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トップページ > 各種論文目次 > H24.09.28 いはゆる「保守論壇」に問ふ ‹其の七›占領典憲パラダイムの転換を求めて

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いはゆる「保守論壇」に問ふ ‹其の八›占領典憲パラダイムの転換を求めて

はじめに

内憂外患の緊迫した状況が差し迫つてゐる。外にあつては、領土の危機、国際経済の不透明さに右往左往してゐる。それは、これまで占領憲法では、仮に「自衛権」があつたとしても、「交戦権」がないことを真剣に考へてこなかつた大きなツケを払はされてゐるからである。また、内にあつては、さらに深刻であり、男女共同参画社会の推進、住民投票条例及び自治基本条例の制定、外国人地方参政権の附与、人権救済法案の成立など、着々と「革命」が進行してゐるのである。
 ルソーからフーリエ、そして、これらの思想を受け継いだアレクサンドラ・ミハイロヴナ・コロンタイといふレーニンの懐刀であつたロシア女性革命家は、家族制度を封建時代の産物、資本主義の温床として、家事と育児の社会化、女性解放論、事実婚の奨励などによつて家族制度を解体することに執念を燃やした。これが「熱い革命」、「急進的革命」であるとすれば、現在は、「冷たい革命」、「漸進的革命」が進行してゐると言つてよい。
 皇室と家族を解体し、天皇祭祀とこれに相似する祖先祭祀を否定することが日本革命の最終目的であり、国民主権論、人権論、平等論などを謳ふ占領典憲は、革命を推進する大きな後ろ盾となつてゐることはいまさら言ふまでもない。


二十年前、私とも親交のある慶應義塾大学教授の小林節氏が『憲法守って国滅ぶ』といふ書物を著した。これは占領憲法の改正論を主張したものだが、それ以後も改正への具体的な進展はなく、改正論が現実の政治日程に載ることは全くなかつた。それも当然と言へば当然のことである。占領憲法を憲法として有効と信じてゐるのであれば、占領憲法が唱へる国民主権を支持することになるが、国民主権の思想こそが祖国の再生を妨げ続けてゐる元凶であることを理解できてゐない。改正では到底祖国は再生できない。より改悪される危険があることを自覚できてゐなかつたからである。

しかし、時代は、やうやく占領典憲によつて固定されたパラダイムが転換する時期に入つてきた。『憲法守って国滅ぶ』と同じ頃に提唱された真正護憲論への理解が、一段と広がり、いまのところは数名ではあるが、憲法無効論を唱へる信念を持つた政治家が登場し、多くの人々の共感を得るに至つてゐる。ところが、いづれの時代も、パラダイムの転換期においては、これに必至で抵抗する勢力が生まれる。占領典憲パラダイムの転換においても、占領典憲に洗脳された徒花たちが湧き出すのである。この徒花には、二種類がある。一つは、革命を標榜する確信犯的な左翼であり、もう一つは、ハーメルンの笛吹き男のやうな似非保守である。
この似非保守は、占領憲法の改正論を主張して保守層の琴線に訴へるが、いつ、どうやつて改正するのかといふロード・マップ(道筋、行程表)を決して示さない。否、示せないのに改正できると偽るペテン師集団である。真正護憲論では、拙著『國體護持総論』第五章で具体的なロード・マップを示してゐるが、改正論者には到底できないことである。

占領典憲の効力論を論ずることは当然に必要であるが、政治論において、その理論が現実主義の見地から、変革のための具体的な道筋と日程を示せるか否かが重要である。それゆゑ、効力論もさることながら、この政治論において現実的でない改正論は敗北主義であると言はざるを得ない。

真正護憲論はあくまでも自立再生社会の実現のための手段である。それは、拙著『國體護持総論』第六章で描く社会の実現が目的である。最近になり、この増補部分を追加して、経済構造についての具体的な制度も提示した。このやうな視点から、占領典憲パラダイムの転換により、自立再生社会へと進展するについて、今までも、そしてこれからも徒花たちが挑む様々な真正護憲論への批判についても誠意を以て答へる必要があると考へた。

