ろし、掻き均して引き上げて出來た「オノコロシマ」(淤能碁呂島、オノゴロジマ)とは、「地球」のことであつた。「オノ」といふのは、ひとりでに、自づと、といふ意味の大和言葉であり、「コロ(ゴロ)」といふのは、物が轉がる樣から生まれた擬音語である。「シマ」といふのは、島宇宙、星のことあり、いづれも大和言葉であつて、これをつなげた「オノコロシマ」とは、「自ら回轉してゐる宇宙」、「自轉島」、つまり「地球」なのである。そして、このオノコロシマから始まるその後の記紀による國産みの話は、我が國が世界の雛形であることを意味してゐる。また、地球といふ生命體の創造において、天の御柱を二柱の神が廻る姿は、個體細胞の染色體が二重螺旋構造をしてゐることを暗示し、まさに極大から極小に至るまでの相似形象を示す我が國の傳統である「雛形理論」を示してゐる。このことからすると、記紀には、宇宙創世から地球の誕生、そして、その創世原理としての雛形理論といふ比類なき壮大な宇宙性、世界性、普遍性が示されてゐるとともに、我が國が世界の雛形であるとの特殊性が描かれてゐることになる。

『大學』でいふ「修身齊家治國平天下」といふのも同じである。これらは、森羅萬象や社會構造の全てについて、この雛形理論で説明できることを示したものであつて、人の個體、家族、社會、國家、世界のそれぞれの人類社會構造の解明についても、この理論が當然に當てはまる。

また、同じく社會科學としてその科學的考察を必要とする法律學、憲法學、國法學の分野においても、同じく「科學」である限りは、この雛形理論が適用されることになる。つまり、國家と社會、民族、部族、家族、個々の國民とは、同質性が維持される自己相似の關係にあり、個體の細胞や分子が全く入れ替はつても人格が連續する姿は、皇位が歴代繼承され、國民が代々繼襲しても、それでも連綿として皇統と國體は同一性、同質性を保つて存續する國家の姿と相似するのである。「國」は「家」の雛形的相似象であることから「國家」といふのであつて、天皇機關説や國家法人説も、人體と國家の相似性に着目した學説であつた。

そして、「生體」がその構造と代謝の基本單位である「細胞」で成り立つてゐるのと同樣、「國家」もまたその構造と代謝の基本單位である「家族」から成り立つてゐる。家族(細胞)が崩壞して、ばらばらの個人(分子)では國家(生體)は死滅するのであり、「個人主義」から脱却して「家族主義」に回歸しなければ、國家も社會も維持できないのである。

この動的平衡と雛形理論からすると、政治、法律、經濟などあらゆる分野の構造においてこれが適用されることにより安定化が圖れることになる。それは、生體において、構造と代謝の基本單位が細胞であるのと同樣に、經濟單位が家族單位の規模まで極小化することが最も安定することを意味してゐる。家族單位まで極小化したものが、さらに個人單位まで極小化できるか否かはその後の課題であるが、現在の個人主義的な經濟單位とするグローバルな經濟構造では、あたかも單細胞動物の危ふさがある。これまでの經濟構造の歴史的推移は、さながら多細胞動物が徐々に細胞數を減少させ、單細胞動物へ退化して行く過程にも似てゐる。これでは、國家や世界の生存が危ふくなる道理である。

それゆゑ、極小化の限界は、家族といふことになる。しかも、安定性からすれば、大家族といふことになるであらう。

以上により、方向貿易理論によつて自給自足體制を確立させて行くことは、世界全體を、家族、部族、民族、國家、世界へと、それぞれが動的平衡のある重畳的な雛形構造に整序されて、國家と世界の恆久の安定と平和、そして社會の發展を實現させることになるのである。

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