各種論文

トップページ > 自立再生論目次 > H23.10.02 青少年のための連載講座【祭祀の道】編 「第三十一回 五穀と護国」

各種論文

前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ

青少年のための連載講座【祭祀の道】編

第三十一回 五穀と護国

あまつくにから ゐをこえて よひぬちふゆる やそわせも うゑねとほさへ すめろきは たむけいのりし おんみなれ
  (天津國から居を越えて夜昼ぬち殖ゆる八十早稻も植ゑね(根)と穗さへ天皇は手向け祈りし御身なれ)

地震、津波、原発事故、台風などによる被害に対して、巷では、危機感だけを煽り問題点だけを指摘するだけで何ら具体的な解決策や方向性を示さない著作が言動が氾濫し、復興、復旧の掛け声や、頑張らうといふスローガンだけが空しくこだまするだけです。危機に際しては、このやうな無責任な「不安産業」がはびこり、マスコミもその一翼を担つてゐます。


しかし、人の営みは営々と続けられるものであり、誰でも生存の危機に直面すれば、真つ先に対処しなければならないのは、食料についてです。このことについて、もう一度原点に立ち返つて考へ直す必要があります。

食料は、人々が命を繋ぐのに無くてはならない物です。国土が保全され人々が安心・安全に暮らすための基となるのが食料ですから、安全で安定かつ継続して供給される必要があります。そのためには、食料を自給自足しなければなりません。その自給自足の単位は、「家族」です。食料の生産を家族以外の他人(他家)に委ねると、安定した食料の確保ができなくなることがあります。家族で食料を自給自足してゐても、不測の事態が生じることがあります。自家の側に落ち度がなくても他家の都合で自家の食料が確保できない事態になることは納得できるものではありません。そんな危険があるのに、自家の命運を他家に委ねることはできません。しかし、災害などにより自家の努力ではどうしても食料を確保できない場合には、例外として他家に援助を求めることが必要となります。これはあくまでも例外なのです。それを恒常的に援助してもらふことにすると、家族が自立したことになりません。家族の自立とは自給自足のことです。


自給自足を実現するために必要なことは、「近くて遠いもの」の原則です。「近い」といふのは、生産地と消費地との地理的な距離(産地との距離)だけではなく、食事で摂取する物に至るまでにその素材が加工される工程の距離(素材との距離)についても、「近い」ものを摂取することを意味します。これは、「土産土法」に通ずるものです。土産土法とは、その土地でとれた旬のものをその土地の伝統的な調理法で食べることです。

そして、「遠いもの」といふのは、生物学的に見て、人類に近い動物から遠く離れた動植物を食すること、具体的には、食肉、乳製品に偏つた食習慣から離れて行くことでです。特に、乳製品からの完全離脱が最終目標となります。

乳児のときから殆ど母乳で育てずに乳製品に頼り、母乳摂取が著しく減少して行く風潮がありますが、このやうな人類の姿は、長い目で見れば、人類が哺乳類から離反して人類自体が退化して行く現象を示してゐます。母性の目覚めと強化は授乳にあります。そのことからすると、この現象は母性の低下を引き起こすことでもあります。母乳で育ててもらへないことから、つまでも幼児性から抜けきれず、いつまでも大人になれない姿が、哺乳類から離反して人類自体が退化して行くことを暗示してゐるのかも知れません。


その暗示は聖書に逆説的に示されてゐます。地中海とヨルダン川・死とに挟まれたカナンの地は、聖書では「乳と蜜の流れる場所」として描かれ、神(God)がアブラハムの子孫に与へると約束した土地(約束の地)とされてゐます。このことを人々の生活と食料との関係における経済的観点から眺めてみると、およそ理想郷とはほど遠いものがあります。

それはどうしてかといふと、乳と蜜が豊富に供給できるためには、多く乳牛と多くの蜜蜂(養蜂)が必要となり、それを支えるための莫大な飼料と、蜜蜂が花の蜜を集めるために必要な広大な花畑が必要になるからです。

つまり、乳と蜜が作られるためには、乳牛に与へる大量の飼料と、蜜蜂が蜜を大量に集めることのできる蜜源としての百花の花天が確保されることが必要です。乳と蜜は、乳牛と蜜蜂の営みによる二次的な生成物であり、人が直接に飼料や花を食するのとは異なつて、人間の食料としては間接的なものが必要となり、極めて生産効率が悪いものです。しかも、牛乳は母牛が仔牛に飲ませて育てるためのものであり、蜜は蜜蜂が越冬用に貯蔵する食料であつて、それを人間が横取りするといふ後ろめたさがあります。

