自立再生政策提言

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第十八回 籾米備蓄

ほなるもの いのちのねのほ いねのほに いのちのたのみ たのみいねのみ
 (「秀」生るもの命の根の穂稲の穂に命の頼み田の実稲の実)


一 気候変動と食料危機

1 地球温暖化といふ現象は、政治的に過大に喧伝されてゐますが、この現象は、地球全体が将来において周期的に到来するとされる氷河期突入へと向かふ過渡期的現象としての気象変動の一つと認識されてゐます。そして、確実に言へることは、それまでのインターバルにおいて、異常気象といふ予測しにくい現象が頻発することです

2 現に、内閣府の算出によると、平成20年までの10年間で、世界の自然災害の発生件数と被災者数は、40年前の約3倍に増加してゐます。世界の天変地変、異常気象や人災は、昨年の平成25年1月だけでも、中国の大気汚染、最高気温45.8度、オーストラリアの山火事、インドネシアの大洪水(4万6000人の避難者)、ブラジルの干ばつ(50年ぶり)、イタリアの火山噴火(年間3000万立方メートルの放出火山物質)、イギリスのヒトデの大量死(4000匹)、そして、火山活動、地震、豪雨、洪水、干ばつなども多発時期に入つてゐるのです。この傾向は、一昨年から昨年にかけても、さらに加速的に続いてゐることはご承知の通りです。

 3 その果てに何があるのでせうか。異常気象の頻発などが原因となる世界的な凶作による食糧難、食糧危機と、それが誘発する飢餓と貧困、暴動、内乱、戦争などの異常事態です。このやうなことが起こる原因は、何も自然現象だけではありません。政治的要因が一番大きいのです。

4 平成10年にノーベル経済学賞を受賞したインドのアマーティア・セン(米ハーバード大学教授)の『飢餓と公共の役割』によれば、「貧困とは自由の欠如である」とし、全ての飢餓や貧困は、たとへ自然災害を契機とする場合であつても、終局的には不平等と自由の欠如といふ政治的要因に全て起因するとしました。人類は、天変地異が多発すると、食料などの確保に不安を抱き生存の危機を感じることによつて保存本能が作動し、異変に適応しうる少数の強者が自己生存をはかるために食料等を独占することにより、飢餓と貧困が加速して人口抑制がなされ、これに対抗して適者生存競争に参加する者との争奪によつて戦争が誘発されるといふことです。

5 昭和47年にソ連が凶作となり、それが今後慢性化すると予測したアメリカは、急遽、これまでの政策を一変させ、余剰穀物を「戦略兵器」とする構想に基づき、ソ連へ緊急輸出し始めました。敵国に対して食料を供給し、敵国がそれに依存し続ける状態になれば、戦争時にはその供給を停止することによつて、敵国に餓死と経済混乱をし生じさせ、火器以上の強力な兵器となるからです。ところが、皮肉なことに、翌48年4月、今度はアメリカが異常気象による凶作となり、トウモロコシ、大豆がアメリカでは絶対的に不足しました。その結果、食肉物価の高騰を招き、同年6月27日、アメリカは、大豆の我が国向けの輸出を停止したのです。この事件は丁度、第一次オイルショックの時期と重なり、この輸出禁止が長期化すれば、我が国の豆腐や醤油や納豆などは高騰し、最後には消えてなくなる運命にありました。このやうな根本的な危機感のないわが国では、トイレットペーパーの買付騒ぎしか話題になりませんでした。しかし、同年9月には、幸ひにも輸出停止が解除となり、わが国は難を逃れたのです。この時、アメリカがソ連に大量の穀物を緊急輸出したときに関与したのが穀物メジャーであり、その後、その地位を確立して行つたのです。

