國體護持塾について
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國體護持塾 組織




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 塾  長: 南出 喜久治先生

 

 代   表: 平野 ゆかり


 代表代行: 加藤 智也

 

 政策本部長: 浦野 穏正

 

 ウェブ管理 : 田中 朱美

 

 事 務 局長 : 溝口 佐知子  






 人に志がなければならないのと同じように、国家にも志がなければならない。国家にとつて、私利私欲と経済的な国益よりも、国家の命運を賭した国家としての志がなければならない。人にとつて志というのは、生きる目的と希望であり、人に備はつた本性である。他の動物と異なり、これがなければ、人は精神の安定が得られず、生活が安定しない。人は、即物的な生活だけで満足する生き物ではない。祖先祭祀と自然祭祀などの祭祀生活ないしはその擬似生活としての宗教生活を営むことでなければ、魂の安静は得られないのである。

 

  真理と理想に近づく社会構造は、決して複雑なものであってはならない。単純明快であることが必要である。煩を去って朴に復る。これは、「良い考へは常にシンプル」(クリフォード・ハーパー)とか、「小さいことは美しい(スモール イズ ビューティフル)」(E.F.シューマッハー)、あるいは「単純なことは美しい(シンプル イズ ビューティフル)」という言葉で表現してもよい。複雑で難解な社会と経済の構造では、仮にそれが適正なものであつたとしても、それを理解し管理しうる者だけが社会と経済を支配する寡頭政治となり、支配構造に対する生殺与奪の権限を掌握した者が故意又は過誤によって過った運用をすれば全体の社会の経済の構造が脆くも崩壊することになるからである。

 

 そして、この国家の志、さらには世界の志として共通して必要なものは、この方向貿易理論の必然的な帰結である「自立再生論」を実現するという志以外には存在しえないことが理解されるはずである。

 

 自立再生の理念は、我が国の国体の精華であるにとどまらず、全世界を遍照する金剛智であって、単に、経済的側面のみならず、政治・文化・教育・生活その他の全ての社会事象を調和させる。そして、経済以外の不安定要因である宗教と民族の問題についても、宗教集団や民族集団は、自ずとそれぞれ同一の構成員による独立した単位共同社会に分離されて生活することになるから、これらの問題も殆ど解消するに至る。

 

 つまり、宗教紛争や民族紛争というものは、分業化体制の現実からして、どうしても異宗教徒同士や異民族同士が、それぞれの生活を維持するために混在混住し、雇用関係や事業関係などの経済的な相互関係を持たざるをえないことが最大の原因となっている。そこで、単位共同社会が形成され、それが大家族まで極小化して行く過程の中で、異宗教徒や異民族との経済的な相互依存関係が棲み分けによって解消する方向へ向かひ、紛争の根本原因が消滅することになるのである。

 

 そして、このような紛争原因が縮小し解消することによって官僚統制国家(全体主義)の役割も終了し、世界維新が実現し、世界と地球には再び安寧が蘇る。

 

 この世界維新とは、神勅の成就であり、その神勅とは、「修理固成」の御神勅のことである。つまり、天つ神が伊邪那岐命(いザナキノミコト)、伊邪那美命(いザナミノミコト)の二柱の神に賜はれた「於是天神諸命以、詔伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱神、修理固成是多陀用弊流之国、賜天沼矛而、言依賜也。(ここにあまつかみもろもろののみこともちて、いざなきのみこと、いざなみのみこと、ふたはしらのかみに、このただよへるくにををさめつくりかためなせ、とのりて、あめのぬぼこをたまひて、ことよさしたまひき。)」(古事記上巻)の御神勅である。

 

 さらに、この御神勅は、天照大神(アマテラスオホミカミ)が皇孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に賜はれた天孫降臨時の「葦原千五百秋之瑞穂国、是吾子孫可王之地也。宜爾皇孫、就而治焉。行矣。宝祚之隆、当与天壌無窮者矣。(あしはらのちいほあきのみづほのくには、これ、わがうみのこのきみたるべきくになり。いましすめみま、いでましてしらせ。さまくませ。あまのひつぎのさかえまさむこと、まさにあまつちときはまりなけむ。)」(日本書紀巻第二神代下第九段一書第一)という「天壌無窮」の御神勅と、神武天皇の「上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎。(かみはあまつかみのくにをさづけたまひしみうつくしびにこたへ、しもはすめみまのただしきみちをやしなひたまひしみこころをひろめむ。しかうしてのちに、くにのうちをかねてみやこをひらき、あめのしたをおほひていへにせむこと、またよからずや。)」(日本書紀巻第三神武天皇即位前己未年三月)という「八紘為宇」の御詔勅へと連なる。これを現代において具体化しうるのが、この自立再生論なのである。

 

  自立再生論は、これら御神勅を体現したものであり、その目指すものは、世界が自立再生論を選択し、これに基づく経済政策を実現して絶対平和を実現することである。トマス・モアの『ユートピア』、つまり「どこにもない場所」を探し求めるのではなく、単位共同社会が「どこにでもある場所」とすることである。

 

 そして、その指標は、自立再生論に基づく自給自足の閉鎖循環系である「単位共同社会の極小化」にある。世界主義や経済圏拡大主義(例へば、EC統合、道洲制)などの「拡散指向」は、「単位共同社会の極大化」をめざすものであり、それを地球規模にまで拡張することに飽き足らず、宇宙まで取り込むに至る。「拡散指向」によれば、地球の内部矛盾を隠蔽して一層深刻化させることは必至である。

 

 この「拡散指向」を捨てて、「単位共同社会の極小化」による「集束指向」によらなければ、地球と人類は救はれない。これまでの歴史は、「拡散指向」でここまで拡散・拡大してきた。人類は、そのまま放置すれば、拡散指向にあることから、「集束指向」の政策によって均衡を保つことができるのである。

  

 このようにして、世界の人々が雛形理論に基づいた自立再生論によって国際社会が集束(みすまる)したとき、そのとき同時に世界の人々の祭祀も復興し、すめらみことの御代となるのである。




参照抜粋元:「まほらまと」自立再生論より