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トップページ > 各種論文目次 > H24.09.28 いはゆる「保守論壇」に問ふ ‹其の八›占領典憲パラダイムの転換を求めて2(続き)

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続き

小山常実氏の分断工作

ところで、憲法無効論を唱へる小山常実氏は、大月短期大学教授であり、新しい教科書をつくる会(藤岡信勝氏主宰)の理事である。私は、これまで担当した教科書裁判に関して、資料を戴いたりして協力してもらつたことがある。ところが、『いはゆる「保守論壇」に問ふ<其の四>小山常実氏に対する公開反論』で述べたとほり、『別冊正論 Extra.06』の「日本国憲法の”正体”」に掲載された小山氏の「占領管理基本法学から真の憲法学へ」と題する論文があつたが、これには私の見解を全く誤つて引用した。つまり、そこには、「この無効確認の効力は、将来に向けてのみ発生するのであり、過去に遡ることはない。実際、無効確認の効力を過去に遡らせようと主張する『日本国憲法』無効論者は、誰一人存在しないのである。」として、私も遡及効がないとする見解であるとしたが、これは明らかに誤りであつた。私のいふ無効確認決議の効力は、あくまでも占領憲法制定時において無効であつたことを確認することであつて、将来に向かつてのみ無効とするものではないからである。
 私は、その訂正を小山氏と正論編集部に要求し、少なくとも私の反論を掲載するやうに求めたが、小山氏と正論編集部もこれを完全に無視したことから、一般人の誤解を糺すために上記論文の公開に平成十九年七月に踏み切つたのである。

ところで、私は、平成二十三年十一月には、占領典憲の無効確認決議を求める参議院に対する請願に参加し、さらに、平成二十四年二月からは石原慎太郎東京都知事が私の見解を受け入れて占領憲法の無効論を主張し、ワシントンでもこれを主張することになつたことから、これをさらに支援するために、真正護憲論を支持する同志である土屋敬之東京都議会議員とともに、同年六月八日に東京都議会にも同じ請願を提出し、同月十三日には、土屋氏が石原都知事から占領憲法が無効であることの認識を公式に求める一般質問を行ひ、石原都知事もこれに答へた。
 そして、これをさらに拡散させるため、土屋氏が関係者に呼びかけをしたとき、その一人から次のやうな小山氏のメールを転送にて土屋氏が受信した。土屋氏がそのメールをさらに私に送つてくれたものであるが、これは明らかに私と土屋氏とを分断するための工作文書であつた。勿論、これに土屋氏は全く影響されなかつたが、その内容は余りにも虚偽に充ちてをり、私の理論を全く理解してゐないことがよく判る文書である。