占領憲法の洗脳運動

占領憲法の効力論争は、これまで公式にはなされてこなかつた。それは、占領憲法が制定されたとする昭和二十一年十一月三日の翌月の十二月一日に発足した「憲法普及会」の影響によるものである。憲法普及会は、GHQの指示により設立され、多くの国家予算を投入し官民挙げての長きに亘る「洗脳運動」が実施された。『新しい憲法 明るい生活』といふ小冊子を二千万部発行して全戸配布するなど、様々な洗脳を繰り返し繰り返し実施し、その洗脳を信じない者や洗脳の効果のない者は、政治家、官僚、裁判所、経済界、学界、マスメディア(政官業学報の五人囃子)の要職には就けなかつたのである。洗脳され従順になつた者以外の者は、野に下るしかなかつた時代が長く続いたのである。そして、これは過去の歴史的事実だけではなく、その第二世代、第三世代が現在もなほ完全支配してゐるのが現在なのである。
 そのために、この論考は、政治家、官僚、裁判所、経済界、学界、マスメディア(政官業学報の五人囃子)のみならず、圧力団体も加はつた「真正護憲論シフト」によつて、真正護憲論を排除する言論空間が現存してゐることをこの論考によつて徐々に明らかにした上で、真正護憲論に対する謂はれなき批判と中傷に対して、節度を持つて反論を連載して試みるものである。

真正護憲論が浸透すれば、この洗脳運動による洗脳を解くための運動は行はれることになる。これも原状回復論に基づくものである。しかし、改正論ではさうは行かない。洗脳が正しいものであるから、その洗脳を解くことは「逆コース」であつて禁止される。そのため、永遠にこの洗脳は解かれない。また、改正の方向が定まつてゐないので、どちらの方向に改正されるかについてもニュートラルであるから、これほど危険なことはない。
 目的が定まらないのに改正することは、いかに危険であるかの自覚がない。占領憲法第九十六条の改正といふのは、あたかも「チキン・ゲーム」の危険を孕んでゐるのである。

学界、政界等における無効論

効力論争については、昭和三十一年の憲法調査会法によつてなされる予定であつたが、無効論の識者は一人も調査会委員にはなれなかつた。調査会報告書は、無効論があることを紹介するだけに留まつたのである。

