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トップページ > 自立再生論目次 > H22.02.28 青少年のための連載講座【祭祀の道】編 「第十一回 祭祀と神仏参拝」

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青少年のための連載講座【祭祀の道】編

第十一回 祭祀と神仏参拝

みをすつり たからすつりし よすてひと なさけすつるも たまなすつりそ (身を捨つり 宝捨つりし 世捨て人 情け捨つるも 霊(たま)な捨つりそ)



今回は、改めて私の信仰的告白をします。私は決して無神論者ではありません。祭祀を否定するすべての宗教を否定するだけです。その宗教の最高神である絶対神やご本尊、それに開祖や宗祖などとして祭り上げられてゐる方々に対しては、さぞかし寂しくてお気の毒だとを感じてゐますが、排斥したり否定したりはしません。あくまでもその祭祀を否定する宗教の根本教義を否定するだけです。ですから、その宗教や宗派の説く徳目の中で、私の考へ(本能適合性)と一致するものは認めます。前にも触れましたが、善悪とは本能適合性の有無のことですから、その徳目が本能を高め、家族を守り、祭祀と國體を護持するものであれば歓迎します。

私は感受性が強いほうですので、気持ちの高まりが起こり、体が自然と招かれるときは、いつでも、どこへでも誰とでも参拝します。似たもの夫婦ですので、夫婦で参拝することが多いです。神社仏閣、慰霊碑などどこへでもです。他宗教や他宗派の葬儀や儀式にも招かれれば参列し、郷に入つては郷に従への如く、違和感のないやうに私なりの祭祀を勤めます。さういふ意味では、宗教的潔癖感が全くありません。祭祀的潔癖感が強いといふことです。

宗教的潔癖感といふのは、祭祀が判らない無明の人の自己満足に他ならないのです。自信がないから、排他性を持つのです。

では、神社仏閣などに参拝して、そこでは何を祈つたりするのかといふ質問が聞こえてきそうですが、私はお願ひごとはしません。自分の決意をお知らせするために参拝します。そして、参拝の対象となる最高神やご本尊と向き合つて、祭祀を否定する宗教の最高神やご本尊に祭り上げられて、さぞかし不本意なことでせうとお慰めします。私の決意は、世界における祭祀の復活です。そして、祭祀の復活による國體護持、世界平和の実現です。それ以外にはありません。個人的な願ひは一切しません。いはば無類のやせ我慢です。お願ひをしたりすると決意が揺らぐからです。さうしてゐると、いつの間にかお願ひができなくなつてしまひました。祭祀を勤める場合もさうです。お願ひはしません。ただ、決意を述べます。


ところで、宗教といふと、揺るぎない信心を持つことがよいと思はれてゐます。しかし、それは、宗教組織の側の組織防衛的な事情と利益のために、そのやうに言つてゐるだけで、殆どの人は誰も揺るぎない信心を持つてはゐないはずです。そんなことを強調するのは、信じろ、と説き伏せて居るオルガナイザーも含めて、みんなそんな固い信心なんか持つてゐないことの証拠です。疑ひを持つことは、生命を維持する本能として当然に生まれる働きです。警戒心を持つことが自己保存本能の働きだからです。警戒心を持たないのは、母親の羊水の中に浮かんでゐるときぐらいなものです。それを物心が付いて一人前に判断できるころになつて、いきなり、見も知らない人から、理性的に特定の宗教を信じなさいと言はれて、そのまま鵜呑みにして信じるほうこそが不自然です。結果的にその宗教を信じるにしても、他にも「鰯の頭も信心から」の如く、沢山の宗教、宗派があるのに、そのうちの一つに絞り込んで信じるとなると、その過程は疑ひと葛藤の連続だつたはずです。信じるまでの疑ひは寛容的に認められても、一旦信じることになつてから疑ひを持つことがダメな理由はどこにあるのでせうか。疑はないことを約束したのであれば、その約束に違反するからでせうか。それなら、信心とは契約に基づくものになつてしまひます。

そして、仮に、信じることの見返りで救はれるといふのであれば、信じることが先で、救はれることが後になります。信じた後の疑ひといふのは、信じた後に必ず救はれるといふ保証があるのか、本当に確かなのか、といふ疑問なのです。その気持ちを持つことをどうして否定できるのですか。ところが、信じることの見返りを求めるのは、真正な信心ではない、不純なものだ、と叱られるのです。ではどうしろといふのですか。

