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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百五十八回 飽和絶滅の危機 その二

ほやのきが はげしくしげる そのはてに さくらほろびて ともにつひゆる
(ほやの木(宿り木)が激しく茂るその果てに桜(宿主)滅びて共に潰ゆる)


飽和絶滅といふのは、たとへば、ガン細胞が個体を蝕んで、その個体が死に至ることについて、我々は、個体の死についてのみ関心を向けますが、その個体の死は、同時にガン細胞の死滅と表裏一体の関係あることを忘れがちです。


ガン細胞は、その細胞の集団として自立してゐるのではありません。個体に寄生(変形)して、その個体から養分とエネルギーを貰つて生きてゐるのです。自活してゐるのではなく、個体組織の一部なのです。


そして、ガン細胞が、個体のあらゆる組織に転移して増殖し、その個体の全ての臓器を機能不全に陥れることになれば、個体の死を招き、その結果、ガン細胞全体も死滅することになるのです。


つまり、増殖して絶頂期を迎へてガン細胞が飽和状態になれば、個体を死滅させ自らの絶滅を招くに至ることを「飽和絶滅」と云ひます。


また、宿り木といふ植物がありますが、これは、サクラ、エノキ、クリなどのやうな落葉広葉樹を宿主樹とし、その幹や枝に付着して根を生やし、宿主から水や養分を得て生育するものです。


宿り木は、宿主の幹や枝に根を食ひ込ませて成長しますが、宿主から一方的に養分を取つてゐるのではなく、自らも光合成をする常緑寄生植物ですから、完全な寄生ではありません。いはば半寄生です。


しかし、その桜や榎などの宿主が、環境の変化などによつてこれまでの生育状況に大きな異変が生じ、宿り木を寄生させ続けることができる成育力が大きく低下したり、異常に宿り木が宿主の桜や榎などに寄生して、宿主が自生し続けることができずに枯死してしまつたりすると、宿り木は、これと運命を共にすることになります。


しかし、宿り木もまた生態系の中で種を維持してゐますので、いきなり異常な繁殖をして、それにより宿主を枯死させることにはなりません。それが宿り木の本能です。


生態系内で、種同士が「均衡」を保つて、お互ひに異常に増殖することを自制してゐます。一時的に異常な大量繁殖といふことが起こるのは、やはり一時的な理由があるからです。そのことは、宿り木も同じです。しかし、生存環境が大きく変化して、宿主を枯死させてでも、多くの子孫(種子)を残して種族保存を行ふためには、これまでの均衡を破つて際限なく自己増殖することもあり得るのです。


ガン細胞についても同じです。

ガン細胞は生体の組織の一部であり、生体の免疫機能によつて、発生しては消滅するといふ輪廻を繰り返しますが、免疫機能に異常が起こると、ガン細胞は生体との均衡を破つて自己増殖を初めて、飽和絶滅へと突き進みます。


すべては、宿主と寄生との「均衡」が破れることから「飽和絶滅」へと進むことになるのです。


これと同様に、地球(宿主)と人類(寄生)との均衡が破れるのは、人類の「理性」の暴走が原因となります。本能と理性との均衡が破れて理性が暴走すると、人類は地球の増殖ガン細胞と化します。


人類は、過去から現在に至るまで、ずつと「発展」し「進化」してきたといふお目出度い考へで、人類史の内側から人類史を見つめたとしても、人類史は到底理解できません。

人類史を地球規模の視点から俯瞰的に外側から見つめると、どうしてもこの「飽和絶滅」の視点が重要になつてきます。


発展史観に立つて、人類が発展してきた思ふのは、知見の蓄積と技術の集積が可能な科学的なものについてだけです。

決して、精神文化が大きく発展したとは思ひません。むしろ、退化、劣化したのではないかと思はれます。そもそも発展とか、進歩とは、一体何なのか、どのやうな基準によるものなのか、といふ疑問の壁にぶち当たつてしまつてゐるのです。


原始人には智恵がなく野蛮だと思つてゐるのは、理性の塊となつた現代人の恐るべき偏見であり、吉本隆明の云ふ「共同幻想」です。智恵や感性は、原始人、古代人の方が優れてゐたのです。

「狂人とは理性を失つた人のことではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失つた人である。」とチェスタートンが云つたやうに、理性の塊となつた「狂人」の現代人は、多くの道具と技術を用ゐて、物事を理性的に判断します。道具や技術は、智恵と感性を退化、劣化させますので、原始人や古代人の智恵と感性には到底及ばないのです。


このやうに、増殖ガン細胞や、異常な宿り木は、宿主を破滅させる方向へと際限なく自己増殖することになり、一度走り出した現象は、途中では止まらず、最後まで続きます。このやうなことが、地球(宿主)と人類(寄生)との間の現象としていつ起こりうるかを考へる必要があるのです。


これは、起こるか起こらないかといふ問題ではなく、つい起こるかといふ問題です。


ただし、このことを論ずるときに、「人類」として一括りにして考へることはできません。個々の自覚的な人々の多くは、この飽和絶滅の危機を本能的に当然のこととして感じてゐます。しかし、人類の多くの人々がこれを感じたとしても、大量生産、大量消費、資源の枯渇などを生み出す仕組み自体を否定したり是正したりすることはできません。個々人が節約したから解決するなどといふ単純な問題ではないのです。