「無効な憲法(であり講和条約で有効なものに過ぎないもの)の破棄」などと私は一度も言ったことはありません。無効なものを破棄するというのは語義矛盾です。土屋氏は南出無効論を信じているようですが、南出説と私など通常の無効論とは、百%理論的・政治的に対立する理論です。まだ、内政干渉を招かないだけ、改憲派の方がましです。
一、理論的
そもそも「日本国憲法」は講和条約ではありませんし、私は無効確認しろといっているわけで、破棄しろとは言っていません。破棄しろというのはそれほど害はないのですが、中国や米国に向かって条約破棄通告をするという南出理論は、内政干渉を招きます。南出理論は、無効論を唱える段階ではそれほど問題はないのですが(この部分でも実は大きな問題があるのです。特にハーグ条約を無視する傾向。総じて国際法無視の傾向)、「日本国憲法」が今どういう法として存在しているのか、という問題領域になると出鱈目なことばかりを言います。トータルでは、矛盾だらけで全く成立しない議論です。ほとんどの専門家がそう思っています。唯一の理解者であった渡部昇一氏も、嫌気がさしているようです。
一番端的に出鱈目といえる箇所をあげておきます。南出氏は、ポツダム宣言が入口条約、「日本国憲法」が中間条約、サンフランシスコ平和条約が出口条約であると位置づけていますが、そうであるならば、出口条約が出来あがった時点で「日本国憲法」は失効したことになります。しかし、彼は失効したはずの「日本国憲法」を大日本帝国憲法とともに現在の憲法として確定的に有効だと位置づけているのです。同じ条約説でも、渡部氏は「日本国憲法」は1952年の独立とともに失効したと捉えるようです。通常の無効論は、「日本国憲法」を暫定的に、時限的に有効だとする、あるいは憲法未満のものとして有効とするという工夫を行ってきました。これに対して、南出理論では、「日本国憲法」は確定的に憲法として成立しているのです。入口は憲法無効論ですが、出口は憲法有効論なのです。ですから、詐欺のような理論ですから、偽無効論と言う声が大きくなってきています。
二、政治的
南出理論は、中国を喜ばすだけの理論です。南出氏は条約破棄の通告を諸外国に対して行うといいますが、そんなことをすれば、喜んで中国や韓国は、内政干渉してきます。「俺たちとの話し合いで新しい憲法を作るべきだ、外交交渉で日本の憲法内容を決めよう。君たちの理論では、日本は一度米国を中心にした連合国と条約という形で日本国憲法を作ったではないか、もう一度同じことをしよう」と言ってきます。これに対して、南出理論では反論できないのです。改憲派も護憲派も、理論的にはこのような内政干渉を招きませんから、南出無効論よりはましなのです。なぜ、無効確認しないといけないのか。一言で言えば、独立国の精神の回復です。そして、将来、仮に中国と戦い敗れても憲法を押し付けられないようにする理論的根拠を作っておくことです。ところが、南出理論は、外国に再び押し付けられるような理論装置をつくり出したのです。南出無効論に基づく無効確認・破棄運動とは「予め裏切られた独立党の運動」なのです。
三、背後に何があるのか
振り返れば、実は、南出氏も、かつては破棄などと言うのは語義矛盾だと言って反対の立場でした。そして、条約説は昔から言っていましたが、決して破棄通告するというようなことは言っていなかったと思います(勉強不足なだけかもしれませんが)。破棄通告と言い出したのは、平成18年末頃だったと思います。当時、変なことを言いだしたなと思った覚えがあります。この平成18年末頃から、猛烈に、ネット上で南出理論を宣伝するブログが多数作られていきました。それまで南出理論を説くブログは一つか二つでしたから、異様な感じでした。そして、改憲派は護憲派と同じだと攻撃し、通常の無効論は戦後の秩序をすべてひっくり返すと言っていると嘘の宣伝をし出しました。相変わらず、今もこの嘘宣伝をしています。この宣伝に騙された多くの知識人がいたようです。その筆頭が渡部氏です。平成19年4月に渡部氏との共著である『日本国憲法無効宣言』を出したことによって、南出無効論の信者は一挙に増えました。後でわかったことですが、この年の7月ごろから、私への批判をネット上で行うようになります(きっかけは、私が南出氏の理論を私信で批判したことでしたが、私信レベルの論争を勝手に公のものにしたのです)。また、私に対する反論を書かせろと言って『正論』に文句を付けていたようです。正論は全く相手にしなかったようですが。ともかく、今振り返れば、平成18年と言う年が、日本の保守言論界の崩壊の始まりだったと思います。「つくる会」が分裂し、「新無効論」という名の偽無効論が登場した年です。この年に何がうごめいていたのでしょうか。ここのところ、本当にそう思います。平成19年の時点の私は、偽無効論との戦いをせず、「つくる会」理事となり、公民教科書作成に取り掛かりました。「つくる会」を守る方を優先させました。当時は、南出氏について一定の仲間意識がありましたし、偽無効論とまでは思っていませんでした。また、数回の手紙のやり取りを通じて、氏が、人に対して極めて無礼であり、しかも学問というものがどういうものか全くわかっていないことを知るにつれ、ともかく到底まともに相手にしない方がよい人だとも思いました。そして、何よりも、体力的に到底二つのことはできないという判断から、「つくる会」の活動に集中してきました。ただ、持たない体力ではありますが、私は二つの事を追求したいと思っています。南出理論については、いずれきちんと研究した上で、批判を展開していく予定です。ただ、その前に、育鵬社問題を初め、「つくる会」関係で片付けなければならないことが多数ありますので、なかなか掛かれない状況です。
四、最後に
 無効確認の請願運動自身は意味のあることです。問題は、南出偽無効論の影響を出来るだけ排除することです。それから、あの改憲派を敵に回すような独善的な物言いに染まらないことです。冷や水をぶっかけるようなことを書きましたが、これが今の日本の現実です。 南出理論の問題性については、拙ブログ上の記事や倉山満氏のブログをのぞいてみてください。
「日本国憲法」の性格――平成19年5月5日、『日本国憲法無効宣言』への感想
「日本国憲法」が無効である理由――条約説は成り立たぬ
無効論は「日本国憲法」有効論よりも法的安定性に寄与する――平成19年12月10日
「日本国憲法」無効論を広げるための四つの作業――平成19年12月10日

