自立再生政策提言

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第六回 真正護憲論と証明責任

かがみにて なほまがあかし ききさばき たまでつつみて つるぎでわかつ
(鏡にて直禍明かし効裁き(真正護憲論)勾玉で包みて(講和条約説)剣で弁つ(無効宣言、破棄通告))

真正護憲論とは、次の三つの柱からなる理論です。


1.正統典憲の現存性、2.占領典憲の典憲無効性、3.占領憲法の講和条約性


典憲とは、典範と憲法のことで、正統典憲とは、規範國體を投影した典範と憲法のことです。文献的には、我が国の國體のすがたを直接又は間接に示した古事記、日本書紀、万葉集などに始まり、すべての詔勅と勅語などによつて構成される正統な國體の規範的体系のことです。


そして、この真正護憲論を端的に定義すれば、次のとほりとなります。


真正護憲論とは、国際的に確立した原状回復の法理に基づき、法の支配と法的安定性の調和を図る理論体系であり、その具体的な立論としては、交戦権(講和権を含む)のない占領憲法では我が国は講和独立できないことから、講和条約の締結と独立の法的根拠を帝国憲法第13条の講和大権とし、帝国憲法はいまもなほ現存してゐるとするものである。そして、1.被占領、非独立状態で憲法を改正することができないのは、独立状態における変局時の一例である摂政が置かれるときですら改正ができないにもかかはらず、これを凌駕する異常なる変局時に憲法を改正することはできないこと(帝国憲法第75条)、2.GHQも自ら認めてゐるやうに「GHQが日本国憲法を起草したこと」は天皇の発議権を簒奪したものであること(同第73条第1項)、3.帝国議会では改正発議案を修正して可決することは天皇の発議権を換骨奪胎することになることから修正不可とされてきたのに、衆議院で2回、貴族院で1回の修正がなされたことなどを理由に、占領憲法は憲法としては無効であるが、帝国憲法第76条第1項の「無効規範の転換」の規定によつて、ポツダム宣言、降伏文書、サンフランシスコ講和条約と同列の講和条約の限度で有効とし、帝国憲法との整合性を保つために、その後に制定された法体系などを段階的に整序しつつ、帝国憲法の復元改正を実現しようとする見解である。


また、ご皇室の家法である皇室典範についても、現在の皇室典範と称する皇室統制法(占領典範)は帝国憲法第75条に違反して無効であり、帝国憲法と両立する明治の皇室典範に復元してご皇室の自治と自律を回復する典範奉還を目指すものである。


この理論を理解するためには、憲法学、国法学における基礎的な知識と法理論が少し必要となりますが、健全な常識を持つ人であれば、国家の独立を奪はれた占領中に、占領軍の命令によつてできた「憲法」なるものがそのまま有効であるとすることに大いなる違和感があり、その素朴な疑問と不安を憲法学、国法学の立場から解明する理論があると思ふはずです。その理論の体系が真正護憲論であると理解してください。


しかし、占領憲法が憲法として有効であるとする見解に支配されてゐる政界・官界・学界では、論理的に正しい真正護憲論を受け入れません。これを受け入れれば、自らの既得権益(敗戦利得)を失ふからであり、学問的に反論せず(反論できず)に無視することしかありません。しかし、天動説が否定されたやうに、いづれパラダイムの大転換が起こりますので、その歴史的瞬間を見守つてゐてください。


ところで、前回(承詔必謹と東京条約)で次のことを説明しましたが、今回は、このことを出発点として説明するものですから、もう一度読み直してみてください。

「帝国憲法は、昭和47年の時点までの現存が証明されたのですから、もし、帝国憲法が現存してゐないと主張する人は、これ以後に帝国憲法が失効し無効となつたことを証明しなければなりません。これが立証責任の分配理論であり、法の科学なのです。誰もこれを証明した人は居ませんので、帝国憲法はいまもなほ現存してゐるのです。」

 そして、このことに関してもう少し掘り下げるためには、「証明責任」(立証責任)と「推定」いふ概念について補足説明する必要があります。


まづ、証明責任といふのは、訴訟で用ゐる概念ですが、ある事実の存在を証明しなければ、その事実がなかつたと判断される不利益のことです。不利益を受けることを責任といふのです。例へば、貸金の返還を請求する場合、貸した方が貸した事実を証明しなければ、貸していないと判断されてしまふので、貸主には貸したことについて証明責任があると言ひます。逆に、貸主が貸したことを証明すると、今度は、借主の方が、貸金を返済したのであれば、そのことを証明しなければなりません。借主には、返済したことについての証明責任があるのです。


