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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百四十九回 祭祀と宗教 その十

いつきすて おやうまごすて ゆだぬれば すくふとだます あだしのをしへ
(祭祀棄て祖先子孫棄て委ぬれば救ふと騙す外國の宗教)


親鸞の肉食妻帯は卓見であるとする意見に異議を唱へた二宮尊徳については、「第144回 祭祀と宗教 その五」で述べたとほりですが、僧侶が戒律を捨てて釈迦の教へを破却した歴史的経緯について触れておく必要があります。


『親鸞聖人御因縁』、『親鸞聖人正明伝』、『親鸞聖人正統伝』などによれば、関白まで務めた九条兼実は、法然を戒師として出家し、円証と号しましたが、法然が唱へる悪人正機の教へに基本的な疑問を持つてゐました。

法然は、あくまでの僧侶の戒律を守りながら、貴賎の区別なくすべての俗人や破戒僧なども、念仏を唱へれば極楽浄土に往生できると説きますが、それであれば、法然がどうして戒律を守る僧侶の立場を崩さないのかといふ素朴な疑問です。


まことに尤もな疑問でした。


そこで、法然自身に結婚してもらつて確かめたかつたのですが、法然は70歳を超へてゐましたので、法然の弟子に自分の娘を結婚させて破戒僧にし、それでも極楽浄土に往生できるのかを確認してみたかつたのです。破戒僧でも往生できるといふ確信とその実践があれば、俗人である兼実としても入信できると思つたのです。

兼実は、そのことを法然に持ちかけ、法然は、兼実の弟である天台宗の慈円の弟子であつた綽空(のちの親鸞)を指名して説得しますが、綽空は、これに強く抵抗します。しかし、兼実の帰依が法然の教へを広げるためには大きな力となるとの計算もあつて、綽空は兼実の娘の玉日と結婚し、兼実の支援を確実なものとします。


この経緯は、法然の浄土宗や親鸞の浄土真宗の成立において大きな矛盾を孕んでゐます。

破戒僧になることに躊躇があることは、浄土門の教へと明らかに矛盾があるからです。その躊躇を乗り越えた親鸞としては、師匠の法然に言はれて、いやいや破戒したのではなく、自ら積極的に破戒したと自分自身に言ひ聞かせなければ自己の存在理由を維持できなくなつたのです。そのため、親鸞の悪人正機説は、自己のレゾン・デートルとして自己の生き方として、最後まで死守せざるをえなくなつたのです。


ところで、念仏為本の法然と信心為本の親鸞との違ひは、大きな違ひではありません。称名念仏ができない聾唖者を救ふことができるか否かの違ひだけです。信心を得る機会と意識すら持ち得なかつた胎児、乳幼児、精神障害者などは救はれないのです。これは、究極の弱者差別の教へです。


そして、肉食妻帯を公然と実践した親鸞は、「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず」(『歎異抄』第五条)とし、さらに、『顯淨土眞實敎行證文類(教行信證)』の「顯淨土方便化身文類六」の後半に、数々の経典等を引用しながら、「天を拜することをえざれ。鬼神をまつることをえざれ。吉良日をみることをえざれ。」、「天を拜し神を祠祀することをえざれ。」、「國王にむかひて禮拜せず。父母にむかひて禮拜せず。六親につかへず。鬼神を禮せず。」、「もろもろの外天神に歸依せざれ。」、「祭祀の法は、天竺には韋陀、支那祀典といへり。すでにいまだ世にのがれず、眞を論ずれば俗をこしらふる權方なり。」などと「神祇不拜、國王不禮」を説きました。つまり、孝と祭祀と天皇の完全否定です。反天皇、反民族であり、本地垂迹説すらも否定した異形の教へなのです。


ここまで行けば、キリスト教などの一神教と同じです。「解脱の教へ」であつた原始仏教から外れて、啓典宗教(一神教)と同じ「救済の教へ」です。

このことは、他の仏教宗派についても同じ傾向となりました。


そして、浄土門に限らず、殆どの仏教宗派の共通した特徴は、祭祀の独自性を否定することにあります。法事といふ仏教的な祭祀もどきはあつても、仏への信仰から独立し、あるいは仏への信仰に優先する祭祀は認めないのです。


孝は、仏教の徳目にも入れましたが、その孝のために仏への信心を説くのです。そして、祭祀を形骸化させ、儀礼的なものに閉じ込めました。


この「孝」に関して、「第144回 祭祀と宗教 その五」でも述べましたとほり、江戸時代において、仏教が非人倫的であるとして批判したのは儒者でしたが、その儒者が依拠した儒学や儒教といふものについても、どんなものであるのかについて、最後に簡単に述べてみたいと思ひます。


儒学や儒教では、「孝」と「忠」を説き、さらに、「天」とか「天命」といふ概念を説きますが、「天の命ずる之を性と謂ふ」(『中庸』)信仰世界での天命と、易姓革命といふ政治世界での天命とといふ二つの概念があつて、我が国では、前者のみを受け入れました。