間接的で食料の生産効率と土地の利用効率が悪く、人間が生態系から収奪する構造の食料生産に頼るといふのは、共生の観点からしてどこか歪んでゐます。ですから、乳と蜜の流れる場所に住んでも本当の安息は得られません。そんなところに住むのは、他の動物の営みの成果を横取りして食料を収奪することに何の疑問も抱かない人間中心思想の傲慢な人間にしかできないはずです。


そもそも、労働といふのは、決して神(God)が与へた人類の原罪に対する苦痛ではありません。労働とは、生きる喜びであり、神聖なものです。本来は食料の生産に向けた直接の営みであり、その他の必需品を自前で生産するための活動であつて、それ以外の活動は、それを支へるための補助的なものです。

ところが、原材料としての食料が生産されても、それをそのまま口にできる物は限られてゐます。通常は加工して口にします。手間暇をかけるのです。一人でその手間暇をかけるとすれば、それが限りなく簡素でなければ継続できません。手の込んだ加工をするのは、結果的には美食を追求するためであり奢侈に属する活動です。さうすると、他の産業と同様に、食品加工についても分業化が始まります。これがこれまで自給自足体制が崩壊して行つた原因です。


現代社会では、産業が分業体制によつて細分化、多段階化されることに連動して、食物もまた加工、精製の細分化、多段階化が進行してゐます。多種多様な食物素材が調理されて実際に人の口に入るまでに、収穫、生産、流通、加工、精製、販売などの過程を経ることになりますが、加工食品やファースト・フードなどの様に、複雑に細分化、多段階化した「食料品」は、工業製品と同様の分業化に支へられてゐます。また、加工食品の運搬、流通に不可避的な梱包、開梱、分類、陳列、包装などの過程もまた多くの梱包用資源の消費と分業の細分化、多段階化をもたらすことになります。このやうな分業度と加工度、精製度、そして流通度の高さは、食品添加物の種類と量を増やし、異物や毒物が混入する危險度が増えます。そして、それと同時に、奢侈化と飽食化を促進させ、残飯などの食物残渣が大量発生するといふ悪循環を繰り返します。


そして、そのうちに、おふくろの味を楽しむ家庭料理は消え失せて「全国総給食化」の時代に突入し、家族が揃つて家族団欒で食事をする機会がなくなり、「孤食」(独りの食事、時間的に別々の食事)が増えます。仮に、家族団欒の機会が残るとしても、家族で同じものを食べるのではなく、「偏食」が恒常化した「個食」(同時に一緒の機会に食事をするものの摂取する物がそれぞれ別々の食事、バイキング)となります。しかも、その行く手には、いつ襲つてくるか解らない極端な食糧難による「飢餓」が待ち受けてゐるのです。これを回避するためには、一刻も早く自立再生論により、食物の分業度、加工度、精製度、流通度を徐々に低下させて、かつ、家族での食料自給率を高めることが必要です。


では、家族単位の食料自給率を引き上げるためには、どうすればよいのてせうか。それは「稲」を中心とする五穀の自給自足を復活させることです。特に、稻作農業は、水と土の賜物である「命の根」(いね)である稲を生み育て、しかも、森によつてその水が涵養されるといふ奇跡の農業と言へます。常温保存のきかないジャガイモよりも、蛋白質が少なく加工しなければ食することのできない小麦よりも、味が濃厚で主食には向かないサツマイモやトウモロコシよりも、格段に栄養価が高く栄養バランスがあつて美味かつ淡泊であり、しかも、生産性が高く、そして、長期の保存備蓄が可能な唯一の主食は、世界を見渡しても稲米以外には存在しないのです。それゆゑ、この稲作を守つて完全食料自給を達成し、米の増産により籾米備蓄をして富国を実現し、さらに、この稲作文化を世界に広めて世界の食料不足を補ふことこそが眞の国際貢献なのです。他の作物と異なつて稲は連作障害を起こしにくいので生産量が安定する作物であることから、今後の世界的な水不足に備へて、陸稲の改良増産が喫緊の課題となるでせう。


