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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第七十六回 ゾンビ憲法

とつくにの ちぎりをのりと みまがひて まつりごつやみ はらひしたまへ
(外国の契り(条約)を法(憲法)と見紛ひて政治する闇祓ひし給へ)

平成27年5月に、イギリスの研究チームが「2030年に世界は氷河期に入る。その確率は97%である。」との発表があつて今日に至つてゐるが、地球温暖化などといふのは、石油利権と原発利権との強固な利権調整構造から仕組まれたもので、そもそも地球温暖化の有無と原因は科学的に立証された訳ではない。それどころか、平成21年(2009)には、クライメートゲート事件が起こり、イギリスの気象研究ユニットの電子メールがハッキングされたことにより、地球温暖化に関する気象データの捏造が暴露されたのである。


観測的にも、太陽の黒点が減少し、太陽の活動が非常に弱くなつてきた。この現象は、約400年前(1645~1715)の「マウンダー極小期」と呼ばれた小氷期(ミニ氷河期)と似てゐる。

この時期には、緯度の高い世界の地域で河川が夏でも凍結したり、我が国でも、冷害による凶作により、寛政の大飢饉、延宝の大飢饉、天和の大飢饉、元禄の大飢饉といふ大飢饉が多発した。赤穂義士が吉良邸に討ち入つたときの降雪と積雪は、この小氷期の影響なのである。


また、異常気象が世界的な規模で多発してゐるのも、小氷期に突入する前兆に他ならないのである。


アメリカのトランプ大統領は、科学的証明がなされてゐない地球温暖化をいち早く否定したが、それは、この小氷期到来の理論に影響されてのことである。

平成42年(2030)と云へば、後13年しかない。このことに備へて、食糧自給対策を真剣に行ふ必要があるのである。


このやうに、地球温暖化の嘘だけではなく、世界には虚偽情報を操作することによつて利権構造を支へようとする誤つた方向へと導かれてゐることが多いが、同様のことは、我が国の国内においても、虚偽を刷り込ませて洗脳されてきた強固な利権構造が存在するのである。


それは、占領憲法を憲法であるとする敗戦利得者が構築した利権構造のことである。


つまり、国法学及び憲法学の立場からして、憲法としては無効であるのに、それでも依然として憲法として扱はれてゐる事象のことである。


ゾンビといふのは、死体であつたものが、呪術などで生き返つたと思はれる(見られる)現象をさすので、さういふ意味では、占領憲法は、まさにゾンビ憲法と言へる。


一般に、法律学において、法(規範)が効力を有するために必要な要件について様々な議論があるが、尾高朝雄は、「法の妥当的な規範意識内容が、事実の上に実効的に適用されうるといふ『可能性』chanceこそ、法の効力と名づけられるべきものの本質である。」と述べた。これを解りやすく言へば、法といふものにその効力が認められるためには、それを法として妥当であるとする人々の規範意識と、その法が実際上も法として実効力を以て適用されてゐる事実が必要なのであるといふことである。

つまり、「妥当的な規範意識」(規範意識の妥当性)と「実効的な適用事実」(適用事実の実効性)と要約したり、「意識」と「事実」に対比したりするできるが、ここでは「妥当性」と「実効性」といふ簡略な言葉で置き換へてみるが、いづれにせよ、その双方を満たせば、その法は有効であり、いづれか一つが欠ければ無効といふことになるのである。


そして、これは初めから法として効力を持つための要件(成立要件)であると同時に、その効力が維持され続けるための要件(存続要件)でもあるといふことに留意しなければならない。


このことを占領憲法に当てはめてみると、まづは、「妥当性」(規範意識の妥当性)があるのか否か、あるいは「妥当性」が維持されてゐるか否かについて検討してみたい。


占領憲法(日本国憲法)といふ法律名称には、「憲法」といふ文字が使はれてゐるから、国語の解釈として、おそらく「憲法」なのであらうと一般国民が想像してゐることは最低限度の規範意識があると言へる。


しかし、諸外国から、信教の自由に属する靖国神社参拝を閣僚がすることを批判されたり、学問の自由に属する歴史認識を押しつけられて謝罪し、教育の根幹をなす教科書の記述に「近隣諸国条項」まで取り入れて迎合しても、繰り返し繰り返し一挙手一投足を批判されたりしたとき、それを内政干渉だとして排除することができずに、その批判を受け入れて追従する。


