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トップページ > 各種論文目次 > H18.01.07 國體護持:条約考1

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國體護持:条約考

疑問と不安

これまで、帝國憲法を改正して成立したとされる占領憲法が憲法としては無効であることの理由を様々な角度から述べてきた。しかし、無効の根拠について理解できたとして、この無効といふ結論からは、次の素朴な「疑問」と「不安」が生じてくると思はれる。

まづ、「疑問」とは、占領憲法が憲法として無効であるとしても、全く何らの効力もないといふのか、といふ点である。これは、法律学的に表現すれば、絶対的無効か、相対的無効か、といふ問題、すなはち、憲法として無効な占領憲法は、憲法以外の他の法令としても一切その効力が認められないのか(絶対的無効)、あるいは、憲法以外の他の何らかの法令として効力が認められるのか(相対的無効)、といふ問題である。

そして、「不安」とは、法理論的には占領憲法が憲法としては無効であるとしても、これまで占領憲法の下で運用されてきた法律や裁判などの現実が遡つて否定されてしまふのか、これから先、いきなり帝國憲法が復原して適用されれば国民生活に大混乱が生ずるのではないか、帝國憲法が現実の政治と合はない点を今後どのやうな方法で調整させていくのか、といふ様々な不安である。

この「疑問」と「不安」は、いづれもこれまでの無効説が充分に説明しえなかつた命題であり、実は、この命題の解明は、無効説の論理構成によつて左右される性質のものであつた。そこで、本章では、さらにいくつかの基礎知識について整理しつつ、この「疑問」と「不安」の解消のために新無効説の核心に迫つてみたい。

絶対と相対の概念区別

まづ、無効の意義について、「続憲法考」では、次のとほり述べた。

「無効」とは、一旦は外形的(外観的)に成立した(認識し得た)立法行為が、その効力要件(有効要件)を欠くために、当初に意図された法的効果が発生しないことに確定することを言ふ。換言すれば、外形的にはその立法行為(占領憲法)は存在するが、それが所与の内容と異なり、または所定の方式や制限に反し、あるいは内容において保護に値しないものであるが故に、初めからその効力が認められないことである。

そして、次のことも「続憲法考」で述べたが、そもそも、法律学は、権利と義務、物権と債権、債権と債務などのやうに、相容れない対立する概念を構築し(峻別の法理)、それをすべての法律事象に当てはめて分類し分析する論理的な学問である。つまり、法理論は、デジタル思考の論理であつて、アナログ思考の論理は通用しない。有効であると同時に無効であるなどといふ、有効と無効の中間領域ともいふべき鵺的な概念は存在しえない。裁判所がなす「判決」に至る審理は、立証責任(主張事実の存在を証拠によつて証明しなければ不利益に認定されてしまふ立場)が事項毎に当事者のいづれか一方にあるのであつて、双方が共に負担することはないといふ徹底したデジタル世界(on or off )である。それゆゑ、判決は、その法律学の論理であるデジタル思考の論理が適用されるため、それが全部認容される全面勝訴の判決であらうが、全部認容されなかつた全部敗訴の判決であらうが、はたまた、その一部のみが認容される一部勝訴又は一部敗訴の判決であらうが、全て同じ論理で貫かれる。一部認容の判決と雖も、全体のうちの一部が数量的に可分的な判断をなしうる場合であつて、全体が数量的でないものや不可分一体のものについて一部認容の判決がなされることは絶対にあり得ない。ところが、同じく裁判所が関与するものであつても、裁判上の「和解」の場合には、アナログ思考の論理が許される。それは、対立当事者が判決によらずに互譲により紛争を解決するためであり、法律学の論理を排除することの合意も原則として認められるからである。かくして、法論理学においては、有効か無効かの区別は峻別され、集合論の論理で表現すれば、有効の集合と無効の集合との積集合は空集合であるといふことである。

