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トップページ > 自立再生論目次 > H22.03.05 青少年のための連載講座【祭祀の道】編 「第十二回 自然祭祀」

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青少年のための連載講座【祭祀の道】編

第十二回 自然祭祀

かみほとけ ひとがかみしも さだめても かみはかみなり ほとけはほとけ (神仏 人が上下 定めても 神は上なり 仏は穂外毛)



これまでは、祭祀のうちでも祖先祭祀を中心に話をしてきました。しかし、祭祀とは、齋(いは)ひ祀(まつ)ることの実践ですから、御祖先様への感謝とともに、御祖先様とその子孫の家族が生活を営み、その命を育くむものすべてに対して感謝の気持ちを捧げることが必要になります。ですから祭祀には当然に自然祭祀が含まれることになります。

我が国においては、祖先崇拝、祖先祭祀、自然崇拝、自然祭祀による家族祭祀が拡大して氏神、産土神、鎮守神の崇拝と信仰が民俗祭祀となり、それがさらに拡大して国家祭祀(天皇祭祀)へと連なつてゐます。これらが典型的な雛形構造となつてゐることはこれまで述べたことから理解できるはずてす。

ところで、自然と言つても、それは生活との「関係性」が重視されます。仏教的に言ふと「縁」のことです。「縁起(因縁生起)」(プラティートゥヤ・サムトゥパーダ)といふ言葉で説明されてゐるものです。つまり、生活とは無縁に近いか、あるいは余りにも生活から遠い自然は、広い意味では自然には違ひはありませんが、自然祭祀における直接対象としての自然ではありません。家族の生活が維持されるためには自然の恵みが必要不可欠であることから、自然物(山岳、海洋、河川、湖沼、平地、樹木、巌など)や自然現象(雷、風、竜巻、雪、雨、地震など)その他森羅万象の神秘さに対する感謝と畏敬、そして畏怖の念が生まれ、それが祖霊と共に信仰対象となつて祭祀の要素として取り組まれてきたのです。


この点について、祭祀の重要性を知らない合理主義に毒された宗教学者らは、祖先祭祀と自然崇拝とによつて織りなされた「祭祀」の信仰をアニミズムと称してゐます。このアニミズム(animism)の語源は、ラテン語の「anima」(霊魂、生命)であり、万物に霊魂が宿るとする有霊観、万物有魂論を指す用語です。これを否定する一神教文明では、アニミズムを猥雑な言葉として受け止めて、これらを未開低俗であるかの如く「原始宗教」とし、この祖先祭祀と自然信仰の融合した「祭祀」を否定した「世界宗教」とを比較して、後者は前者が進化したものであるとするのです。たとへば、ヤスパース(Karl Theodor Jaspers)といふ人は、「文明」と呼びうるのは、超越的秩序としての巨大宗教と哲学をもつた「枢軸文明」だけであるとしてゐます。これは、開発によつて森と水を失ふに至る人間中心主義の麦作を主とした畑作牧畜文明の拡大こそが文明の本質とする単純な進歩史観に基づくものです。これが現代の都市文明の源流であり、その拡大は、森と水に育まれた人の生態的環境を破壊して無機質に砂漠化することになります。このやうなものが文明であれば、それは、西郷隆盛が言ふやうに「野蛮」そのものです。

しかし、宗教学者はもとより、祖先祭祀と自然信仰を否定するのが世界宗教であるとうぬぼれてゐる宗教人たちは、この宗教進化論を唱へ、その世界宗教なるものが、人類にとつて本能的に最も重要で始源的な祭祀から逸脱して「退化」し「劣化」した「人工的粗悪物」であるとの自覚ができないのです。

祭祀と宗教の社会的機能について云ふと、祖先祭祀や自然崇拝は、宗教とは異なり、決して誰も傷付けません。宗教は、人を救ふと言ひながら、傲慢になつて人を見下し、実際はたくさんの人を殺してきました。しかし、祭祀は人を傷つけたり殺したりはしません。対立する家族や氏族、部族、民族、人種であつても、祖先を遡れば、やがてひとつの命の源に向かつて行きます。総ての命を一つにします。それが総命(すめらみこと)です。すめらみことによつて悉く対立を解消させる機能が祭祀にはあります。人は、遺伝によつて親子の顏や姿、性格やしぐさなどが似てゐることから親しみを感じる本能があり、そのことによつて親子の絆を強くして、家族に代々受け継がれて連綿と世襲する仕組みがあるのです。この世に生を享けたことの感謝にも順序があるはずです。まづは両親、そして、祖先、家族、氏族、同族、部族、宗家、国家、地球、宇宙といふ相似性の順序を辿つて「かみ」に至る雛形の構造を自覚するのが祖先祭祀です。このことは、自然祭祀の相似性の順序についても同じです。