さらには、この批判に便乗して同様の批判をするサヨク勢力が多数存在し、また、諸外国の顔色を見てその批判に迎合して事無きを得ようとして靖国参拝を見合はせ、諸外国の唱へる歴史観を肯定してきた歴代政権の対応の歴史からからすると、占領憲法をおよそ最高法規としての憲法であるとする規範意識はどうも見ても希薄と言へる。


さらには、占領憲法を憲法として有効と認め、それを改正しようとする勢力は、占領憲法の制定過程に問題があるとすることを改憲の動機とする者が多く、さらには、こんなものは憲法ではない、占領基本法に過ぎないと感情的に公言する者が少なからずゐることからしても、やはり最高規範であるべき憲法としての規範意識は相当程度に希薄である。


その上、後述するとほり、実効性を否定する事実が反復継続してゐることを認識しながら、そのことを批判する者も僅かに居るものの、どの政党もそのことを是正しようとする努力すらしないのも、規範意識の低下ないしは喪失を意味するのである。


このやうな傾向は年々惰性的なつて益々強くなつてきてゐるために、どうも規範意識の妥当性が占領憲法には備はつてゐないやうである。


では、もう一つの要件である、「実効性」(適用事実の実効性)についてはどうであらうか。


しかし、これについても極めて絶望的な状況である。つまり、占領憲法が憲法であるとすれば、その規定が守られてゐない事実が余りにも多くありすぎるし、これを是正することがなされないからである。


占領憲法が憲法であることを前提として、厳格かつ忠実にその実効性を維持しようとする主張する立場によれば、およそ、次のやうなことが代表的な例として挙げることができるのである。


第1条は、天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づくとしてゐるので、個々の天皇の地位を認める場合は、天皇となる資格がある者が複数存在するときは、天皇選出選挙として国民投票で決めなければならないのに、それが一度も実施されてゐない。


また、第2条には、皇位は世襲とあるだけで、女系天皇、女性天皇が認められるはずなのに、占領典範は、これを認めてゐないのは法の下の平等に違反する。


第4条には、天皇は国事行為「のみ」を行ふとされてゐるのに、戦災地や被災地の慰問などの公的行為とか、宮中祭祀などの私的な行為が行はれてゐる。

また、国政に関する権能を有しないはずなのに、国政に多大な影響を及ぼす天皇のビデオメッセージが発表されてゐる。特に、平成28年8月8日の天皇のメッセージに基づいて退位を容認する特別法が制定されるに至る因果関係は否定できず、天皇は国政に関する権能を行使したことになる。

法的に意味をなさない世論調査によつて退位を容認するか否かを判断するのではなく、国民投票による国民の総意が示されるべきであるが、それがなされてゐない。


第7条第4号には、国事行為としての「総選挙」の施行の公示を天皇が行ふことが規定されてゐるが、参議院の通常選挙は「総選挙」でないのに、天皇がその施行の公示をしてゐる。


第9条については、戦力不保持の規定に違反して、自衛隊といふ名称偽装の軍隊が存在してゐる。

朝鮮戦争において、政府は掃海隊を派遣して参戦してゐる。

交戦権(rights of belligerency)と交戦国の権利(belligerent rights)とをすり替へて解釈したり、交戦権がないのに自衛戦争ができるなどと政府が言ひ出して憲法を蔑ろにしてゐる。

独立国なら当然に自然権として保有してゐる自衛権があると言ふ論理を使つてゐるが、占領憲法が生まれたのは非独立国時代だから、自然権としての自衛権もなかつたことをすつかり忘れてゐる。

武装部隊である自衛隊がこれまで世界のあらゆる場所に派遣されてゐるが、これは、「武力による威嚇」を平然と行つてきたことになる。

武力による威嚇になるか否かを判断するのは、被派遣国の人民であつて、派遣国である我が国が決めることではない。脅迫を行つた犯人の行為が被害者を畏怖させるものであるか否かは、犯人が決めるのではなく、被害者が畏怖したか否かによつて決められるものなのである。


第65条から75条の内閣の規定においては、第69条以外に、内閣総理大臣及び内閣の権限として衆議院の解散権が規定されてゐないので、第7条第3号で解散することはできない。