小山氏による印象操作

小山氏は、無効の効果は遡及せず、将来に向かつて無効となるとするが、これは無効の概念とは異なる。法的安定性が犯されることの批判を避けるために、将来効を主張したとすると、これは無効論の自殺行為となる。私は、そのことを指摘し、さうであれば、破棄論と同じであると指摘したのである。
 ここに書かれてゐることは、私の見解を理解せずに憶測で書いてゐる。憲法としては無効であるから、無効確認決議であらうか政府声明であらうが、無効のものを無効として宣言するだけであるが、講和条約の限度で有効なので、それを破棄することになるとすることが理解できてゐない。全くの誤解と憶測で書いてゐるのである。そして、このメールで一番驚いたのは、私への批判を倉山満氏のブログまで引用してゐる点である。倉山氏は、憲法有効論であり改正論者である。それを引用するといふのは、敵の敵は味方であるとする共産党的な共同戦線方式である。

共産党のことで思ひ出したが、北朝鮮による拉致事件を誰よりも早く指摘した功労者は兵本達吉氏である。兵本氏は、生粋の共産党員であつたが、後に除名された。私は、兵本氏とは古くから親交があつた。私が担当した共産党関係団体に対する訴訟について協力してもらつたことがあつたからである。
 その兵本氏が、「占領憲法は無効である」と語つたのである。これは、私との親交によつて私の見解に迎合したためではない。日本共産党は、占領憲法を無効であるとするのが本音であるとするのである。それは、野坂参三の二段階革命論に依拠する。非独立の占領下での憲法制定は無効である。しかし、この無効の憲法を最大限に利用して第一段階の革命を遂行し、独立後において第二段階の革命、すなはち共産革命を行ふ。その共産革命を実現するためには、占領憲法の改正ではなくその無効を宣言し、新たに国民主権による自主憲法を制定するといふのである。

小山氏のやうな国民主権を信奉する占領現法無効論は、結局のところ、野坂理論の信奉者であるといふことである。私は、正論編集部と結託して私の反論権を否定して言論を弾圧する小山氏と義絶することをここに宣言する。

倉山氏、上念氏、谷田川氏による印象操作

私は、ネット社会の住人ではないので、ネット上のことは殆ど知らない。支援者から教へてもらつて知る範囲でしか知らない。
 私は、倉山氏とは、チャンネル桜が平成二十四年四月二十一日に放送した『闘論!倒論!討論!2012 日本よ、今・・・』の番組の「どうする日本国憲法!?連続大討論part①」で初めて会つた。倉山氏は、過去に、「無効論など生ぬるい」と言ひ、この番組でも占領憲法を「落書き」と言つた人で、無効論者かと思つてゐたら、さうではなくて改正論者だつた。私は、その後も倉山氏とは全く会話したことがないのに、倉山氏も直接に私に言ふのではなく、ネットで私のことを批判してゐることが判つた。倉山氏とは、この番組の録画のときに名刺交換したのであるから、直接に私と話をすればよいのに、どうして私の頭越しにネットでしか意見の述べないのか不思議でならない。そして、倉山氏の友人と思はれる上念司氏や谷田川惣氏が、私のことをツイッターで、「カルト」とか「教祖」とか言つて執拗に侮辱を繰り返してゐた。これも日本人の美学に反する行ひである。

