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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第二十四回 羊羹方式

わけえぬと おもひこみして いさかへど わかちあへれば むつみあふなり
(分け得ぬと思ひ込みして諍へと分かち合へれば睦み合ふなり)


今回から、効用均衡理論について話をします。

この理論については、まづ、二つの喩へ話で説明します。一つは、羊羹方式、もう一つは焼き魚方式です。


初めの羊羹方式についてですが、これについては、今回は、「その一」として、平成22年8月14日に児童向けに書いた拙文「おさなこころ(幼心地)」の「その六 飴だま」をそのまま引用します。

これを読んで貰へば、羊羹方式の意味するところが端的に理解できると思ひますので、次回には、これについてさらに詳しく述べることにします。


(以下拙文引用)


おさなここち(幼心地)その六  飴だま


今回も童話を取り上げます。それは、新美南吉(にいみなんきち)の『飴だま』(新美南吉全集)です。非常に短い童話ですので、全文を引用します。


春のあたたかい日のこと、わたし舟にふたりの小さい子どもをつれた女の旅人がのりました。

舟が出ようとすると、
「おオい、ちょっとまってくれ。」
と、どての向こうから手をふりながら、さむらいがひとり走ってきて、舟にとびこみました。

舟はでました。

さむらいは舟のまん中にどっかりすわっていました。ぽかぽかあたたかいので、そのうちにいねむりをはじめました。

黒いひげをはやして、つよそうなさむらいが、こっくりこっくりするので、子どもたちはおかしくて、ふふふと笑いました。

お母さんは口に指をあてて、
「だまっておいで。」
といいました。さむらいがおこってはたいへんだからです。

子どもたちはだまりました。

しばらくすると、ひとりの子どもが、
「かあちゃん、飴だまちょうだい。」
と手をさしだしました。

すると、もうひとりの子どもも、
「かあちゃん、あたしにも。」
といいました。

お母さんはふところから、紙のふくろをとりだしました。ところが、飴だまは一つしかありませんでした。
「あたしにちょうだい。」
「あたしにちょうだい。」

ふたりの子どもは、りょうほうからせがみました。飴だまは一つしかないので、お母さんはこまってしまいました。
「いいこたちだから待っておいで、向こうへついたら買ってあげるからね。」
といってきかせても、子どもたちは、ちょうだいよオ、ちょうだいよオ、とだだをこねました。

いねむりしていたはずのさむらいは、ぱっちり眼をあけて、子どもたちがせがむのをみていました。

お母さんはおどろきました。いねむりをじゃまされたので、このおさむらいはおこっているのにちがいない、と思いました。
「おとなしくしておいで。」
と、お母さんは子どもをなだめました。

けれども子どもたちはききませんでした。

するとさむらいが、すらりと刀をぬいて、お母さんと子どもたちのまえにやってきました。

お母さんはまっさおになって、子どもたちをかばいました。いねむりのじゃまをした子どもたちを、さむらいがきりころすと思ったのです。
「飴だまを出せ。」
とさむらいはいいました。

お母さんはおそるおそる飴だまをさしだしました。

さむらいはそれを舟のへりにのせ、刀でぱちんと二つにわりました。

そして、
「そオれ。」
とふたりの子どもにわけてやりました。

それから、またもとのところにかえって、こっくりこっくりねむりはじめました。


どうですか。すばらいし童話でしょう。母が子どもを危害から守ろうとする本能、さむらいの凛々しさなどがよく表現されています。新美南吉の童話には、このような人情味あふれる作品が多いのです。他にも『ごん狐』という心打たれる童話もあります。いちど読んでみてください。


さて、今回、どうして『飴だま』を取り上げたかというと、この話は、単に童話というよりも、私たちが、これからの世の中を希望に満ちた豊かなものとするための知恵の原型が描かれているからです。

それは、羊羹(ヨウカン)理論と云いまして、二人の子どもにヨウカンでも飴だまでもよいですが、それを半分に分けて、どちらからも不平不満がでない方法の知恵のことです。

「飴だま」の話では、権威と信頼のあるおさむらいが分けてくれましたが、お母さん自身がおさむらいの発想と同じように、飴だまを二つに割って二人に分けたとすれば、子どもたちは満足したのだと思います。

しかし、もっと子どもが大きくなってくると、それでは満足しないことがあります。兄弟姉妹の場合なら、兄や姉が多い方(大きい方)を弟や妹に譲ってあげれば、兄弟愛の麗しい関係になります。しかし、これが兄弟姉妹ではなく、他人との間で分けるとなると、そうは行かないことがあります。半分に切った(割った)としても、どちらかが少し多い(大きい)と云って、けんかになるかも知れません。そんなとき、このヨウカン理論を使うのです。

それは、二人にジャンケンでもさせて、どちらか一人にヨウカン(飴だま)を半分に切る(割る)ことをさせ、もう一人には、半分に切った(割った)後に、真っ先にそのうちから好きな方を選べることにするのです。

そうすると、半分に切る(割る)役目の人は、もし、どちらかが多い(大きい)ようにしてしまうと、その多い(大きい)方がもう一人に取られてしまうので、一生懸命に真半分に切ろう(割ろう)とします。そのようにすれば、公平で公正な分配ができるのです。これを社会全体に応用すれば、政治や経済の混乱はなくなります。

みなさんも、この「飴だま」の話を切っ掛けにして、ヨウカン理論をよく理解し、直ぐにでも周りの人や友達に話したり、それを実践してみてください。

南出喜久治(平成27年4月1日記す)


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