まさに、合成の誤謬(fallacy of composition)なのです。


それは、個人の意思とは無関係に、これまで構築してきた世界の政治制度、経済制度などの強固に構築された包括的な仕組み自体である「制度」が一人歩きして「飽和絶滅」へと突き進んでゐるためです。このやうな、世界全体を覆ひ尽くした包括的な仕組みとなつてゐる強固な社会制度のことを、ここでは、仮に「世界制度」と呼んでおきます。


ところで、太陽の寿命が尽きれば、地球も終はります。その意味では、地球は太陽に寄生してゐます。運命共同体です。ですから、宇宙開発が大いに進み、火星移住計画など立案されるのは、宿主(太陽)の寿命が尽きることを想定して計画が進められてゐるものでは決してありません。


太陽の寿命は約100億年と云はれてゐますが、太陽は、徐々に明るくなつてきてゐますので、5億年くらいたつと、地球は太陽熱で海水がすべて蒸発し、生き物が生息できない環境になるといふことが云はれてゐますので、5億年先のことを見据ゑて計画されてゐるのではありません。

そもそも、太陽の寿命が尽き、あるいは太陽の変化によつて地球の生息環境が破壊されれば、地球では人類は住めず、月も火星も人類が移住できる場所ではなくなります。


このやうな宇宙計画がなされるのは、子供たちに語る素晴らしい「夢物語」ではありません。地球崩壊を想定した「悪夢物語」なのです。

これは、人類が際限のない自己増殖を繰り返し、資源を枯渇させ、環境破壊が深刻になつて、いよいよ人類が地球には住めなくなることを予知しての計画です。まさに、「世界制度」によつて訪れる「飽和絶滅」を予知しての計画なのです。


飽和絶滅といふのは、宿主が滅びることによつて寄生が共に滅びるといふ現象ではなく、全くその逆です。寄生が生み出す原因で宿主が滅び、同時に寄生もまた自業自得で滅びるといふ現象です。


このやうな飽和絶滅といふ種全体の衰亡は、生命体の種の中で、理性を持つことになつた人類のみに突きつけられた深刻な問題です。

しかも、個々人のレベルであれば、無限の欲望へと突き進む理性の暴走は、それほど簡単には起こりません。個人の意思といふのは、それなりに本能と理性との均衡が保たれてゐるからです。しかし、これが人類集団の意思といふことになると、その集団意思は、先に述べた「世界制度」そのものです。この「世界制度」は、人類が生んだ制度ではありますが、人類から自立した独自の意思を持つた「生き物」です。これは、フランケンシュタイン博士が制作した理性の塊と化した改造人間であり、制作者の指令から完全に独立して解き放たれた存在と同じです。これは、自律型AIロボットと同じなのです。


これを退治しなければ人類の未来はありません。


そこで、現在、問題とされてゐる様々な世界的な森羅万象について、この世界制度に立ち向かつて退治して行く視点から、飽和絶滅の危機について捉へてみる必要があります。

我が国では、余りにも些末な問題を大問題であるかの如く捉へた喧噪状態にあつて、世界の視点が完全に欠落してゐます。まるで、李氏朝鮮末期の姿と同じです。


いま、世界と我が国を見渡せば、あまりにも多くの問題が噴出してゐます。


武漢ウイルス禍、治療薬騒ぎ、ワクチン騒ぎ、経済の低迷、非正規雇用の存在、雇用の不安定、労働組合運動の低迷、生活保護の増大、財政の危機、少子高齢化、人口減少と人口爆発、自由の抑圧、思想強制、監視社会、官僚統制、警察国家、独裁・全体主義国家、情報の独占(GAFA)、5G・6Gの開発普及競争、民主主義の制度疲労、政党の劣化、選挙制度の形骸化、米中の体制戦争、金融資本主義の暴走、証券・商品・金融市場等における賭博経済の猖獗、過剰生産、過剰消費、資源の枯渇、地下水・淡水の枯渇、塩害、エネルギー問題、原発問題、食糧危機、保護主義批判と自由貿易の絶賛、分業体制の深化による弊害、貿易不均衡、ブロック貿易協定、海洋・水質・大気・土壌・宇宙にまで拡散した汚染問題、異常気象、大規模災害の頻発、温暖化問題、環境破壊、そして、いまや犯罪的ともいふべき生活格差、経済格差、資産格差の拡大を必然的に引き起こす資本主義の根本問題、人工知能(AI)の開発、自動型及び自律型のロボット兵器の開発、ABC兵器の小型化とその使用による紛争と戦争の恐怖、宇宙・サイバー空間の戦争、テロの蔓延、ハイブリッド戦争、軍事同盟、国連組織の機能不全、周期的に起こるパンデミック(感染爆発)、優生思想、出生前検査の普及、人工妊娠中絶、臓器移植、ゲノム編集、遺伝子操作、遺伝子組み換へ、畜産業の工業化、家畜の大量殺処分、食品添加物の毒性、薬剤耐性菌の拡散、人種・民族・障害者などの差別、児相問題、夫婦別姓、家族の崩壊、児童の貧困、同性婚、LGBT問題などなど。


これらは、ほんの一例です。いままで人類史の「内側」からこれらを眺めて、モグラ叩き的のやうに個別的に論じられてきましたが、これからは、人類史の「外側」にある宿主の地球の側から、人類における飽和絶滅の危機との関係について包括的に捉へた上で考へてみなければならないのです。

南出喜久治(令和2年11月1日記す)


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