つまり、祭祀の働きは「人類の融和」です。これに対して、世界宗教といふのは、特定の宗教勢力が「絶対神」を定め、それを「唯一神」とすることによつて、これと異なる「唯一神」を主張する宗教勢力とは、共に天を戴かない敵となります。このやうな宗教の機能は「人類の対立」です。第一回でも述べましたが、現に、これまで「祭祀戦争」は一度もなく「宗教戦争」は数限りなく繰り返されて大量の殺戮をし続けたことは否定のしようがない歴史的事実です。人々の救済のためにあるとする宗教が、これに従はない人々を脅して傷付け、そして、まつろはぬ人を殺すのです。それゆゑ、世界平和を本当に実現するためには、人類は宗教進化論の誤りに一刻も早く気づいた上で、人類が守るべき道である祭祀から退化・劣化してしまつた「世界宗教」を捨て、始源的で清明なる「祭祀」に回帰するしかありません。それによつて、闘争的で過度な教義の宗教も、選民思想や国粋主義の熱にうなされた過度な民族主義も、その弊害は次第に消え去つて行くことになります。


では、再び自然祭祀のことに話を戻します。前に触れましたが、自然祭祀は、生活との関係性があることが重要です。現在の生活とは無関係な自然、たとへそれが雄大で絶景のものであつても、それはその人にとつては自然祭祀の対象とはなりません。天体の中でも、月や太陽はすべての人にとつて関係性が大きいものですが、太陽系を超えた天体は自然祭祀の対象とはなりません。また、地球内の自然であつても、その自然と共生する人にとつては祭祀の対象になりますが、遠く離れてゐる人にとつては祭祀の対象とはなりません。その人がその場所を訪れても単に観光の対象にしかすぎませんが、その場所を選んで祖先祭祀を実施するときは、付随的に自然祭祀の対象とすることができます。つまり、祖先祭祀はどの土地でもできますので、その雄大な自然に抱かれながら祖先祭祀をすることはできますが、関係性のない土地で、祖先祭祀を行はずに自然祭祀だけをすることはできないのです。


現代では、国家はもちろん、各家族においても食料自給率が低下してゐます。特に、都会生活者の場合は、皆無に等しく、土地(地元)との関係性が希薄となつてゐるはずです。そのやうなときは、氏神、産土神、鎮守神をお祭りする神社や地元の水源地があれば、その場所も自然祭祀の対象として選定してみてください。そして、少しでも自前で農作物等を育てて自給し、その場所(土と水)を自然祭祀の対象としてみてください。


さて、この関係性を考へるについて、特に重要なことがあります。我が国では、その関係性が最も濃いものとしては、主として稲作を支へる自然といふことになります。稲作は、当時から、土木、治水を含めた統一的集団作業に支へられてをり、また、地勢や気候など森羅万象に依存してゐますので、その変化に多大の影響を受ける性質のものです。そのため、必然的に精霊崇拝(アニミズム)や憑霊呪術(シャーマニズム)を支へる土壌があり、祖先崇拝と自然崇拝、祖先祭祀と自然祭祀、民俗祭祀とが一體となつてゐましたので、これらを統合した「随神の道(神道)」は、単なる精霊崇拝や憑霊呪術の遺制ではなく、大嘗祭や新嘗祭など稲作農耕中心による建国統一の理念をも融合させてゐるのです。

この稲作は農業の中心として、我が国の歴史、文化に深く溶けこんでゐるのみならず、日本書紀の海佐知彦、山佐知彦の物語が意味するやうに、漁撈、狩猟と一体となつて食料の自給生活のかなめとなつてきました。このやうな自然と共生する稲作農業中心の暮らしとそれを育んだ多神教文化(総神教文化)は、麦作を中心とする畑作牧畜の暮らしとそれが育んだ一神教文化との根本的な相違点があります。稲作の農用地は、森林と共に水源を涵養して治水を果たすなど、古来から現在に至るまで重要な地政学的貢献をしてきましたが、麦作と牧畜の暮らしと一神教文化は、自然と対決し、自然を征服することが進歩であるとする点に大きな隔たりがありました。


また、稲作が祭祀と一体であるのは、我が国だけではありません。稲作発祥の地とされる支那の雲南省や貴州省などの山岳地帯に暮らすハニ族、タイ族、ミャオ族などの少数民族には、初穂に稲魂が宿り、それと祖霊とが一つとなるとの信仰、いはゆる稲魂信仰といふものがあります。そして、我が国と同様に、その地にも仏教が伝来したのですが、稻魂信仰は生き残りました。つまり、稲魂は釈迦よりも上に位置する存在と理解されたのです。