6 世界にある食用植物は約三千種類とされてゐますが、そのうち、穀物メジャーが商業主義によるスケールメリットがあるものとして取引対象とするものは、いはゆる「六億トン作物」とされる米(コメ)、小麦、トウモロコシ、ジャガイモ(根菜類)、大豆の五種類だけです。これが世界の食料生産総量(総供給量)の約40億トンの約半分を占めてゐます。これまでの農業の歴史は、「植物の単純な相を作ることを目指してきた歴史」(柴田明夫)であり、植物遷移の若い相の特性を利用することで生産性を高めてきました。そのため、自然環境の変化に対しては脆弱となり、雑草と一緒に生産した場合とハイブリッド(高収量品種)の大規模生産の場合とでは気候変動の影響を受ける程度が異なるのです。しかも、農畜産物の生産に必要な地球上の淡水量の少なさを考慮すると、ロンドン大学のトニー・アラン教授が提唱した「バーチャルウォーター」(仮想水、間接水)といふ認識が必要となり、これは、水と食料の世界的な争奪の危険を孕んでゐることを自覺せねばなりません。そして、この食料のうち、世界の穀物の約半分を穀物メジャーに依存してゐることから、商品取引も「賭博経済」に支配され、石油と同様に、買ひ占め売り惜しみによる価格の高騰に見舞はれることになるのです。

7 かう言つたカラクリが、気象変動を契機として政治的な要因によつて食料危機が生まれるメカニズムなのです。


二 賭博経済と貧困

1 フランシスコ・ローマ法王は、平成26年6月13日の金曜日に、ハフィントン・ポスト紙のインタビューに応じて、間もなく世界経済は崩壊すると警告しました。「お金を崇め、戦争を行ふことで成り立つ経済は不平等と若者の失業者を増やし、これ以上維持ができない。我々は良くないシステムを維持しようとする世代の人々を全て排除してゐる。」と語り、先物取引で食品の値段を吊り上げるなどの食料価格への投機は恥ずべき行為であり、それによつて貧困層が食へなくなることなどを指摘し、「偶像崇拝」の経済を批判したのです。

2 「偶像崇拝」といふ言葉で思ひ出すのは、マルクスが『資本論』の中で使つた、「通貨の魔術」といふ言葉です。物体には神秘が宿ります。物体に神性を感じる信仰を呪物崇拝(フェティシズム)と言ひますが、経済学でも「物神崇拝」があり、それが実物の投影であり、その交換手段であるはずの従たる通貨が、それ自体に価値があるかのやうに錯覚して一人歩きする現象が起こつたのです。従たるものが主たる地位にすり替はつたのです。このことを端的に言ひ表したのが、マルクスの言ふ「通貨の魔術」です。これは、パブロフの条件反射のやうに、通貨を見れば実体価値があると錯覚することなのです。そして、食料への投機だけではなく、その他の商品取引、為替取引、証券その他の金融派生商品取引などが頻繁になされ、それが世界経済を動かしてゐのるのですが、これらは、まさしく「賭博経済」です。濡れ手で粟を企んで賭博経済に参加する賭博師(博打打ち)の活動によつて、汗水垂らして真面目に働く人たちの生活を苦しめ続けるといふ不条理て歪な世界に我々は押しやられてしまつたのです。

3 先ほど述べたアマーティア・センは、「弱い立場の人々の悲しみ、怒り、喜びに触れることができなければ、それは経済学ではない。」(平成21年2月24日、朝日新聞朝刊「市場依存 危機生んだ」インタビュー記事)と語り、経済学の迷走には気づいてはゐるものの、現在の経済学は、その悲しみと怒りを解決し喜びを創造しうる具体的な経済構造を世界に向かつて提示できないでゐます。

4 水が出なければ、それは井戸ではなく単なる竪穴です。安定した人類の福利が実現できなければ経済学ではなく単なる予想屋学です。経済とは、「経世済民」の訳語でしたが、今やこれとはほど遠い学問となりました。多くの貧困層を救ふことができず、血の通はない無機質で有害無益な学問になり果てたのです。しかし、経済学者(エコノミスト)とか分析家(アナリスト)たちは、そのことが発覚して自己の虚名なる地位と権威を失ふことを恐れ、もつと深く複雑に穴を掘れば水が出てくるとばかりに、賢しらしく統計学、数学などを駆使して、素人には絶対に解らないやうな金融工学などの手法によつて人々を騙し続けてきたのです。

5 これからの経済学は、経世済民の原点に立ち戻り、BOP(Bottom of Pyramid)の救済を唯一の目的とする必要があります。そのための提言と方策として、私は『國體護持総論』の「第六章」で自立再生論を述べたのです。