天皇の国事行為としての衆議院の解散は、その前提として内閣又は内閣総理大臣に衆議院の解散権が任意に行使できる実質的権限があることを前提とするものであつて、国政に関する権能を有しない第7条第3号といふ儀礼行為の規定を根拠にして、内閣又は内閣総理大臣に解散権があることを認めることはできない。


第81条には、最高裁判所の違憲立法審査権を規定するが、重要な違憲性の主張について最高裁は殆どその判断を回避してゐるので、この条文は死文化してゐる。


第83条により、財政政策を決定する権限は国会にあるが、金融政策、特に、国家が保有しなければならないはずの通貨発行権を国家とは別組織の株式会社日本銀行に無償で付与してゐることは憲法の予定するところではない。

通貨発行権は、国家主権(sovereign)の中で最も重要なものであり、財政の錬金術である通貨発行益(シニョレッジ、seigniorage)を打ち出の小槌なのであるが、世界的に見ても、ドルの通貨発行権を独占してゐるFRBと同様に、一企業体である日銀に譲渡することは、国家主権(経済主権)の放棄である。


第86条に定める国会の予算審議の範囲が一般会計に限定され、原則として財政投融資などの特別会計が含まれてゐないので、国会の予算審議権が憲法の規定によらずに恣意的に制限されてしまつてゐる。


第89条では、公の支配に属しない教育の事業に公金の支出をしてはならないとしてゐるのに、私学助成を公然と行つてゐる。


以上のやうに、これほどまでの違反行為があるにもかかはらず、これを是正することがなされず放置されてゐることは、およそ占領憲法が憲法としての実効性が完全に否定されてしまつてゐるといふことになる。


ところが、この占領憲法が無効であることを主張すると、戦勝国(連合国)が構築した世界秩序の国連体制を否定することになるので、その体制のお零れに預かつて敗戦利得者の仲間入りをしたいならば、護憲論や改憲論を主張することに留めなければならなくなる。


本来であれば、このゾンビ憲法は、死に体なのであるから、すぐに葬儀屋が呼ばれるはずなのに、生き続けてほしいとの願ひを持つた改憲論者といふ無能なヤブ医者が出てくる。さらには、護憲論者といふ新興宗教の教祖も出てきて、いかがわしい長寿祈願をしてゐる有様なのである。


現在の政治状況を真摯に分析すると、改憲論者の悲願である占領憲法第9条の改正は絶望的である。安保法制を難産の末に成立させたことによるリバウンドとして「改憲小氷期」に突入してきたのである。NHKの世論調査によると、第9条の改正を必要とする者の比率と必要としないとする者の比率とは、平成17年でいづれも39%と拮抗してゐたが、その後は、必要とする者の比率は年々低下し、平成29年では、必要とする者の比率は25%、必要としない者の比率は57%となつてゐるのである。にもかかはらず、占領憲法の改正ができる可能性があると喧伝され、そのやうな雰囲気が漂ふのは、改憲小氷期に突入する前兆としての異常気象のやうなものである。


ともあれ、憲法としての規範意識が稀薄ないしは消滅し、さらに、実効性を欠いてゐるために憲法として無効であるはずの占領憲法が、今まで憲法であると成り済まして国民を欺し続けることができるのはどうしてであらうか。


それは、「ストックホルム・シンドローム」によつて説明できる。

つまり、これは、拉致拘禁された人質が、長い時間の経過に伴ひ、犯人への共感、同情、愛情を抱いて依存してしまふといふ心理的症状のことであるが、独立を奪はれ軍事占領されて人質となつた日本国民が、GHQの長期に亘る巧妙な洗脳によつて、GHQに擦り寄つた敗戦利得者に共感して、占領憲法を憲法であると刷り込まれた結果なのである。


占領憲法を憲法として思ひ込んでゐるのは、心理的な病理現象によるものであつて、これがゾンビ憲法であるために、領土問題や拉致問題を解決できないのは当然であり、ゾンビ憲法にすがり付いてこれらを解決しようといふのは、まさに自家撞着である。

占領憲法を憲法であるとする立場に立ちながら、解決不可能な問題を解決できると喧伝する運動は、敗戦利得者であるペテン師たちが群がる「永久利権」となつてゐることを一日も早く気づいてほしいものである。

南出喜久治(平成29年6月1日記す)


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