また、たとへば、所有権の争ひにおいて、ある人(A)が前所有者から過去のある時期に譲り受けたことを証明すれば、Aの所有権は現在に至るまでAが取得し続けてゐて所有権がAに帰属してゐることが「推定」されます。ですから、Aと所有権を争ふ人(B)は、その後にBがAから譲り受けたことや時効によつて所有権を取得したことなどの事実についての証明責任を負ふことになります。


これと同様に、前回も述べましたが、昭和47年まで帝国憲法が現存してゐたことが証明されてゐます。ですから、異国憲法が現存してゐないと主張する人は、その後に帝国憲法が消滅したことを証明しなければ、現在も存在してゐると推定されるのが証明責任の大原則なのです。


「昭和47年まで帝国憲法が現存してゐた」といふのは、もう少し厳密に言へば、「昭和47年まで帝国憲法第13条が現存してゐた」といふことです。つまり、帝国憲法の一部について現存が証明されたといふことです。

しかし、帝国憲法の「一部」が現存してゐたことが証明されたことから、直ちに「全部」が現存してゐたとは言へませんが、帝国憲法は、一部だけが独立して、その全部と別に存在する性質のものではありません。全体として不可分一体のものなのです。


たとへば、ある人の生死が不明な場合に、その人の心臓や脳などの生命維持に必要な臓器については活動してゐるといふ確実な情報が得られたとします。人体は不可分一体なのもですから、主要な臓器が活動し続けてゐるといふことは、統一的な人体の生命は維持されてゐる。つまり、この人は生きてゐると判断されることになります。

これとは反対に、主要な臓器である心臓や脳が活動を停止してゐるといふのが確実な情報であれば、この人は死んでゐると判断されることになります。


ですから、この例からして、帝国憲法第13条といふ主要な臓器が生きてゐたために講和独立できたといふことは、これと不可分一体の帝国憲法は全体として生きてゐるといふことになります。また、占領憲法第9条では講和独立できない(蘇生できない)ことがはつきりと判つてゐますので、全体としての占領憲法は憲法としては効力がない(死んでゐる)といふことになります。


さうすると、

     帝国憲法第13条の現存   →   帝国憲法全体の現存

と推定されることになります。

また、帝国憲法には全体としての不可分性があるのと同様に、占領憲法もまた全体としての不可分性がありますから、

占領憲法第9条の非憲法性  →   占領憲法全体の非憲法性

も同時に推定されることになります。


その結果、「帝国憲法全体の現存性」と「占領憲法全体の非憲法性」が当然に導かれることになります。


ところで、真正護憲論では、占領憲法が憲法として無効である理由を多く指摘してゐます。このことは『國體護持総論』第三章で詳しく述べてゐますのでご覧になつてください。

しかし、占領憲法が憲法として有効だと主張する人は、誰一人としてこれらの無効理由に対して正式に反論せず、有効である理由を示すことができません。


真正護憲論がこれまで主張してきた、承詔必謹説、追認説、時効説などに対する理論的な批判に対しても、これらの論者からは何らの論理的な反論がありません。


有効論者としては、指摘されてゐる無効理由や理論的批判に対して、有効であるとする論理的な理由と根拠を示して証明する義務がありますが、それをせずに沈黙するのであれば、占領憲法は憲法として無効であることを認めたことになります。


真正護憲論としては、現在に至るまでの歴史的な事実経過や法の運用実態を踏まへ、帝国憲法の現存と占領憲法の非憲法性を法体系としてどのやうに理解するのかといふ、複雑な連立方程式を解くために、帝国憲法第76条第1項の「無効規範の転換」理論を持ち出し、帝国憲法と占領憲法との階層的両立関係として認識したのです。

その連立方程式の「解」が「講和条約説」であり、詳しくは『國體護持総論』を熟読して理解を深めてください。


これまで述べてきたことは、中学生でも理解できる論理学の話であり、法の科学の世界のことなのです。法学部の学生、卒業生、教授、政治家、官僚などは、国の根幹に関はる「憲法の効力論争」を一切しないといふ売国的な著しい怠慢を続けてゐます。ですから、こんな国の「ホウガク」(方角)を見失つた「アホウガクブ」の連中の言説に惑はされることなく、健全な常識体系である論理学の世界で素直に国法学を理解し、多くの人と占領憲法の効力論争を行つてみてください。それが祖国再生への道の第一歩となるのです。

平成二十六年七月一日記す 南出喜久治


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