上念氏が発信したツイッターでの発言の一部を具体的に指摘すると、

「無効論とは、①一切の妥協を許さない教条主義」「護憲テロ」「結果よりも教義を重視するカルトもどき」「遠慮なく新無効論を邪教、変態護憲論として論撃できます」「新無効論の布教」「新無効論はカルト」「布教している」「新無効論が如何に間違った考えかを世の中に広めるために協力してくれる潜入スパイみたいなものですよ」「国粋主義者に偽装したコミンテルン工作員とやってることが変わらない」「教義を繰り返し布教しているだけです」「教祖」「むしろコミンテルン的だと思いますよ」「変態護憲論」「コミンテルンが国粋主義者に偽装して日米開戦を煽ったのと同じです」「教祖」「神学論争」「教義の繰り返しばかり」「ゴミからはゴミしか生まれない」「南出信者らは自覚ない」「南出信者は自分らが一番本能が劣化してる。」「カルト経典セット一式」「新無効論はどこをどう突いても矛盾だらけの欠陥品」「タダのバカ」「ブキミなカルト性を南出無効論信者」「中身も完全にカルト教団化してますよね。」「教祖の出してるマニュアル読みました」「南出経典」「教祖の趣味で過去の事例をつまみ食いした恣意的復古的なもの」「教祖自身も何だかよく分かっていない極めて曖昧なもの」「あれってどうも教団幹部らしいですよ。」「南出喜久治のインチキ現行憲法無効論」「カルトなんでこういったごく少数の狂信者だけで構成されている可能性もあります」「南出経典をコピペ」「理論はウソと矛盾だらけになります。」「新無効論者の異常性」「ひとつの考えに凝り固まった共産主義者のような新無効論者に、議論なんて無理なのかもしれません。」「要は、社会主義者と同じ」「革命勢力と同じです。」「教祖南出氏」「この教祖にしてこの信者あり。」「カルトの仲間にしか通用しない理論」「説明責任は布教したいカルト側にあるでしょ」「新無効論のような仲間内にしか通用しないカルト理論」「まさにカルトそのもの」「そうなんです。カルトってしつこいでしょ」「新無効論の危険性を勝手に世に広めてくれるんで助かります」「南出無効論者の異常性をトゥギャって晒してやってください。拡散協力します!」「新無効論者はトンデモない差別主義者だった。」「自滅の道をたどる新無効論」「変態復古主義とでも名付けましょうか?」

と言つた狂気に充ちた言葉が繰り返されたのである。一度の面識もない私に、ここまで憎悪を募らせる上念氏とは一体何者なのか。不思議でならない。
 そして、この上念氏は、私だけでは飽き足らないのか、土屋氏に対しても罵倒してくる。これも具体的に一部を列挙してみると、

「6/13に都議会で土屋たかゆき議員が「新無効論」に基づいた質問をするそうです。土屋議員の名誉と政治生命を守るため、こういった質問は辞めるように呼びかけましょう。土屋たかゆき公式サイト→ http://ow.ly/bk32V 」「土屋議員の信念が捻じ曲げられる可能性を指摘してるんです。新無効論は大変危険です。」「真剣に土屋議員の将来を心配してます。騙されないでください。」「土屋さんはむしろ新無効論の被害者だと思いますよ。」
「土屋さんは完全に騙されてます。あなたに良心があるなら、土屋さんに真実を告げましょう。新無効論は終わっていると!」「土屋議員は100%騙されています。あなたのような軽率な人にね。本当にかわいそうだと思います。」「新無効論者に後押しされた(騙された)土屋議員」「騙されてしまった地方議員の皆さんはご愁傷様です。」「土屋さんは目覚めてほしいですが、自業自得の面もあるので仕方ないです。」

