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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百十九回 本能と理性 その六

あまつかみ くにつかみをぞ おこたらず いはひまつるは くにからのみち
(天津神国津神をぞ怠らず祭祀るは国幹の道)


大脳の思考を経由するものがすべて理性であり、それ以外のものはすべて本能の働きですから、これを前提にすると、啓示を信ずるか否かは、まさに理性なのです。これは計算による判断です。信じるか信じないかを理性的に比較検討して判断し、いづれの方向を選択することが自己に利益となるのか、といふ選択をします。


家族やその血族、それに周囲の人が同じ宗教を信じてゐる場合、その宗教を信じなければ、迫害されたり、村八分にされたり、信じないと地獄に落ちるぞと脅かされたりすると生活に支障が出るので、その人達と良好な共同生活をするためには、お付き合ひとしてこれを信じることになるのが多いのです。


生まれながら心臓は動いてゐますが、生まれながら宗教の信者である人は居ません。物心がついてから信者になるのです。ですから、宗教を信じるといふことは、すべて大脳思考を経由した理性の働きであることが解ります。


信じることは、仮説を検証もなしに反論を許さない真理とすることです。これは科学ではありません。信じることによつて、家族や近隣の人、地域社会の人たちと仲良く暮らせるとして、周囲の人と同じ宗教を信じることも立派な計算としての理性なのです。


また、自己の信念に基づいてこれを信じないとして、家族や地域と戦つて生きるのも、それによつて魂の安静を保てて積極的に活動できるとしたら、これらの宗教と戦ふ英雄志向を生き甲斐として生きるのも立派な計算によるものです。


イルミナティを創設したヴァイス・ハウプトも、周囲の人が信じてゐる宗教を全否定した新たな宗教(反宗教的宗教)を打ち立てた理性の巨人です。


信じる人は救はれるのか、信じる人は欺されるのか。それを総合的に計算して判断することになります。


その計算は、人間が社会的に他の人との関係性を持つて生きて行くために必要な計算であり、周囲との軋轢を避けて同調し、同じ宗教を信じることによつて宥和と安定の方向を求めるためのものです。


そして、この安定を求める性向は、実は本能の働きなのです。個体を安定させこれを維持しようとする自己保存本能の一つなのです。ですから、宗教は、安定を求める性向としての本能をうまく利用した理性の産物です。だからこそ、人類の文明とともに生き続けることができたのです。


さて、言葉の定義についてですが、「文明」と「文化」とは、ほぼ同義に用ゐられることが多く、強いて云ふならば、「文化」は、生活様式のうち精神的所産に関するものに限定し、「文明」はそれに加へて技術、芸術、宗教、政治などあらゆる外的活動による物質的所産を含む総合的なものを指すものとして使はれることが一般のやうです。


しかし、これでは、本能の生活体系と理性の生活体系とを区別することができません。そのため、本稿では、別の定義を用ゐます。

つまり、「文明」とは、合理主義の土台の上に築かれた宗教の影響によつてできた生活体系であり、「文化」とは、本能の土台の上に築かれた祭祀の生活体系であると定義して、これらを峻別して用ゐることにします。


その意味で文明を捉へれば、宗教は、合理主義に支配された文明の中核に位置し続けたことにより、宗教と文明とは不可分一体なものとなりました。


ところで、宗教は自己に都合のよい身勝手な合理主義を採用します。本来は、論理学の矛盾律、排中律などが自己にも適用されるはずですが、決してさうではありません。自己には甘く、他者には厳しい二重基準です。

自己に内在する矛盾や論理破綻は、むしろ、信仰の奥義であるとしてすり替へますが、他の宗教に対しては、自己とは相容れないものであることの理由として、矛盾律、排中律を適用して、その宗教を否定したり、これに逆らふものは不倶戴天の敵として排除し、弾圧し、破壊し、そして殺戮します。それが信心の証となるからです。このことは、他の宗教も同じです。人を救ふとする宗教が人を殺します。だから宗教戦争が起こるのです。

宗教と文明の残虐性、野蛮性の本質は、まさにここにあるのです。


そして、このことをもう少し考察するには、さらに、祭祀と宗教における世界の歴史(history)と文明(civilization)に関しても、これまで行はれてこなかつた、本能と理性といふ視点で新たに検討する必要があります。


文明論といふのは、祭祀を文化(culture)といふ領域で矮小化し、文明は、個々の地域的な文化よりも優れてゐると自惚れて居ます。

ですから、文明人のみが人間であり、文明を持たない祭祀の民は、劣つてゐるといふか、人間ではないといふ認識なのです。ですから、祭祀を抹殺のための歴史とその成果を文明といふことになります。


しかし、繰り返し述べますが、文明は野蛮なものなのです。文明の野蛮さは、宗教戦争や文明戦争が多く起こつてきたのに対し、祭祀戦争なるものはこれまで一度も起こらなかつたことで証明できます。


厳密に言ひますと、宗教戦争には、宗教勢力同士の戦争と、宗教勢力が祭祀の民を殺戮し排除し、あるいは改宗させる戦争とがあります。

また、もし、祭祀戦争といふものがあれば、それは、祭祀の民同士が祭祀による支配を巡る争ひといふことになりますが、そんなものは絶対にありえません。祭祀は、争ふ者同士の祖先が共通することを自覚することによつて平和を構築するものだからです。