しかし、憲法無効論は、我が国の学界において根強く主張されてきた。占領憲法制定当時に無効論を主張してゐた代表的な論者としては、井上孚麿氏、菅原裕氏、谷口雅春氏、森三十郎氏、相原良一氏、飯塚滋雄氏、飯田忠雄氏などであるが、外にも、太田耕造氏(元・亜細亜大学学長)、澤田竹治郎氏(元・最高裁判所判事、元・日本弁護士連合会憲法審議委員長、憲法学会初代理事長)などがゐた。福田恆存氏も昭和四十年に著した『當用憲法論』で占領憲法が無効であると主張してゐたし、現在でも小山常実氏その他の論者がゐる。
 なほ、これらの学者以外にも、政治家の主張として、昭和二十八年十二月十一日の衆議院外務委員会における並木芳雄委員の発言(第九条無効論)、昭和二十九年三月二十二日の衆議院外務委員会公聴会における大橋忠一議員の発言、そして、昭和三十一年に内閣に憲法調査會を設置する法案の発議者として同年七月四日に参議院本会議において提案趣旨説明をなした清瀬一郎衆議院議員の発言、さらに、「文藝春秋」平成十一年九月特別号所収の自由党党首小澤一郎論文(「日本国憲法改正試案」)などがある。
 そして、この占領憲法制定過程において、当初から外務大臣、そして内閣総理大臣として深く関与してきた吉田茂氏は、「・・・改正草案が出来るまでの過程をみると、わが方にとっては、実際上、外国との条約締結の交渉と相似たものがあった。というよりむしろ、条約交渉の場合よりも一層”渉外的”ですらあったともいえよう。ところで、この交渉における双方の立場であるが、一言でいうならば、日本政府の方は、言わば消極的であり、漸進主義であったのに対し、総司令部の方は、積極的であり、拔本的急進的であったわけだ。」(吉田茂『回想十年』第二卷)と回想してゐるとほり、まさに占領憲法は、交渉当事者の認識としても「外国との条約締結の交渉」としての実態があつたといふことである。つまり、占領憲法制定作業は、政府とGHQの二者間のみの交渉によつてなされ、政府は常にGHQの方のみを向いて交渉し、帝国議会や臣民の方を向いてゐなかつたことから、占領憲法は、国内法としての憲法ではなく、国際法としての講和條約であつたといふことである。
 このことは、何も交渉当事者であつた吉田茂氏だけの感覚や評価に限られたものではなかつた。たとへば、上山春平氏(京都大学名誉教授)は、『大東亜戦争の思想史的意義』の中で、「あの憲法は、一種の国際契約だと思います。」と述べてをり、また、有倉遼吉氏(元早稻田大学法学部教授)も占領憲法が講和大権の特殊性によつて合法的に制定されたとする見解を示してゐたこともあつたのである。また、黒田了一氏(元・大阪市立大学法学部教授、共産党系の元・大阪府知事)も、占領憲法を「条約」であるとする見解を示してゐたのである。
 ところで、前述した昭和二十九年三月二十二日の衆議院外務委員会公聴会において、外交官大橋忠一議員の発言には注目すべきものがある。大橋忠一議員は、第二次近衛内閣当時の外務次官を務め、また、昭和十五年十一月に松岡外務大臣のもとで外務次官となつて日米交渉に携はつた外交官であるが、この衆議院外務委員会公聴会において、「GHQの重圧のもとにできた憲法、あるいは法律というものは、ある意味においてポツダム宣言のもとにできた政令に似た性格を持つたもの」といふ発言をしてゐる。長く外交官を務めた者の判断として、占領憲法は、ポツダム宣言に根拠を持つ下位の法令であるとしてゐるのである。
 また、吉田茂氏の第一次内閣発足直後の枢密院審議において、吉田氏は、「GHQとは、Go Home Quicklyの略語だといふ人もゐる。GHQに早く帰つてもらふためにも、一刻も早く憲法を成立させたい。」と発言して、これが講和の条件として制定する趣旨であることを枢密院に説明し、枢密院は講和独立のためといふ動機と目的のために帝國憲法改正案を諮詢したことになり、講和条約の承認としての実体があつたことになる。

効力論争

このやうな背景と根拠により、我が国の国法学を主導する憲法学会においても効力論争は続けられた。初代理事長である澤田竹治郎氏と第四代理事長である相原良一氏が中心となつた。そして、私は、相原良一博士の推薦で憲法学会に入会したが、相原先生は、効力論争における学説を整理され、それを私が引き継いだ。無効説と有効説を区分し、さらに有効説を始源的有効説と後発的有効説に分類したのである。  我が国には、外来の法学を物まねするだけで、固有の国法学がない。それを提唱された一人が相原先生であり、それは最終的には『憲法正統論』として著された。
 形式的な意味の憲法である憲法典を実質的な憲法であると同視して、近代合理主義、成文法主義、法実証主義に組み立てられた法学は、制憲権によつて憲法が制定されるとする。憲法とは作られた法とするのである。ここに制憲権の主体が主権者であり、これは主権論と不可分一体のものである。我が国でも、このやうな見解が有力になつたのは、特に、占領憲法制定後のことである。しかし、英国の法の支配、我が国においては國體の支配を唱へる國體論は、主に、占領憲法無効論を主張する学者によつて唱へられてきたのである。
 ところが、最近における真正護憲論への反論らしき見解には、これまでも言はれてきたことだが、「憲法違反=無効を肯定しないのが近代法学なのだ、恐れ入つたか!」と強弁する者が現れてきゐる。確かに、それも手荒で粗野な見解であるにしても、法学における学説の一つであることは否定しない。しかし、ただそれだけである。
 この考へ以外は法学ではないと主張したとしても、これを否定する見解も法学における主張である。「憲法典の上に憲法なし。」とするのも、一つの見解に過ぎないのであつて、それを主張したからと言つて、それによつて効力論争が終了して決着が付くことは到底あり得ない。それぞれの学説が検証されてその優劣を競ふことになる。
 法学上の見解は、いづれも仮説に過ぎず、これが正しいといふ証明がなされない限り仮説のままである。法学は、哲学をも取り込んだものであることから、最後は論理的説得力の有無によつて決まる。この見解以外は主張してはならないといふ世界は、学問の世界ではない。学説は、権力や法律で規制されるものでもない。学問の世界で、これが絶対的真実であるとする証明もないのに、「この指止まれ、止まらなければ否定する」とする「近代法学」なるものは、社会科学ではなく、傲慢で排他的な宗教である。

