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トップページ > 自立再生論02目次 > H28.06.15 連載:第五十三回 石原慎太郎と憲法無効論 【続・祭祀の道】編

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第五十三回 石原慎太郎と憲法無効論

やすらけく いのちをつなぐ もとゐこそ かはるましじき つねののりなり
(安らけく命を繋ぐ基こそ改るましじき常の典(不改常典)なり)


平成24年2月22日の自民党東京都連の春の集ひに石原慎太郎東京都知事が来賓として出席し、そこで、石原都知事は、占領憲法は無効であることを政治の世界で確認することを訴へました。同年代である中松義郎(ドクター中松)からも背中を押されて、死ぬ前に何をするかを話し合ひ、占領憲法の無効確認しかないとの結論に達した結果だと中松氏から聞いてゐます。


私は、中松氏とは無効論の同志として30年以上の付き合ひがあります。あるとき、横浜で初めて出会つたとき、中松氏から私が何をしてゐるのかと尋ねられ、私は、占領憲法の語り部をしてゐます、と答へたところ、是非ともその論理を教へてほしいと求められ、真正護憲論の概要を説明したら、それは、憲法学の創造だよと言つて、創造家(発明家)同志の付き合ひをしたいと申し出られて、それ以来、無効論の同志となつたのです。そして、真正護憲論に関する資料をいろいろとお送りすることになつた。それが中松氏が平成9年に上梓した『東大キャンパスにおける創造学講義』(ビジネス社)に全文引用されて、東大法学部の学生に教へたテキストにしたとのことでした。


中松氏は、国内よりも海外の方が有名であり、マサチューセッツ工科大学(MIT)などでも占領憲法無効論に関する講演をして、スダンディング・オペレーションを受けてゐる人物なのです。


また、石原氏は、戸塚ヨットスクールを支援する会の会長で、私もその理事をしてゐるために石原氏とは何度か会合で同席して面識があり、また、子宮頸がん予防ワクチンの危険性を平成22年5月から反対運動を始めたとき、石原氏に直訴したことや、同年の参議院議員選挙において中川一郎の弟(中川昭一の叔父)の中川義雄を応援するために札幌まで一緒に駆けつけたこともありました。


その石原氏が、中松氏から背中を押されて占領憲法の無効宣言を行ふことの運動を人生最後のご奉公として、竹島の日の平成24年2月22日に踏み出したのでした。これまでも、石原氏は、占領憲法には歴史的な正統性(レジテマシー)がないと一貫して主張してきた人でした。


そして、その石原氏から、その後暫くして私の携帯電話に電話が入つたのです。私と渡部昇一氏との共著である『日本国憲法無効宣言』の出版社であるビジネス社から私の携帯電話を教へてもらつて石原氏の自宅から掛けてきて、無効論の理論的説明を詳しくしてほしいと求められました。

本当は、『日本国憲法無効宣言』とか『占領憲法の正體』を読んでもらふ必要がありますが、間近に定例記者会見が迫つてをり、産経新聞で連載してゐる『日本よ』のコラムにも無効論を展開する必要があるため、書籍を読破する時間もないので、簡単に説明してほしいといふ性急な要望のため、1時間近く電話で理論的な説明を含めて様々な話をしました。そして、石原氏は、やはり政治家らしく、それを実現するにはどうすればよいのかとの質問があつたので、その当時の政治状況を踏まへて、次のとほり説明しました。


民主党政権下の衆参捻れ状態なので、いまこそ石原氏が衆議院議員に復帰して、自社さの村山内閣のやうに、自公と石原新党とで衆議院の過半数を得て政権復帰し、衆参捻れ状態を解消して石原氏が首相に指名され石原内閣を誕生させる。そして、占領憲法無効宣言の首相声明を出す。仮に、これによつて政権内部から造反が起きて内閣不信任決議が可決すれば、小泉純一郎のやうな郵政民営化は是か非かといふ郵政選挙のやうなチンケなものではなく、占領憲法は是か非かの憲法選挙を敢行して、仮にこれに敗れても憲政の常道、立憲主義の根本を問ふた我が憲政史上の偉大な首相となり、これによつて、やつと三島由紀夫を超えることができる、と。


石原氏は、その手があつたか、と唸りました。そして、驚くべき早さでそれを実行に移しました。同年4月16日にワシントンで、占領憲法の破棄通告と尖閣諸島の東京都買取り案を表明したのです。この映像のノーカット版では、冒頭に長い時間をかけて、真正護憲論の立場に立つて、占領憲法が憲法として無効であることと、講和条約の限度で有効な占領憲法の破棄通告を行つた上で、最後に尖閣の買取りに言及しただけなのに、日本のメディアは、占領憲法(講和条約)の破棄通告の事実を一切を報道せず、尖閣買取りのみを報じたのでした。


また、定例記者会見や産経新聞の同年4月20日付け『日本よ』のコラム欄で「歴史的なに無効な憲法の破棄を」として、堂々と無効論を展開してくれたのです。


私は、これを援護するため、同志の土屋敬之都議会議員の協力を得て、同年6月8日に都議会の会議室で、中松氏をメインスピーカーとして、他に西田昌司参議院議員、西村真悟衆議院議員、三宅博衆議院議員、土屋敬之都議会議員、野田数都議会議員その他の地方議員の参加を得て、帝国憲法復元改正の集会を開催した上で、都議会に占領憲法と占領典範の無効確認決議の請願のための5027名の署名者を集めて、その日に土屋都議会議員、野田都議会議員を紹介議員として提出しました。

さらに、これに呼応して、平成23年から平成24年にかけて、参議院、衆議院、そして石垣市議会に対して同様の請願を行つたのです。


平成24年6月13日には、都議会で土屋都議会議員が、占領憲法が無効であることに関する石原都知事の見解を一般質問で求め、石原都知事がそのとほりであるとの答弁を引き出してもらつたのです。


そして、その後の同年10月に行はれた都議会本会議での請願採択では、さらに2名が加はつて4人の都議会議員が賛成したのです。


これに驚いたのが共産党でした。当時は8名しか居なかつた共産党都議団からすると、その半数に当たる4名が占領憲法と占領典範の無効確認決議に賛成したことから、機関紙の「しんぶん赤旗」で大々的に批判したことにより、他のメディアが報じなかつたにもかかはらず、逆にこれが全国ニュースとなつたのです。


石原氏は、その後、都知事を辞任して衆議院へ転出し、なんとか首班指名を受けるといふ唯一の目的を実現するために、党名も綱領も譲歩し、換骨奪胎してでも、韓信の股くぐりよろしく、憲法観を異にする橋下徹氏の維新の会とも手を結びましたが、その後は自公だけで衆参の捻れを解消したために、石原氏の構想は頓挫したのでした。


そして、石原氏は、その構想を実現できないまま平成26年12月に政界引退を表明したのですが、本当にご苦労様でした。

願はくば、石原氏と同様に、この占領憲法に体当たりして打ち破る強い志と勇気を受け継いてほしいものです。必ずこれを実現しようとする多くの政治家が次々と出現することによつて、悠久の祖国が再生できるのだと確信してゐます。

南出喜久治(平成28年6月15日記す)


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