三 食料備蓄

1 江戸の三大飢饉の一つである享保の飢饉の際、百両の大金を首からぶら下げたまま餓死した商人が居たといふ記録が残つてゐます。この商人は、百両の大金を人から取られないやうに死ぬまで首にぶら下げてゐたものの、人を信用しない無慈悲で冷淡な性格であつたためか、いざとなれば誰も相手にしてくれず米一粒すら売つてくれなかつたために飢え死にしたのです。貨幣制度と拝金思想に溺れ、危機が迫つてくることを予知して対応する本能が劣化して、カネさへ有れば何でも手に入るとする傲慢なる合理主義、個人主義、拝金主義の奴隷が餓死したといふことです。

2 江戸時代では、金属通貨もありましたが、全国経済において主要な商品通貨となつてゐたのは「米」でした。ですから、飢饉などのときは、「米」が通貨から食料物資に自然と転換できました。そして、その備へとして、「囲ひ米」(囲ひ籾)といふのがありました。

3 初めに行つたのは、八代将軍徳川吉宗による享保の改革のときで、このときは、主に米価調節策として行はれました。どうしてかといふと、吉宗は紀州藩での財政再建の手腕を見込まれて将軍職に就き、質素倹約を奨励し、天領(幕府直轄地)で米を増産させ、当初の400万石から450万石まで増産させたのです。

4 これが全て流通米として流れると米価が下落し、幕府の財政に支障が出ます。そこで、流通米と備蓄米とに分けて、出荷調整を図つて米価の下落を防ぎました。しかし、米価調整の目的として囲ひ米を行つただけで、このときは、「備荒」(凶作、飢饉、災害に備へること)のためではなく、加藤清正の行つた籾米備蓄のやうな常在戦場といふ軍事上の籠城目的でもありませんでした。加藤清正は、熊本城築城において、籠城に備へて、充分な籾米を備蓄した上に、さらに壁を籾米を混ぜた土で塗り固めたほどでした。

5 吉宗の行つた投機目的の備蓄では、長期間に亘つて備蓄しない短期備蓄なので、値段が高騰すればすぐに放出することになります。そのために、吉宗が享保の改革を行つた後に起こつた享保の大飢饉のときには無力でした。先ほどの、百両の小判を首からぶら下げて餓死した商人の話が出てくる、あの享保の大飢饉です。そして、このやうな飢饉を繰り返すごとに、だんだんと備荒貯蓄(備蓄)が行はれるやうになり、その後、諸藩や郷村でも行はれることとなつて、寛政の改革(松平定信)のときにこれが本格化しました。当然のことながら、この囲ひ米は籾米であり、だから、囲ひ籾とも呼ばれたのです。

6 また、我が国が行つた朝鮮半島における米作奨励政策によつて、外地米が内地に大量に流入し、そのために内地米の価格を暴落させて米処の東北地方の農家が困窮して娘を女衒に売らなければならない悲劇が起こり、そのことが昭和初期の二・二六事件の背景となつたといふ歴史的事実があります。

7 わが国が戦後のGHQ占領下でできた「日本国憲法」は、憲法としては無効ですが、これを有り難がつてゐる人たちは「平和憲法」だと言つてゐます。しかし、「平和憲法」といふのは、正確には、「平和を実現できる憲法」ではなく、「平和時にしか通用しない憲法」であり、そのやうな脳天気な平和ボケで、戦争がないと信じるために、戦争や災害などによる食料危機に備へるといふ考へができないのです。そのために、我が国において完全自給ができる米(稲)について、これまで政府の行つてきた減反政策は、戦争や災害が起こらないことを前提とするもので、食料危機には全く無力です。まさに亡国の政策と言へます。しかも、米(稲)を備蓄する政策にしても、劣化が早い「精米」や「玄米」の備蓄であり、およそ食料危機を想定した「備荒」のものではありません。

8 「備荒」のためには、種米(種籾)の確保と食糧米の長期保存備蓄とを両立しうる「籾米」の状態での備蓄でなければなりませんが、政府にはその認識に基づく政策立案能力と意欲は全くありません。東日本大震災の前から、自民党の佐藤剛男氏(故人)が根気強く提唱し、私も共に運動してきましたが、籾米備蓄の政策は一顧だにされなかつたのです。

9 稲作農業は、日々の食糧の供給のみならず、このやうな籾米備蓄による国家緊急時に対応しうる基幹産業であり、林業と一体となつて水源を涵養し治水に貢献するものですから、減反政策による休耕田の増加は、食料安保の観点からも、将来において最悪の結果を招く恐れがあります。