ただし、部族同士の個別的な戦争がありましたが、その原因は、食糧問題、水問題などに起因するもので、祭祀が原因となることはあり得ないのです。


ところで、「血讐」といふ習慣があります。「仇討ち」を原型とするものですが、これは、他の血族集団に属する者が他の血族集団に属する者に殺されたりして被害を受けたとき、同じ程度に報復するといふ集団的復讐のことです。殺した犯人を殺すのが仇討ちですが、それだけではなく、他の血族集団に属するものであれば誰でも報復の対象になります。ところが、その均衡が破れて、一人が殺された報復に対して複数も者を殺害することになつたときは、報復の連鎖が起こり血族集団同士の戦争に発展することもあります。しかし、血族紛争とか民族紛争といふものは、むしろ、祭祀を疎かにし、あるいは祭祀を忘れた者同士の理性的な争ひであつて、祭祀が原因で起こつたものではないのです。


このやうに、これまでの歴史上の戦争といふのは、文明戦争であつたり、宗教戦争であつたり、経済戦争であつたりしますが、これらの戦争は、すべて合理主義戦争なのです。


特に、一神教による異教徒の殺戮は凄まじいものがありました。戦争後の平和とは、凄まじく完璧な殺戮後の征服、デヴェラティオ、つまり「敵の完全な破壊及び打倒」ないしは「完全なる征服的併合」がもたらした屍の山と奴隷化による平和だつたのです。


古くは、ペロポネソス戦争(西暦紀元前431年~前404年)では、紀元前416年にメロスがアテナイ軍の攻撃を受け、陥落しました。その際、メロスは市民の処遇をアテナイ側に全面的に任せるといふ条件で降伏し、その結果、成人男子全員が処刑され、女子供はすべて奴隷にされました。


また、宗教戦争によつて異教徒を皆殺しにすることで平和が訪れるやうに、宗教は、本質的に排他的で不寛容の暴力体質です。レコンキスタ、十字軍戦争、ドイツ百年戦争、アイルランド紛争、一向一揆、法華一揆など、枚挙に暇がありません。しかし、祭祀は人を殺さない。人を生かす信仰なのです。


ケルト人や古代ゲルマン人(東ゴート族、西ゴート族を含む)などの祭祀の民は、文明の戦争によつて殺され、追放され、強制的に改宗させられました。たとへば、カエサルの遠征を伝へる『ガリア戦記』とは、欧州西部のケルト人が居住してゐたガリアを侵略した物語なのです。


ケルト人は、ヨーロッパ全域に住んでゐました。ドルイドといふ神官が祭祀を司りました。ドルイド教といふ宗教ではありません。これは宗教ではなく祭祀の信仰です。

男系の血族単位の土地所有(家産制)といふ祭祀の形態であり、土地は個人所有ではありません。霊魂不滅、輪廻転生、祖先崇拝、英雄崇拝、自然崇拝といふ祭祀の民だつたのです。

これは、我が国の場合は勿論のこと、全世界における祭祀生活体系に共通した文化であり、これがまさしく自立再生社会の原型なのですが、これについては、稿を改めて述べることにします。


ところで、フランスのパリの中心部を流れるセーヌ川の中州にあるシテ島は、パリ発祥の地とも称されますが、カエサルの『ガリア戦記』では、すでに西暦紀元前1世紀に、ケルト人に属するパリシイ族 (Parisii) が住んでゐたことが述べられてゐますが、このパリシイ族が「パリ」の語源です。


そして、時代が下がつても、宗教と文明の野蛮性はなくなりません。むしろ、さらに露骨になりました。


それはスペインやイギリスなどによる大航海時代であり、大航海といふのは誤魔化しで、その実質は、大侵略、大虐殺時代でした。祭祀の民は殺害され、征服され、改宗を強制されました。祭祀の民は未開の人間で遅れてゐるので、人間ではないから殺しても奴隷にしても勝手でした。


その文明の野蛮さの古典的な残渣が今もあります。


インド洋東部・ベンガル湾内に、インド領アンダマン諸島の中に、北センチネル島(North Sentinel Island)があります。

ここには、センチネル語を話すセンチネル族が数百人規模で生活してゐます。6万年以上に及ぶ歴史があり、少なくとも数千年間、他の島と交流せず、外部との接触を拒否して暮らしてきたのです。

昔はイギリス領でしたので、イギリス人が初めてこの島を探検し、住民6人を拉致して連行し、2人を病死させて4人を島に戻したといふ事件があつてから、住民の敵愾心は鞏固となり、完全な排外方針をとりました。


大東亜戦争以前であれば、欧米の植民地政策によつて、この島は完全に蹂躙されてゐたはずですが、辛うじて生き残つたために、やうやく現在は保護政策が採られるやうになりました。

しかし、いまでも「世界最後の秘境」などと野次馬根性で上陸しようとする者が跡を絶ちません。探検家と称する祭祀破壊の出歯亀は欧米人だけでなく日本人も居ます。


祭祀の民のセンチネル族を守らなければなりません。文明は、祭祀を破壊するだけでなく、文明人なる者が伝染病を運んできて住民を絶滅させる危険があるからです。


宗教の民から祭祀の民を守り、祭祀を再興させる活動は、これこそが世界を救ふものであることを自覚するためにも、この北センチネル島に注目すべきなのです。

南出喜久治(平成31年3月15記す)


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