しかし、儒教は我が国には根付かず、儒学、とりわけ朱子学が江戸時代の官学となりましたが、国教とはなつてゐません。

形而下的には檀家制度、五人組などによる仏教宗派による統治がなされたのです。あくまでも統治手段としての儒学ですが、易姓革命の根拠となる天命思想を封印せねばならないといふジレンマもありました。


この檀家制度といふのは、仏教を変容させたものであることに注目すべきです。宗教は、本質的に個人主義です。自己の解脱、自己の救済を求めるのが宗教です。親のためとか子のためといふやうに、親の解脱と救済、子の解脱と救済のために信仰するものではありません。己を虚しくしてでも親を助けたい、子を助けたいなどいふ、我が国における伝統的な家族主義的な願ひや、七生報國の志を宗教は受け付けてくれません。

信仰世界においては、「個人主義の宗教」と、「家族主義の祭祀」とに別れますが、この檀家制度は、仏教の外形があるものの、家族主義の祭祀を温存させる機能を辛うじて維持してきたといふことなのです。


いづれにせよ、儒学では、この天命と忠と孝との序列的な関係においては、おそらく、「天命>忠>孝」といふ不等式として捉へるのだと思ひます。孝と忠については、「第140回 祭祀と宗教 その一」で述べましたが、忠孝一如としても、「天命>忠=孝」いふ不等式になります。


儒学は、孝を徳目として祭祀を説きましたが、儒教的に支配された祭祀は一般には殆ど浸透しませんでした。儒学をあくまでも幕藩体制維持のための政治的道具として利用しただけなのです。


易姓革命の天命思想もさうですが、孔子は、「孝>忠」と説きましたので、これを水戸学のやうに、忠孝一本として「忠=孝」とするか、「大義親を滅す」(春秋左氏伝)として、「忠>孝」と変更することによつて統治秩序を保たうとします。

しかし、「孝」とは、人と宇宙(天)を一貫する原理であると説く『孝経』によれば、孔子が説いたとほり「孝>忠」となる筈ですが、必ずしも孝と忠との関係、忠の意味が明確ではありません。この『孝経』も後の戦国時代に書かれたものだからです。


朱子学では、仏教の「理事の論」などの影響を受けて、理気説(理気二元説)を唱へました。すべての事物における陰陽の物質的現象である「気」と、その本質にある形而上的な真理を「理」として、宇宙のすべての事象を説明します。


これに基づいて、「心」を理解しようとします。

そして、心を性と情に分け、性即理とします。性とは、「本然の性」、つまり、先天的な本質のことです。これは、「本能」のことです。

また、これに対して、「気質の性」、つまり、後天的なものとを区別します。これは、「理性」のことです。

そして、「情」といふのは、「気」であるところの感情、欲望と捉へます。

これに対して、陽明学は、心を性と情に分けずに、「心即理」と説きます。


この「性即理」と「心即理」の違ひを、今でも最もらしく説明する人が居ますが、全く無意味なことです。そもそも、心を性と情に分けることや、心を一体のものとして捉へること自体が間違つてゐるからです。


心といふのは、すべて気なのです。そして、本然の性である先天的な本能は、心に含まれるものではないのです。気質の性である後天的な理性は、心を構成します。そして、情は、本能の現象として心を構成するからです。


その意味では、本然の性、つまり本能が善であるとする孟子の性善説が正しいのは当然です。悪が潜むのは、後天的な理性なのです。


このことをはつきりと認識すれば、朱子学とか陽明学が、誤つた前提の土俵での些末な論争であつたことが判ります。


ただし、陽明学は、我が国の歴史上において大きな影響を及ぼしたことは確かです。「知先行後」を説いた朱子学に対抗して、「知行合一」を説き、知は行を通して成立するとして、真の知(良知)は実践を伴ふとしたことです。


しかし、歴史を動かすやうな事象が起きたのは、こんな神学論争によるものではなく、陽明学が「事上磨錬」といふ実践綱目を説き、良知を獲得するためには、実際の行動の中で人格を磨くといふ「行先知後」を説いたことにあります。


いづれにせよ、この「事上磨錬」の実践が時代を動かすことになりましたが、孝と祭祀に関して、この実践を行つた人を忘れてはなりません。


それは、中江藤樹です。


中江藤樹のことについては、平成23年1月3日の「(青少年のための連載講座) 祭祀の道 第25回 祭祀と孝養」で詳しく述べましたので読んでみてください。


中江藤樹の生きた時代は、江戸時代の初期であり、脱藩することは死罪となる重大犯罪でした。吉田松陰や坂本龍馬などの江戸時代後期における脱藩のやうな時代背景が全く異なつてゐました。それでも、母への孝を実践するために、忠に背き、命懸けで孝を実践した人です。


親を捨てた、釈迦、イエス、野口英世、マザーテレサらなどは根本的に違ふのです。親を捨てた者の教説は、どこか偽善があります。


人を救ふと言ひながら人を殺す世界宗教に対抗して人類を救済することができるのは祭祀の道しかありません。

そして、我が国には、この近代合理主義を否定して、祭祀の基軸となる孝が百行の本であることを身を以て命懸けで実践した中江藤樹が居たことを、我が国の宝として最も誇るべきことなのです。(了)

南出喜久治(令和2年6月15日記す)


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