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トップページ > 各種論文目次 > H26.01.30 占領憲法の「解釈の変遷」

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占領憲法の「解釈の変遷」

いでまして くにみそなはす すめろきの ことのはのたま うるはしきかな
(出で座して国見そなはす天皇の言の葉の霊麗しきかな)

 占領憲法第九条の解釈について、学者と政治家のピア・レビューによつてなされた「変遷」の最初は、警察予備隊が創設された朝鮮戦争時である。国語学的には無意味な「芦田修正」を言ひがかりにして、「前項の目的を達成するために」といふ「動機の表示」を「限定詞」(その限度に於いて)のにやうに読み替へ、自衛のためならば限定的に戦力を保持できるとし、さらに、交戦権(rights of belligerency)の意味を交戦国の権利(rights of belligerent)にすり替へる牽強付会の離れ業を行つたのである。自衛権を戦争手段によつて実現する外交権限のことを交戦権といふのであるから、自衛権は認められても自衛戦争はできない。警察力や自警団などによる非軍事行動でしか自衛権の行使は認められない。これが占領憲法の制定過程における歴然とした「立法事実」であつた。ところが、今やそのことすら忘れて、解釈の変遷は、第二期を迎へやうとしてゐる。

 それは、占領憲法の改正が困難である状況を踏まへた、集団的自衛権の行使を容認する動きである。しかし、仮に、集団的自衛権は認められても集団的自衛戦争はできない。少なくとも交戦国の権利(rights of belligerent)が認められない軍隊に戦争遂行能力はない。この問題を棚上げにして空虚な議論を重ねてゐる。だからこそ、いま一番必要なことは、終局的な解釈の変遷を行ふことである。石田梅岩が批判したやうな「文字芸者」たちによる換骨奪胎に等しい解釈の変遷を繰り返し、「法の命」である実効性がない占領憲法は、憲法の効力に関する解釈としては、「無効」なものであるといふ解釈の劇的変遷をさせ、占領憲法の無効確認宣言をすることである。



憲法学会会員、弁護士 南出喜久治(平成二十六年元旦記す)

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