このやうなことは、日常生活では契約関係の世界としては当たり前のことです。それが信仰の世界だけは、どうして別なのでせうか。何一つ納得できる説明はありません。信心は理屈ではないと言ひながら、実のところ、宗教は恐ろしいほど精緻な論理の世界です。にもかかはらず、その論理の説明に行き詰まると、「目を瞑つて飛べ、さうしたら救はれる。」といふことを言ふので、誰もまともな人は理性的に納得できるはずがありません。

絶対神といふのは、人間が観念の産物として作つたもので、絶対神が人間を作つたのではありません。しかし、あからさまにそのやうに言つてしまふと、まさに無神論者の世界に入つてしまひます。ところが、ここからが祭祀の出番なのです。無神論者は宗教を否定するだけで思考を停止してしまひます。でも、無神論者と雖も、「ちちははと とほつおやから すめみおや やほよろづへの くにからのみち」といふ祭祀の道を否定することはできません。祭祀と宗教とは別物だからです。それでも祭祀を否定するとしたら、無神論といふのは、無神論といふ名の「宗教」に他なりません。ですから、私は無神論者ではないのです。


私は、浄土真宗(真宗)を捨てました。同時に、その他の浄土門は勿論、聖道門やその他の宗教のすべてについて入信することはしません。自分のことも大事ですが、それ以上に家族を守り子孫を守ることは、御先祖様がずつとこれまでしてこられたことであり、私もそれを受け継ぐことが誇りです。自分だけが家族とは関係なく救はれたいとは思ひません。家族が苦しんでゐるのに、自分だけが極楽に行きたいとは思ひません。家族のために、そして、祖国のために七生報国の気概があります。祭祀なき宗教は「個人主義」であり、個人主義を捨て、家族主義、祭祀と國體を護持するために宗教を捨てました。浄土真宗(真宗)は御先祖様が慣れ親しんできたものです。御先祖様としては、加賀の国の特殊性から、他宗派に属すると、村社会での共同生活ができない事情もあつたと思ひます。しかし、やはり、私の代になつて棄教することには葛藤がありました。しかし、決して宗旨替へではありません。棄教なのです。ハレの祭祀ができず、ケの祭祀もろくにできないことは、御先祖様が邪教に拉致されてゐるに等しいものです。棄教の理由は数へ切れないほどありますが、根本的なものとしては、宗祖とされる親鸞の説いた教理としての「仮説」が祭祀と全く相容れないからです。祭祀を実践することなく、肉食妻帯を公然と実践した親鸞は、「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず」と「歎異抄」の中で語つてゐます。そして、自ら執筆した「教行信証」の中で、数々の経典など引用しながら、「天を拝することをえざれ。鬼神をまつることをえざれ。吉良日をみることをえざれ。」、「天を拝し神を祠祀することをえざれ。」、「国王にむかひて礼拝せず。父母にむかひて礼拝せず。六親につかへず。鬼神を礼せず。」、「もろもろの外天神に帰依せざれ。」、「祭祀の法は、天竺には韋陀、支那祀典といへり。すでにいまだ世にのがれず、真を論ずれば俗をこしらふる権方なり。」などと「神祇不拝、国王不礼」を説きました。これは、祭祀と天皇の完全否定です。反天皇、反民族の思想です。ところが、今の教団は、このことを隠して運営してゐます。とんでもない嘘と見苦しい言ひ訳で固めてゐるのです。ですから、「神祇不拝、国王不礼」を忠実に守つて、靖国神社を否定する訴訟などを教団に属する者がキリスト教徒と共闘して仕掛けて来るのです。それがこの教団の本性であり、こんなものに何の未練もありません。むしろ棄教して祭祀に回帰したことの喜びの方が大きいのです。しかし、さすがに父母が存命のうちは、それができませんでした。孝に悖るからです。皆さんの中にも、同じやうな悩みがあると思ひます。しかし、無理をせず、あせらず、正式に棄教するまでに祭祀の実践として、やるべきこと、準備しなければならないことは山ほどありますので、その気概を高めて行くことを怠らないことです。私もそのやうにしてきました。