ところが、無効とは、本来的に確定的に無効(絶対無効)を意味するが、ときには、その状態が不確定な場合がある。つまり、無効のものが何らかの要因によつて有効に変化したり、その逆に、有効のものが何らかの要因によつて無効になつたりすることがある。しかし、これは、同一の事象において、有効と無効とが同時に成立することを意味するものではなく、ある時点で有効であつたものがその後に無効となり、あるいはある時点で無効であつたものがその後に有効になるといふ場合である。それは、確定的有効、不確定的有効、確定的無効、不確定的無効といふもので、たとへば、詐欺、強迫によつてなされた法律行為は有効ではあるが、その後に取消の意思表示をすれば無効になるといふ「取消うべき行為」といふものや、無効の行為を事後に追認することによつて有効となるといふ「無効行為の追認」といふものなどである。これらは、峻別の法理の「例外」に属するものとされるが、厳密に言へば、これは峻別の法理の「応用」といふべきものである。つまり、これは、「確定」と「不確定」、「有効」と「無効」といふ二種の対立概念を組み合はせたものであつて、決して峻別の法理を否定したものではないからである。

そして、憲法といふ事象において、占領憲法の成立時(帝國憲法の改正時)には無効であつても、事後に有効となりうるか否かといふ議論は、それが確定的に無効であるか否かといふ問題に還元されるのであつて、占領憲法は帝國憲法の改正の限界を超えて國體を破壊する内容であることから、事後において追認などによる有効化が絶対にできないといふ意味で確定的無効(絶対無効)であることは「続憲法考」で述べたとほりである。

しかし、占領憲法が確定的に無効(絶対無効)であるといふことは、あくまでも憲法としては無効であるといふことであつて、それ以外の法令(法律、勅令、条約など)として効力を持ち続けるのか否かといふこととは全く別の問題である。既に述べた「確定的な無効」を「絶対無効」とも表現するので紛らはしいのであるが、これとは別に、一つの事象において無効なものが他の事象において有効であることを肯定するのを「相対的有効」と名付け、また、他の一切の事象においても無効であるとするのを「絶対的無効」と名付けることにより、相対と絶対といふ二つの対極概念を用ゐて区分をすることができる。

そして、このことを踏まへて、占領憲法を無効とする見解に共通することは、占領憲法が「憲法事象」において無効であるとする点であるが、「他の法令事象」の一切において無効であるとする「絶対的無効説」と、「他の法令事象」において有効であるとする「相対的無効説(相対的有効説)」とに区分することができる。

法の正義と法の支配

では、占領憲法が憲法としては確定的に無効であるのに、それよりも下位の法令、たとへば、「法律」として有効であるとする論拠があるか否かを考察する場合、まづ、その前提として確認しておかなければならないことがある。

それは、法律とは、憲法に基づいてその授権の範囲内の内容と手続で成立するものであつて、法律によつて憲法の内容を改変したり、これに抵触することはできないし、なによりも手続の公正さが維持されなければならない。つまり、その授権の内容と方法については、「法の正義」が守られなければならないといふことである。

この「法の正義」といふものは、「実質的正義」と「形式的正義」に分類されるといふ。そして、実質的正義とは、本来、価値が絶対視、絶対化されるといふ保障がなければ成り立ちうるものではなく、現代社会における価値の多様化に伴つて一義的に定まらない事象が拡大し、今後もさらに相対化することは必至である。しかし、その中でも比較的争ひのない歴史的かつ伝統的な普遍性のある規範と内容を抽出して、実質的正義の概念は現在も維持されてゐる。

このやうに、実質的正義が重要であることは今更言ふまでもないが、形式的正義の役割もまた近年益々重要となつてきてゐる。この形式的正義といふのは、「自己の権利は主張しながら、他者の権利を尊重しない者」を「悪」とする法理であり、他者を差別的に扱ふ「エゴイスト(二重基準の者)」を悪とするものであるとされ、「等しきものは等しく扱へ」「各人に各人の権利を分配せよ(Ius suum unicuique tribuit)」といふローマ時代から言ひ伝へられてきた人類の知恵であつて、現代においては「クリーンハンズの原則(汚れた手で法廷に入ることは出来ない)(自ら法を守る者だけが法の尊重を求めることができる)」や「禁反言(エストッペル)の原則(自己の行為に矛盾した態度をとることは許されない)」などとして、英米法のデュー・プロセス・オブ・ロー(due process of law 適正手続の保障)として結実し、占領憲法第31条もこれに準拠したものと説明されてゐる。