私の直観によれば、「ほとけ」とは、穂(ほ)の外(と)にある毛(け)といふことです。野生のイネ科の植物には、ススキなどもさうですが、穂に毛が生えてゐます。これは、鳥や虫などに穂を食べられないやうにして種を保存しようとする本能による智恵と工夫です。イネも野生種(原種)には毛があり、御先祖様は脱穀や精米のときに手こずつたはずです。その原種を栽培種として品種改良し、穂外毛(ほとけ)の少ない種としてきたのです。今でも、品種改良が殆ど進まなかつた縄文古代米である白毛餅に、かうした白く長い毛が残つてゐるのは、このやうなイネの歴史を物語つてゐるのです。

つまり、イネの歴史は、ほとけ(穂外毛)を少なくして穂(稲霊、祖霊、神)を実らしてきたのですが、我が国の歴史はさうではなかつたのです。我が国では、仏が本源であり神がその現象であるとする本地垂迹説による神仏習合に至つて祭祀が衰退しましたが、ハニ族らは稲魂信仰を維持して祭祀を守りました。このことは、我々としてはこれからでも祭祀復興のための模範とする必要があります。


ともあれ、我が国では、古来からの神祇信仰と外来の仏教信仰とを融合させる神仏習合が進んだ結果、本地垂迹思想が定着することによつて祭祀が衰退したのですが、神仏習合の切つ掛けは、「神宮寺」の出現にあります。この神宮寺とは、仏教が国家の保護を受けて行く中で、特に、地方の神社が衰退して行きましたが、この衰退は御祭神の神威が衰へたとして、隆盛となつてゐる仏教の力を借りて神社を救ひ護るために、神社の境内や傍らに創建した寺院のことです。記録上は、天智天皇の時代に備後(広島県東部)に創建された「三谷寺」を初めとして、神宮寺の名称が付されてゐるか否かを問はず、奈良時代、平安時代にかけて全国に数多くの神宮寺が創建され、それが神仏習合への流れを作つてきました。神願寺、神供寺、神宮院、別当寺、宮寺、護国寺など、呼称は様々ですが、主人(神社)の力が弱つた分だけ、助つ人(神宮寺)の力が強くなるのは当然で、いつしか両社の地位が逆転し、それが本地垂迹説へと加速したことは間違ひありません。このやうにして、神社の運営難により祭祀否定の仏教に乗つ取られる傾向となり、その後、平安中期に定められた延喜式によつて神社は完全に宗教化の路線を歩むことになり、祖先祭祀から遠のきました。そもそも、神を崇めるべき人間が、神々の神格の序列を決めたり、神仏の優劣を決めるなどは不遜なことであり、その不遜さが嵩じて、御先祖様の祭祀をも排除してしまつたのです。


このやうに、神社神道は、延喜式によつて祖先祭祀を否定され、仏教との張り合ひを意識して宗教化されたものの、神社固有の自然祭祀は辛うじて残りました。御神体を自然物としたり、特に、稲作や生活に必要な水と、それを涵養する森を守り続けたのです。古事記には、天之水分神と国之水分神の二柱の神様のことが出てきますが、この水分(みくまり)の信仰は、生活及び農耕と不可分の関係にあります。全国各地の分水点に水分の神が祭られてゐるのはそのためです。

「いはひまつる」(祭祀)とは、「いはふ」と「まつる」が重なつた言葉です。「いはふ」とは、漢字語では、齋(汚れを忌み清めること)とか祝(ことほぐことばを告げること)を当てます。そして、同じく「まつる」とは、祭(清めて供へること)、祀(つつしみかしこまること)、祠(祭壇をつくること)などの字を当てはめます。このことからすると、祭祀には、清めの意味があり、それは現代的な言葉を使へば、環境保護・循環無端(リサイクル)の思想なのです。特に、水は清くなければ農耕にも生活にも使へません。そして、その水を清くするためには、森を豊かに清浄に保たなければならないのです。

生物科学の法則に、「元素分配の法則」といふのがあります。簡単に説明すると、海水には、塩素イオンやナトリウムイオンなどの塩分が含まれていますが、これが蒸発して水蒸気となるとき、塩分はほとんど蒸発せず海水に取り残され、水蒸気は真水の雲になつて、海と雲との構成元素が分配されるといふ自然法則のことです。この自然法則があるために、水蒸気が雲となつて真水の雨を降らし、これが陸地を満たしたり、湧き水の源泉となつて陸上生物の生存が可能になるのです。これがまさに「水分(みくまり)」であり、水の輪廻なのです。この奇跡の自然法則に感謝するのが水分信仰なのです。そのため、御祖先様から私たちまでの生活と農耕を、これからも守り続けるために、それを育み続けてくれる土と水、森と山と海などの自然に感謝することは、祖霊への感謝と同様に祭祀の最も大切な要素となるのです。



平成二十二年三月五日記す 南出喜久治


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