自立再生論によつて祖国を再生させ民族の正気を取り戻すためには、時の政府の政策を当てにしたり、掛け声だけの精神論だけでは駄目です。個々の臣民家族による具体的かつ継続的な実践が必要です。政府に祖国再生のための「政策」があらうが(駄策)なからうが(無策)、臣民家族には祖国再生への確固とした「対策」があります。それが臣民家族としての民度と智恵の高さを意味します。これは、我が国の伝統であり、我々はそのための実践をする必要があります。


この連載の第二十六回(家産と自給自足)でも触れましたが、その昔、我が国は支那の律令制や公地公民制を導入しました。これは現代で言ふと官僚統制国家と共産制国家の制度ですが、これは百年ほどで消滅します。瑣末な歴史研究で飯を食つてゐる人(歴史学者)によると、律令制を崩壊させる原動力となつたのは庄園制度の発達と武家政治の開始であると説明します。時系列的には誤りではありませんが、時系列と因果関係とは必ずしも一致しません。たとへば、朝日が昇つたら子供が生まれたといふ時系列は、因果関係を意味しないからです。さうすると、律令制の崩壊の原因が、仮に、庄園制や武家政治にあるとすると、どうしてそのやうな制度が生まれたのかといふ原因を解明しなければなりません。

その原因の解明については、やはり本能論による必要があります。歴史で学ぶことは、国家や民族の本能がどのやうに機能するのかを知ることにあります。「本能歴史学」、「本能史観」、これこそが温故知新の要となります。


では、律令制の誕生と崩壊の歴史から何を学ぶことができるのでせうか。大化の改新以後の我が国は、支那と朝鮮で強大な統一国家が出現したことから、これに対抗するために中央集権国家への道を進みました。それは、対外的には、軍事、兵站を統一化する官僚制の確立によつて独立維持の目的は成功しましたが、国内的に見れば、明らかに失敗に終はりました。律令制といふのは、これまでの職能集団を抱へた部族(自給自足集団)によつて構成された部民制を解体し、公地公民制を推し進めやうとするものです。つまり、家産制(家族、部族の資産所有制)から国有制(公地公民制)に改造することを試みたのです。理論的に言ふと、家産制(家族主義)から私産制(個人主義)へと変化したのです。しかし、部族の本能的抵抗もあつて、天智天皇は部民制(家産制)を復活させますが、天武天皇の時代になると、再び部民制を廃止するなど、律令制は一進一退、紆余曲折を経ることになります。そして、律令制(公地公民制)は、部族本能、国家本能を否定する試みであるために、徐々に崩壊し、三世一身法、墾田永世私財法を経て、部民制(家産制)を否定した律令制は百年足らずで崩壊し、庄園制へと移行します。


この庄園制の実質は、庄園領民の本領安堵(部族所有の保障)を行ふもので、まさに部民制の部族(自給自足集団)の復活です。そして、これが形と名称を変へつつ明治維新まで続きます。平安時代における平安京(中央)、国府(地方、国司)、郡家(ぐうけ、地域、郡司)の関係で言ふと、郡家(地域)では、力田の輩(りきでんのやから)が成長します。「力」と「田」を組み合はせれば、「男」です。家族の中で男の役割が決まります。それは、自衛のために武装した武士団の起こりです。これこそが、独立自尊、勤勉、剛直、忍耐を信条とする強力な自給自足集団となりました。初期荘園(庄園=村組織)における田頭(たと、田刀禰、田堵、名主)が起源と言はれてゐます。

そして、それ以後の時代においてもこれと同じ様々な名称の集団が登場します。田頭、田刀禰、田堵、名主、力田の輩、一族郎党、地侍、悪人、国人、国衆、郷士、郷村制、惣、国一揆など様々ですが、すべて自給自足集団、武装自衛集団の単位とその連合体の名称です。まさにこれは「まほらまと」の歴史なのです。


別稿の「いはゆる保守論壇に問ふ<其の六>司馬史観と占領憲法」でも触れましたが、奈良本辰也の郷士中農層論は、サラリーマン武士(禄を食む官僚)ではない、自給自足集団である郷士や中農層(吉田松陰などのやうな小農も含む。)が明治維新の原動力となつたことを示したものです。

ところが明治政府は、欧米列強から独立を守るため欧米の諸制度を導入し、私的所有制度も受け入れました。地租改正のために私的所有制度を受け入れたことから、これまでの家産制が崩壊し、私産制(私有財産制、個人所有制)へ移行しました。対外自立とそのための国内変革、まさに律令制導入のときと同じ国際環境だつたのです。そのため、これまでの長い間続いてきた家産制が近代個人主義によつて否定されてしまつたのです。それゆゑ、家族や国家の本能に即した制度(家産制)を復活させ国家の本能(國體)に回帰するためには、法制度としても現存してゐる帝国憲法第二十七条第一項(日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルゝコトナシ)の私産制を家産制へ移行するために解釈運用し、最終的には「臣民」を「臣民家族」と改正することが必要となります。