四 流通米と備蓄米)

1 二・二六事件の遠因となつた東北地方の農家の疲弊は、大量の流通米によつて米価が急落したことによるものであることの教訓からしても、農地の収穫効率の向上や休耕田の耕作再開によつて増産される米(稲)が、そのまま流通米(消費米)となれば米価の下落を生むことになりますが、消費として見込まれる一定量の流通米量を超えるものは、すべて備蓄米として出荷調整するのであればその影響は少なくなり、むしろこのことによつて農業の維持振興となります。農業経営が安定すれば、農業人口の減少を阻止し、農業関連の雇用創出に結びつきます。むしろ、生産される米(稲)は、原則的に籾米として各地の消費地近郊で備蓄し、消費に向ける段階で精米化することにすれば、危險分散と出荷調整による米価の安定が実現できるのです。減反政策を維持するため、あるいは農家の所得保証や経営支援のための補助金といふやうな、生産性のない無償の財政支出よりも、その財源を備蓄米の買ひ上げに用ゐるべきです。これによつて、国や自治体が対価を支払つて備蓄米といふ資産を取得するので、財政的にも健全ですし、減反政策とは真逆の増産政策の方向に向かうことによつて、農業振興と食料備蓄といふ一石二鳥が実現するのです。そして、これを契機として、その他の農業、畜産業、林業及び漁業の振興策により、最大・最強の安全保障、つまり、「食料安保」である自給自足体制を実現する第一歩となります。

かみがみの いはひまつりを おこたるは みことのりにも そむくことなり (神々の祭祀を怠るは詔勅にも背くことなり)

2 「食料安保」の重要性については歴史的な教訓があります。昭和17年11月20日に第8方面軍司令官としてニューブリテン島のラバウルに着任した今村均陸軍大将は、ガダルカナル島の悲劇を教訓として、内地などから弾薬、糧秣などの兵站が途絶えることを想定し、自ら率先して島内に広く田畑を耕作して完全な自給自足体制を確立し、米軍の空襲と上陸に対抗する強固な地下要塞を建設しました。そのことから、マッカーサーは、ラバウルへの攻撃を断念し、ラバウルだけを回避して、皇軍が守備する太平洋上の諸島への補給を阻止して皇軍将兵を餓死させる飛び石作戦へと転換したのです。その結果、ラバウルは敗戦まで死守され、約十万人の皇軍将兵は、玉砕することなく内地に復員したのです。これは、自給自足体制が防衞力としては何個師団もの兵力に匹敵することを物語つてゐるのです。このやうに、食料の自給自足体制を確立させることは、世界の紛争や災害などによるわが国への影響を少なくすることになります。食料の自給自足ができなければ、海外にそれを求めることになり、その相手国の紛争や災害、さらには相手国との関係悪化などによつて直接の影響を受けるのです。これは、対岸の火事ではありません。そのためには、少なくとも備荒として籾米備蓄が必要となるのです。

かみがみの いはひまつりを おこたるは みことのりにも そむくことなり (神々の祭祀を怠るは詔勅にも背くことなり)

3 我々の祖先は、「森の恵み」による「木の文化」と「稲の恵み」による「米の文化」とを融合させ、自然を破壊することなく「修理固成」を実践された。崇神天皇の詔に、「農天下之大本也。民所恃以生也(なりはひはあめのしたのおおきなるもとなり。おほみたからのたのみていくるところなり。)」(日本書紀巻第五、崇神天皇六十二年秋七月の条)とあり、垂仁天皇の詔にも、「以農為事。因是、百姓富寬、天下太平矣(なりはひをもてわざとす。これによりて、おほみたからとみてたゆたひて、あめのしたたひらかなり。)」(日本書紀巻第六、垂仁天皇三十五年の条)とあるやうに、稲作農業は、水と土の賜物である「命の根」の稲を生み育て、しかも、森によつてその水が涵養されるといふ奇跡の農業です。

かみがみの いはひまつりを おこたるは みことのりにも そむくことなり (神々の祭祀を怠るは詔勅にも背くことなり)