といふものである。私も土屋氏も上念氏とは一面識もない。土屋氏を無能呼ばはりするやうな常軌を逸した執拗な行為については土屋氏の意向もあつて然るべき措置を講じてゐるが、これに谷田川氏も連動してツイッターでこれに賛同する発言を繰り返したのである。

私は、谷田川氏とは一度だけ会つたことがある。それは、平成二十三年九月に奈良文化会館で「けんむの会」などが主催する拉致救済のための集会が開かれたときのことである。
 私も登壇して憲法と拉致のことについて述べたが、司会者が、登壇者でもなく、集会のテーマとも関係のない谷田川氏の天皇関係の著書だけを取り上げて紹介したので、どこにでも天皇をダシにした書籍をわざわざ紹介してもらつて販売するやうな「天皇商売」には感心できないと感じてゐた。
 すると、集会が終はつてから、谷田川氏が、その書籍を胸に掲げて私のところに歩み寄り、「この著者です」と営業丸出しの自己紹介をしてきた。私は、そのことには触れずに、憲法のことについてどう思ふかと尋ねると、有効でも無効でもどちらでもよい、といふ優柔不断な回答をしたので、それではダメだ、と忠告した。ただ、それだけの会話をしただけである。

私は、上念氏や谷田川氏によるツイッターの件について電話し、私の名前が一人歩きさせることを止めるべきであると抗議し、暴言を吐くことは議論ではなく、折り目正しく対応するのであれば、公開討論に応じてもよいと告げた。
 私の名前が一人歩きすることについて抗議しても、私の発言を摘み食ひして歪曲し、また勝手にツイッターで公表するといふ卑怯なことが繰り返された。こんなことを繰り返すやうな人物は、決して折り目正しい作法を弁へた言論人とは言へない。皇室について語ることを生業とするなら、それなりの品格を備へてほしいものである。
 私は、公開討論を申し入れたが、それをチャンネル桜で行ふことは全く予定してゐなかつた。ところが、その後、谷田川氏は、内密にチャンネル桜と交渉し、水島氏を司会者とする討論に参加してほしいと求められた。しかし、四月二十一日放送の番組もさうであつたが、私は、効力論争をしたいので、もし、チャンネル桜でするのであれば、百地章氏と八木秀次氏と討論させてほしいと当初から希望してゐたのに、それを実現してくれなかつたので、どうせするのであれば、カルトなどと発言するだけの無内容の人物だけでなく、やはり百地章氏と八木秀次氏にも出演してもらふことを強く希望した。
 そして、もう一つ要望した。それは、四月二十一日放送の後で、水島氏が同年三月二日の『国民運動、原理主義と現実主義の狭間で』の中で、無効論は原理主義、改正論は現実主義であるとして無効論を批判してゐたことを知つたので、効力論争の司会は、それなりの見識を持つた中立公正な人にしてもらひたいと希望した。水島氏の討論番組では、水島氏自身が自己の主張をするのが通例のやうなので、効力論争の司会としては不適切と思つた。無効論が原理主義であり、改正論が現実主義であるとする認識は誤解であつて、ロード・マップを示せる現実主義が無効論であることを理解して意味でも、水島氏は司会ではなく改正論者の側として参加してもらふ方が適切である。
 しかし、「それはできない」と水島氏の使者である谷田川氏が回答したため、そんな不公正な方法では応ずることは難しいので、膠着状態になつてしまつたのである。それを私が最終的に返事しないので、逃げたなどと一方的に勝利宣言をしたが、いくらでも電話して私に最終確認をすればよいのに、このやうな事情も全く明かさないでこんな印象操作を平気で行ふのである。嘘の多い、ほんとうに品格がない人である。そして、その後、谷田川氏は、自己のブログで、八月三十日付けで「決定版・憲法無効論は破綻した論理」、九月十五日付けで『「決定版・憲法無効論は破綻した論理」の質疑応答』を掲載したといふのがこれまでの経緯である。

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