規範とは何か

規範の命は、その規範に違反する行為を無効であるとすることにある。これを否定すれば規範は規範でなくなる。行為規範としても、評価規範としても、当該規範に違反するものは法的保護に値しないこと、それが「無効」といふ法的概念の意味である。帝国憲法に違反した改正行為は無効である。仮に、そのやうな明文規定がなくても、憲法典の上位規範である規範としての國體(國體規範)に違反するものは無効である。このやうにして我が国の秩序は維持されてきたのである。
 それを近代合理主義が、憲法制定権力(制憲権)なる概念を打ち立てて、制憲権によつて憲法が作られると主張することになつた。伝統国家の憲法とは、國體に含まれる祖法を投影したものであり、作られた法ではなく発見された法なのである。帝国憲法の告文などはそのことを示してゐる。

我が国の近代は、外来思想に染まつて、その猿真似することが学問的な権威とされた。これは今も続いてゐる。そのために、現在の憲法学といふのは、占領憲法解釈学しかなく、国法学、國體学がない。憲法典の上位規範を認めるか否かについて様々な見解があるが、いづれも仮説であり一つの学派に過ぎない。真理は、多数決では決まらない。正当性説に集約される近代法学の誤りに多くの人々が気付き始めた。「伝統法学」が胎動したからである。そのどちらに説得力があるのかの問題である。演繹法による証明はできないので、すべては帰納法による証明に委ねられることになる。

そして、世界においては、「憲法典の上に憲法なし。」との命題は、帰納法的に否定されてゐる。イスラム教世界やキリスト教世界では、当然のこととして否定される。アメリカ合衆国ですら、聖書に手を置いて大統領は宣誓するのである。これは、国法体系(憲法体系)の上に聖書やコーランといふ最高規範があることを意味するものであり、「憲法典の上に憲法(最高規範)あり。」といふことである。これが世界各国における國體の概念であり、我が国の國體概念と同じ構造となつてゐる。これが世界の常識であり、ここには欧米の一部にしか適用されない合理主義的法学(近代法学)は適用されない。このことは我が国でも同じである。合理主義的法学を唱へる者が、仮に多数を占めたとしても、真理は多数決で決められるものではない。ましてや憲法学者だけで決められるものではない。そんな特権は学者であらうと誰にでも認められてはゐないのである。学問的な真理は多数決では決められない。これも世界の常識である。それを頑なになつて、「この紋所が目に入らないのか!」と言はれて平伏するのは、水戸黄門のドラマだけにしてほしいものである。「効力論争はできないことになつてゐる」と強弁するのは、異説を一切認めない朱子学に等しい考へであり、学問をする謙虚さを失つた哀れさを感じる。

一例を挙げてみる。占領憲法には歴史伝統を重んじる規定はなく、むしろ、これを否定してゐる。さらに、占領憲法には、やまとことばが国語であるとの規定も存在しない。さうであれば、国語の選定は法律事項であるから、やまとことばを廃止して、英語を公用語とし、さらには生活言語とし、やまとことばの使用を禁止する法律は違憲ではないことになるのか。これを肯定するのが近代法学であるとすれば、このやうな論理は誰も支持しない。ここでは長い歴史を踏まへて成立した明文規範を越える不文の規範としての國體が認識され、これは國體違反として無効であると判断されることになる。これが「伝統法学」なのである。
 我が国の憲法といふのは、古事記、日本書紀などで語られる不文法の世界であり、明治の帝国憲法といふ憲法典のみではない。正統憲法は、五箇条のご誓文や教育勅語などを含む総体であり、帝国憲法のみが正統憲法であるとするものではない。

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