浄土真宗(真宗)の場合は、そのあたりは極めて融通無碍といふか、でたらめなところがあるので助かりました。私のところの仏壇には、前にも述べましたが、繰り出し位牌があります。しかし、これは、浄土真宗(真宗)からすると、本来は位牌そのものを認めてゐないのですから、本音と建て前とが見事に逆転して、今まで位牌を安置し続けられました。そのことが私に祭祀の復活に対する気概を養つてくれたことになり、この教団が教義的にだらしないことに感謝さへしてゐます。こんな矛盾は、他にも一杯あります。たとへば、親鸞は破戒坊主ですから、自らも認めてゐるやうに、「非僧非俗」なのに、「非僧」の教団に「僧」が居ること自体が形容矛盾の典型です。また、親鸞は、弟子も伽藍(寺院)も持たないと宣言したのに、立派すぎるほどの伽藍があることもさうです。本当は、親鸞が宗祖ではなく、今の本願寺教団は覚如と蓮如による破戒坊主の教団に過ぎません。

私だけがこのやうなことを言つてゐるのではありません。二宮尊徳はこんなことを言つてゐます。二宮翁は、親鸞の肉食妻帯は卓見ではないかとの意見に対し、「それはおそらく間違つてゐるぞ。」として、仏道を田んぼの用水堰に喩へ、「用水堰は、米をつくる大事な土地をつぶして水路としたものだ。仏道といふものは、人間の欲をおさへ釈迦の法の水路として世を救はうとする教へであることは明らかなことだ。人間には男女があつて結婚して相続していくものだから、男女の道は天然自然のものなんだが、この性欲といふ欲をつぶして仏法の水の堰としたんだよ。男女の性欲を捨てれば、それに伴ふ、おしい、欲しいの欲も、憎い可愛いといふ迷ひも自然に消えてなくなるんだ。・・・それなのに肉食妻帯をゆるしておいて仏法を実践せよといふのは、ちょうど用水路をつぶして稲を植えよ、といふのと同じじゃないか、とワシはひそかに心配して為るんだよ。」と答へてゐるのです。稀代の農政家ならではの卓見です。


ですから、日本仏教の教団に属する肉食妻帯蓄髪の「僧もどき」は、ミャンマーやタイなどの上座部仏教の国々では、僧侶としては認めてくれません。明治五年四月二十五日に「今より僧侶の肉食妻帯蓄髪等は勝手たるべきこと(自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事)」といふ太政官布告が出されて、僧尼令が廃止されましたが、これは肉食妻帯蓄髪をせよとの命令ではないのに、これ幸ひとばかりに、自ら進んで戒律を破り、殆どの僧侶が破戒坊主となりましたので、上座部仏教の国々では、日本の仏教教団が来ても、法衣を纏つた破戒坊主ないしは在家の仮装行列としか見られててゐないのです。自業自得の惨めな現実がそこにあります。

そのため、我が国では、「出家」の意味が希薄となりました。出家といふのは、本来、家族を捨て、財産を捨て、世上での幸福を求めない覚悟が必要でした。しかし、今では、出家といふのは、僧職として専従するといふ職業的な意味しかなくなりました。そこには、祭祀の復活を自覚できるだけの契機は全く見あたりません。また、戒律が守られてゐた時代でも、家族を捨てて出家し、それでも家族を基軸とした祭祀の復活のために命がけで祭祀を実践する気概を持ち続けることは、どうしても自己矛盾を来すことになります。つまり、祖霊への篤い思ひを捨てなければ出家できない性質のものだつたのです。出家して、すべてを捨て、喜怒哀楽の感情まで捨てたとしても、祭祀の精神(たま)だけは捨ててはならないといふ願ひを冒頭の歌に込めました。

しかし、祭祀の復活は、このやうに堕落して流動化し溶け出してきた日本仏教の方から起こつて来る予感がします。インドで仏教が勃興したものの、いつしかバラモン教が仏教をも包摂してヒンドゥー教へと変化し、仏教が衰退して行つたのと同様に、日本仏教は祭祀へと回帰するのだと思ひます。私の経験からしても、私がどこへでも参拝できるのは、理屈ではなく、私自身の小さいときからの習慣によるところが大きいのです。それを強いて解説するとすれば、「宗教の祭祀化」のための感性であると言へるのかも知れません。我が国では、神仏習合の伝統があり、それと同時に、祭祀と宗教も習合してきた歴史があります。「神仏習合」と「祭宗習合」が同時進行してきたので、このことに違和感がないのかも知れません。



平成二十二年二月二十八日(小正月)記す 南出喜久治


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