これは世界的に共通した普遍的法理であつて、勿論、我が国においても、「手前味噌」、「我田引水」、「身贔屓」及び「二足の草鞋」を不正義とする歴史と伝統があり、喧嘩両成敗として、公私、自他、彼此でそれぞれ判断基準を異にするとの典型的な二重基準(ダブルスタンダード double standard)の主張を排除してきたのは、この形式的正義の理念によるものである。

この実質的正義と形式的正義との関係は、法の正義の理念を車に喩へればその両輪、飛行機に喩へればその両翼であつて、いづれが欠けても「法の正義」は実現しえない。そして、この「法の正義」が実現することによつて、「法の支配(國體の支配)」が維持されるのである。『國體護持(革命考)』で、「法の支配」と「法治主義」との相違について述べたが、この法の正義とは、法の支配の構成要素として「法治主義」に対峙する概念と云へるのである。

占領基本法

以上によれば、占領憲法は、実質的正義(内容の正当)においても手続的正義(手続の公正)においても、正統憲法の授権の内容と手続を逸脱してゐるので、憲法としてはもとより、法律としても無効といふ結論に到達することは容易である。内容においても、帝國憲法の憲法規定を改変する内容であり、帝國憲法第73条の手続を形式的に履践したとしても、それが占領軍の強制によるものであるから、手続的正義を実現したものとはならないからである。

そもそも、憲法として無効なものが、その憲法の下位にある法律として有効となるはずはない。帝國憲法第76条第1項には、「法律規則命令又ハ何等ノ名稱ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ總テ遵由ノ效力ヲ有ス」とあり、それが「日本国憲法」といふ「憲法」といふ名称を用ゐたものであつても、帝國憲法と矛盾しないものであれば、それが法律としての制定手続に基づいてゐる限り、帝國憲法に基づいて成立した「法律」として遵由すべき効力があるが、占領憲法は帝國憲法を否定し、これと矛盾するために、「法律」としての効力を認めることはできないのである。

尤も、占領憲法が帝國憲法と矛盾しないのであれば、直接的に、帝國憲法の改正法としての「憲法」として認められることになるのであつて、「日本国憲法といふ名の占領統治基本法」(占領基本法)として有効であるか否かを検討する余地もあり得ない。それゆゑ、占領憲法が憲法としては無効だか「占領基本法」としては有効であるとする見解は、あたかも、旧日本社会党が自衛隊の存在を違憲であるが合法であるとした「違憲合法論」の論理矛盾と同様の誤謬を犯すものであつて認められないことになる。

確かに、占領憲法は、その制定手続においては、帝國議会の審議を経たものである。しかも、それは帝國憲法第73条に基づく改正手続の形式を践んでゐると仮装してゐることから、少なくとも形式上は「凡テ法律ハ帝國議會ノ協贊ヲ經ルヲ要ス」とする帝國憲法第37条の法律制定手続を履践してゐることになる。しかし、そもそも、帝國憲法の内容と手続に違反し、そして、これらの基礎法である國體に違反して絶対無効のものが、帝國議会の審議を経て「法律」として成立しうる手続を満たしてゐるとしても、それが有効であるはずはない。憲法として確定的に無効(絶対無効)であるものが、その下位法令である占領基本法として現在もなほ有効であるとすることは幻想に過ぎない。うべなるかな、親の仇は子にとつても仇である。

占領基本勅令

では、占領憲法は、帝國憲法第73条の改正条項に基づき、「勅命」を以て帝國憲法改正議案を帝國議会の議に付し、改正の議決を経て「上諭」を以て公布された占領憲法は、「勅令」の効力として有効となるのではないか、といふ「承詔必謹論」の応用ともいふべき主張もありうるので、念のためこれについて言及する。

まづ初めに、帝國憲法には勅令に関する条規として、第8条、第9条、第34条、第42条、第43条、第45条、第55条、第70条、第73条があるが、この中で、憲法事項と法律事項に関連するものは、第8条、第9条、第73条である。