4 保存のきかない馬鈴薯(ジャガイモ)よりも、蛋白質が少なく加工しなければ食することのできない小麦よりも、味が濃厚で主食には向かない甘藷(サツマイモ)や玉蜀黍(トウモロコシ)よりも、格段に栄養価が高く栄養バランスがあつて美味かつ淡泊であり、しかも、生産性が高く、そして、長期の保存備蓄が可能な主食は、世界を見渡しても稲米以外には存在しません。それゆゑ、この稻作を守つて完全食料自給を達成し、米の増産により籾米備蓄をして国富を実現し、さらに、この稻作文化を世界に広めて世界の食料不足を補ふことこそが真の国際貢献なのです。

かみがみの いはひまつりを おこたるは みことのりにも そむくことなり (神々の祭祀を怠るは詔勅にも背くことなり)

5 我が国の稲作は水田耕作ですが、世界的な水資源の偏在状況からすると、水稲のみではなく、陸稲の品種改良が望まれます。現に、3300年から3200年前のものとされる佐賀県唐津市菜畑遺跡の遺構から、雨期は水田、乾期は畑として、水稲と陸稲の両用の稲が他の五穀とともに栽培されてゐたことが判明したことからすると、陸稲種の改良によつて稲作を世界の乾燥地にも普及することも不可能ではないことを示唆してゐます。

6 齋庭稲穂の御神勅の「齋庭之穂」は、「ゆにはのいなのほ」と訓じられてゐますが、「稲穂」とは表記されてゐません。ましてや、「齋庭」を水田に限定する解釈にも明確な根拠はありません。それゆゑ、米(稲)以外の五穀、雑穀の「穂」と理解してもよいはずです。また、延喜式祝詞にも「八束穂之伊加志穂(茂穂又は厳穂)」(やつかほのいかしほ)とあり、これも稲穂に限定されたものではありません。さうすると、稲作を中心とするも、決して稲作の単一耕作(モノカルチャー)ではなく、五穀、雑穀との混作が必要となります。課題としては、耕地も限界があり、しかも、労働力にも限界があるので、単位耕作面積当たりの收穫量とそれに要する労働量との相関関係と国土利用の効率を重視して第一次産業のあり方を策定することが必要となります。

7 そこで、農業、畜産業、林業、漁業などについては、技術面、経営面などの直接的な側面の外に、農村・漁村などの過疎対策・後継者問題などの間接的・多角的な側面からも、農用地、森林及び漁場等の適正保護や流通部門の整備を含め、自給率向上のための総合的な改善計画の実施が必要となつてきます。しかし、これと併用して、都市近郊地域や都市部の農用地を整備し、「小規模分散型」の食料供給体制をも検討すべきでせう。触媒技術、発酵技術、溶液栽培技術、養殖技術などの小規模分散型農業・畜産業・林業、漁業に適した技術開発がなされれば、食料の生産者と消費者の一体化が実現します。これは、これまで「都市機能の集中化」、「農村の都市化」が進歩であるとした野蛮なる西洋文明論を捨てて、逆に、「都市の農村化」へと劇的な政策転換を実現させることになります。まさに、自立再生論は、この「都市の農村化」をスローガンに掲げる運動でもあります。


8 「都市の農村化」といふのは、地域的なものであり、人的には「市民の農民化」といふことです。これは鎌倉時代における「一所懸命」にも似た「土への愛着」を復活させる国民運動なのです。それゆゑ、当然に「農民の市民化」と「農村の都市化」を阻止することになります。ただし、ここで農村とか農民といふ言葉は、象徴的に用ゐてゐるもので、農村、山村、漁村などの第一次産業の集落全体を意味し、あるいは農民、杣人、漁民などの第一次産業に従事する者全体を指します。

9 ともあれ、この「都市の農村化」、「市民の農民化」のためには、農民の市民化を防ぐための農地再生、農村復興の政策が必要となつてきます。現行『農地法』では、農民が市民化することは認められても、市民が農民化することには大きな障碍があります。『農地法』は、農民ギルド制を採り、原則として、実質的には農民間でなければ農地の売買はできない上に、農民が農地を非農地に転用することを安易に認めてゐるからです。GHQの占領政策である自作農創設特別措置法により農地を取得した農民が農地を非農地に転用し農地を潰して乱開発することは、この法律の制度趣旨に反するものであり、この法律によつて得た戦後利得の著しい悪用・濫用であると云へます。それゆゑ、非農地に転用して売却し乱開発することを原則的に全面禁止し、市民の農民化を促進させて、市民を農業に新規参入させ就農を促進するために農地売買の自由化を図るることが喫緊の課題となります。農地は国家の財産であり、皇土保全のために、農民には離作の自由はあつても転用の自由は認められないとすべきなのです。