しかし、このやうな帝国憲法改正がなされるまで手を拱いてゐてはダメです。それ以前でも臣民家族として國體回帰のための具体的な営みを継続する必要があります。それは、五穀の「奉納下賜」の運動を実践することです。神社に対する種籾などを奉納し、その下賜(頒賜)を受ける運動であり、この運動を全国で展開することです。


福島県郡山市の飯森山にある飯豊和気神社(いひとよわけじんじゃ)には、五穀養蚕の守護の神延喜式内の古神である御饌津神(みけつかみ)が祭られてゐます。御饌津神は、食物を司る神々の習合であり、全国の主な神社に摂社として祭られてゐる御祭神です。この飯豊和気神社の由緒に、注目すべき箇所があります。

それは、「秋の祭典には、甘酒を醸し桶のまま神殿に供えて、参詣の人々に授け飲ませ、また御種貸神事として神前に供えた種籾を、信者へ貸し下げ翌年の祭典に新穀を返納させたが、何種の種が交じっていても雑穀とならず、主穀と同一となるという奇妙な稲霊の御種貸しと言う古代の神事があった。」とある部分です。

これと同様の行事として、神宮の神嘗祭に際し、今年収穫された稲穂(初穂)をお木曳車に載せて、豊受大神を御祭神とする外宮に奉納する外宮初穂曳の神事があります。


これらの御種貸神事や外宮初穂曳神事などが何を意味するかと言へば、大宜都比売神(おほげつひめのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、豊受大神、それに稲荷神(稲成神)など食物を司る多くの神々は御食津神(みけつかみ、御饌津神)として習合し、全国の各神社に祭られ、種籾の奉納と下賜(頒賜)がこれまで絶え間なき綿々として繰り返されてきた歴史的事実があるといふことです。つまり、全国の神社は、種籾などの集積地であり、その分配の基地でもあつたといふことになります。それは、宮中、伊勢神宮、出雲大社で五穀豊穣を祝ひ、皇祖皇宗、天神地祇にその恩恵を謝して自らも食する、太陰太陽暦の十一月の下の卯の日に行はれてきた新嘗祭の原型です。いまでは太陽暦によつて十一月二十三日を勤労感謝の日とされて、その名残りを留めて居るだけですが、宮中祭祀としては今も続いてゐます。


この神事を雛形として全国の神社で大々的に再興隆させ、臣民家族が毎年収穫毎に奉納と下賜を続けるためには、日頃から農に親しみ、稲を含めた五穀や野菜などを臣民家族単位で育てて収穫することを実践する必要があります。そして、そのことの喜びと感謝のために収穫した作物の一部を御先祖様は勿論、近くの氏神さまや護国神社に奉納します。そして、次の耕作のために種籾や種苗が必要な臣民家族はこれらの下賜(頒賜)を受けます。このやうにして全国の臣民家族が奉納下賜運動を展開すれば、臣民家族の食料自給率は毎年向上し、国家の食料自給率も向上するのです。


御皇室が率先してなされてきたことをお手本として我々臣民家族がこれを実践すれば、愚策や無策を繰り返す政府とは無関係に、臣民家族は自立再生社会を実現する目標に向かつて着実に歩み続けることができます。むしろ、自給自足を潰そうとする国際社会や政府の圧力や妨害は、自給生活を確立させるための試練であると達観し、それしきのことでへこたれるやうでは鞏固な自給自足の家産制を復活させ、手向け神事の祖先祭祀を続けることはできないと覚悟しなければなりません。独立自尊、勤勉、剛直、忍耐を信条とした田頭から郷士へと脈々と受け継がれてきた自存自衛の戦争を戦ひ抜くのです。それが公地公民制を崩壊させ家産制を復活させた歴史から学ぶ本能的教訓とせねばなりません。臣民家族が神事としての五穀奉納下賜の運動を続け、籾米などの食料備蓄量の多さを以て富を実感することができれば、国防と護国のための自立再生社会「まほらまと」が実現します。まさに実践あるのみです。

平成二十三年十月二日記す 南出喜久治


前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