このうち、第9条においては、天皇の命令大権を定める。帝國憲法上は勅令もまた行政作用としての命令の一種であり、天皇の命令大権により発せられる。そして、その命令には、「法律ヲ執行スル為」に発する執行命令、「公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スルカ為」に発する独立命令(狭義の行政命令)、さらに、明文にはないが、帝國憲法上法律を以て定めるべき事項(法律事項)を法律自らが命令に委任する旨を規定した場合になされる委任命令があるとされてきた。これらの命令(勅令)はいづれも法律よりも下位の法令であり、第9条但書にも「命令ヲ以テ法律ヲ變更スルコトヲ得ス」とあるから、「占領基本法」が有効であるとすることが幻想であるのなら、「占領基本令」もまた幻想といふことになる。

ところが、この命令大権に基づく勅令(命令)とは別格のものとして位置づけられる勅令として、第8条の緊急命令と第73条の憲法改正発議の勅令がある。

帝國憲法第8条には、この緊急勅令について、「天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル爲緊急ノ必要ニ由リ帝國議會閉會ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ發ス 此ノ勅令ハ次ノ會期ニ於テ帝國議會ニ提出スヘシ若議會ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ將來ニ向テ其ノ效力ヲ失フコトヲ公布スヘシ」と定めてゐる。そこで、この緊急勅令(第8条)と前述の命令大権(第9条)とを比較すれば、前者の特徴として、帝國議会閉会中であることを時期的な要件として法律を改変できるとする点がある。つまり、後者が法律の「下位」にあるのに対し、前者は法律と「同等(同位)」なのである。

『國體護持(憲法考)』で述べたとほり、ポツダム宣言受諾後、憲法改正案を審議した第90回帝国議会(昭和21年6月20日開会)までに開会された帝國議会は、敗戦直後の第88回(同20年9月4日開会)と第89回(同年11月27日開会)の2回のみであり、そのいづれの帝國議会においても、国家統治の基本方針についての実質的な討議は全くされなかつた。そして、その間の昭和20年9月20日、連合軍の強要的指示によつて帝國憲法第8条第1項による「ポツダム緊急勅令」(昭和20年勅令第542号「ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件」)が公布され、これに基づく命令(勅令、閣令、省令)、即ち、「ポツダム命令」(執行命令)が発令された。この「ポツダム命令」が占領中に約520件も発令されたことからしても、「ポツダム緊急勅令」の公布及び「ポツダム命令」は、占領政策の要諦であつたことが頷ける。ともあれ、この緊急勅令は、次の第89回帝国議会で提出され、承諾議決がなされたのである。

ところが、占領憲法については、あくまでもその法形式は帝國憲法第73条による改正法であつて、決して緊急勅令といふ法形式で発令されたものではないが、ここでの問題は、仮に、この占領憲法を帝國憲法第8条第1項の緊急勅令として発せられたものと看做されるとすれば、占領憲法は緊急勅令として効力を有するのではないかといふ疑問である。つまり、「日本国憲法」といふ名の緊急勅令(占領基本勅令)の効力論である。

しかし、帝國憲法第8条を根拠とする緊急勅令は、あくまでも法律事項の範囲内でのみ効力を有するもので、占領憲法のやうに憲法事項(憲法で定める事項)を改変して法律事項を超えるものは、たとへ勅令と雖も無効である。つまり、帝國憲法には憲法事項の変更に関する勅令(憲法的勅令)の規定がなく、緊急勅令は法律事項を守備範囲とするだけで憲法事項には及ばないので、この緊急勅令は違憲であり無効であるといふことである。勅令は無制約なものではなく、國體を変更することができないことは、國體の支配の原則からして当然のことなのである。

ただし、仮に違憲無効な占領基本勅令(占領憲法)であつたとしても、公布されたといふ事実があるため、これを同等の方法で無効であることを公示することが必要になる。つまり、仮に、占領基本勅令が緊急勅令であれば、「此ノ勅令ハ次ノ會期ニ於テ帝國議會ニ提出スヘシ若議會ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ將來ニ向テ其ノ效力ヲ失フコトヲ公布スヘシ」とする帝國憲法第8条第2項に基づき、公布された昭和21年11月3日以後の第91回帝國議会の会期に提出して承諾を得なければならないが、それが行はれてゐないため、政府としては「失効の公布」しなければならないが、これが未だになされてゐないからである。尤も、この緊急勅令たる占領基本勅令は違憲無効であるから、有効な緊急勅令の場合のやうな「失効の公布」ではなく、その類推としての「無効の公布」が必要となるであらう。すは、これは、占領憲法下の政府によつて占領憲法の無効宣言を行ふべき根拠の一つとなるのである。