五 奉納下賜

1 このやうな大転換を実現させることを政府主導に頼つてゐては、いつまで経つても到底実現できません。その大転換運動の中核となるのは神社です。神社の復興が祖国の再生となるのです。そのための第一歩としては、五穀の「奉納下賜」の運動を実践することです。神社に対して種籾などを奉納し、その下賜(頒賜)を受ける運動であり、この運動を全国で展開することです。

2 福島県郡山市の飯森山にある飯豊和気神社(いひとよわけじんじゃ)には、五穀養蚕の守護の神延喜式内の古神である御饌津神(みけつかみ)が祭られてゐます。御饌津神は、食物を司る神々の習合であり、全国の主な神社に摂社として祭られてゐる御祭神です。この飯豊和気神社の由緒に、注目すべき箇所があります。

3 それは、「秋の祭典には、甘酒を醸し桶のまま神殿に供えて、参詣の人々に授け飲ませ、また御種貸神事として神前に供えた種籾を、信者へ貸し下げ翌年の祭典に新穀を返納させたが、何種の種が交じっていても雑穀とならず、主穀と同一となるという奇妙な稲霊の御種貸しと言う古代の神事があった。」とある部分です。そして、これと同様の行事として、伊勢神宮の神嘗祭に際し、今年収穫された稲穂(初穂)をお木曳車に載せて、豊受大神を御祭神とする外宮に奉納する外宮初穂曳の神事があります。

4 これらの御種貸神事や外宮初穂曳神事などが何を意味するかと言へば、大宜都比売神(おほげつひめのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、豊受大神、それに稲荷神(稲成神)など食物を司る多くの神々は御食津神(みけつかみ、御饌津神)として習合し、全国の各神社に祭られ、種籾の奉納と下賜(頒賜)がこれまで絶え間なき綿々として繰り返されてきた歴史的事実があるといふことです。つまり、全国の神社は、種籾などの集積地であり、その分配の基地でもあつたといふことになります。それは、宮中、伊勢神宮、出雲大社で五穀豊穣を祝ひ、皇祖皇宗、天神地祇にその恩恵を謝して自らも食する、太陰太陽暦の11月の下の卯の日に行はれてきた新嘗祭の原型です。いまでは太陽暦によつて11月23日を勤労感謝の日とされて、その名残りを留めて居るだけですが、宮中祭祀としては今も続いてゐます。

5 この神事を雛形として全国の神社で大々的に再興隆させ、氏子の家族が毎年収穫毎に奉納と下賜を続けるためには、日頃から農に親しみ、稲を含めた五穀や野菜などを氏子家族単位で育てて収穫することを実践する必要があります。そして、そのことの喜びと感謝のために収穫した作物の一部を御先祖様は勿論、近くの氏神さまや護国神社に奉納します。そして、次の耕作のために種籾や種苗が必要な氏子家族はこれらの下賜(頒賜)を受けます。このやうにして全国の氏子家族が奉納下賜運動を展開すれば、氏子家族の食料自給率は毎年向上し、国家の食料自給率も向上するのです。

6 御皇室が率先してなされてきたことをお手本として我々が家族ぐるみでこれを実践すれば、愚策や無策を繰り返す政府とは無関係に、我々は自立再生社会を実現する目標に向かつて着実に歩み続けることができます。むしろ、自給自足を潰そうとする国際社会や政府の圧力や妨害は、自給生活を確立させるための試練であると達観し、これしきのことでへこたれるやうでは、鞏固な自給自足の家産制を復活させ、手向け神事の祖先祭祀を続けることはできないと覚悟しなければなりません。独立自尊、勤勉、剛直、忍耐を信条とした田頭から郷士へと脈々と受け継がれてきた自存自衛の戦争を戦ひ抜くのです。それが公地公民制を崩壊させ家産制を復活させた歴史から学ぶ本能的教訓とせねばなりません。我々が家族ぐるみで、神事としての五穀奉納下賜の運動を続け、籾米などの食料備蓄量の多さを以て富を実感することができれば、国防と護国のための自立再生社会「まほらまと」が実現します。まさに実践あるのみです。


南出喜久治(平成27年元旦記す)


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