非常大権

次に、これまで述べた「占領基本法」と「占領基本勅令」との関連で、帝國憲法「第二章 臣民權利義務」の第31条についても言及してみたい。

帝國憲法第31条は、「本章ニ掲ケタル條規ハ戰時又ハ國家事變ノ場合ニ於テ天皇大權ノ施行ヲ妨クルコトナシ」といふ規定であるが、帝國憲法下において、これがいはゆる「非常大権」と呼ばれる別個独立した天皇大権の存在根拠であるとする見解があつた。つまり、帝國憲法「第一章 天皇」の第4条から第16条までに規定されてゐる大権事項とは別個独立して存在する天皇大権であり、しかも、これは「国家緊急権」としての天皇大権の総括的規定であつて、緊急勅令大権(第8条)、戒厳大権(第14条)及び緊急財政処分(第70条)は、この非常大権の例示的規定にすぎないとする見解である。

これに対し、第31条は、緊急勅令大権(第8条)及び戒厳大権(第14条)によつて臣民の権利を制限し義務を賦課することができることを規定したものにすぎないとする見解があつて、この二つの見解は対立してゐた。

第31条の規定は、大権事項を規定した第一章(天皇)に属する規定ではなく、第二章(臣民権利義務)にある規定であり、別個独立した大権の存在と内容を示す表記はなされてゐない。而して、立憲主義に立脚する帝國憲法の解釈において、その存在と内容が明記されてゐない非常大権なるものを解釈によつて創設することはできないのであつて、後者の見解が正しいことは言ふまでもないが、帝國憲法の立憲的理解が未熟な戦前の時代にあつては、両者の見解の対立は、天皇機関説論争、統帥権干犯問題、陸海軍大臣現役武官制などの政治的な混乱を引き起こしてきた。

そして、戦後においても、この「非常大権」を以て、ポツダム宣言の受諾と占領憲法の成立を説明する見解が登場する。ポツダム宣言の受諾は、この非常大権の発動によつてなされ、それを原点として成立した占領憲法は「暫定基本法」としての性格を有するに過ぎず、「憲法」としての性格を有しないとするのである。そして、GHQによる軍事占領期間においても、憲法としては帝國憲法が厳存してゐたが、それが「仮死」ないし「冬眠」の状態にあつたので、占領解除の時点において法理上当然に非常大権の発動は解除され、帝國憲法は完全に復原したとするのである。

この見解は、前述した「占領基本法」と「占領基本勅令」の有効性の根拠を「非常大権」に求めるものであるが、帝國憲法下の立憲的秩序において、このやうな見解が成り立つ余地は全くない。まづ、別個独立した非常大権といふものの存在自体に疑義がある上、ポツダム宣言の受諾は、大東亜戦争の講和に向けて戦闘終結の端緒となつたもので、これは紛れもなく講和大権(第13条)の発動である。それが非常大権の発動とする根拠はどこにあるのか。また、非常大権と講和大権との関係はどのやうなものか。そして、帝國憲法が厳存してゐるとしながら、それがどうして「仮死」ないし「冬眠」なのか。非常大権なるものが、帝國憲法を「仮死」ないし「冬眠」させるだけの権限を有してゐるとする根拠はどこにあるのか。そして、「失効論」の矛盾と同様に、占領解除の時点において、天皇による何らの行為も必要とせずにどうして法理上当然に非常大権の発動が解除されるのか、などといふ点において、全く説得力を欠いてゐるからである。つまるところ、このやうな手法は、非常大権の概念とその内容を恣意的に創設ないしは解釈することによつて、どのやうな結論をも導けるものであつて、法の科学の領域における議論ではないといふことである。

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