自立再生政策提言

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百六十九回 飽和絶滅の危機 その十三

ほやのきが はげしくしげる そのはてに さくらほろびて ともにつひゆる
(ほやの木(宿り木)が激しく茂るその果てに桜(宿主)滅びて共に潰ゆる)


ワクチンといふものを、医療のみの視点からでなく、国家の安全保障といふ広い視点で捉へる必要があります。


祖国を防衛し、社会を安定させるための防衛論や安全保障論といふのは、国家組織だけに委ねられるものではなく、民間の個々人がこれに積極的に協力関与して担はれる体制が必要です。


国家の安全保障を考へるについては、軍事政策面だけではなく、他国などからの侵略の対象となる情報、文化、教育、食料、衛生、保健、医療、医薬、土地などの各政策など多面的な視点が必要となります。


軍事については、国家組織固有のものだと考へ勝ちですが、予備役や自警団などの組織化、防衛教育の実施など、民間組織へと裾を広げて行く必要があります。そして、外国勢力がわが国の陸上や港湾等にある防衛施設などを無力化するための諜報活動や情報操作をするために隣地等の所有権を取得したり利用したりすることを阻止しなければならないことは、ロジスティックの視点からも最重要な事柄ですが、わが国では、土地政策などにおいて、この防御が完全に抜け落ちてゐます。

外国人土地法や相互主義の原則は、全く機能してゐないのです。


兵器装備を強化することが防衛強化だと勘違ひしてゐる人が余りにも多すぎます。軍事だけで防衛できるとするのは過去の経験からして妄想であることを知らなければなりません。軍事政策は土地政策と不可分なものといふ認識が必要です。


地震、噴火、風水害、火災などの災害多発国であるわが国において、想定内だつた福島第一原発事故が発生しても真面に対処できてゐない上に、原発安全管理体制上の手抜かりが今も尚続いてゐます。

戦時(有事)における空爆、ミサイル着弾や艦砲射撃などによる原発攻撃や、平時においても、原発警備の弱点を突いたゲリラ攻撃による原発占拠や破壊などの事態への対策も皆無に等しい状態です。


軍事面での安全保障を考えへた場合、真の防衛専門家は、「原発防衛不能」の結論から原発推進政策に反対するものですが、国際オロチに操られた自称軍事専門家たちは、原発には反対しないといふ為体です。


ともあれ、防衛や安全保障といふのは、軍事面だけではありません。情報操作、文化侵略、教育破壊などに対する防衛が喫緊の課題です。


情報が戦略兵器として利用され、文化を破壊し、教育を崩壊させ、伝統の継承を阻みます。それどころか、政府自体がこれを積極的に容認してゐます。

すべてをグローバル化するといふ国際オロチの策謀を無批判に受け入れて、思想洗脳の片棒を担いでゐるのです。


土の民から砂の民へと転落し、社会の連携を崩壊させ、合理主義、個人主義を徹底させ、祭祀を否定して社会を混乱させ脆弱なものして行きます。


また、産業面でも、スケールメリットがあると称して、大量生産、大量消費を推進させ、フォーディズムによる自動車産業にも大量生産、大量消費を導入し、モデルチェンジを年々繰り返し、年々新車を発売する産業となりました。自動車は耐久消費財なのに、あたかも生鮮食料品ではないかと見紛ふやうに、早期に生産し、早期に消費し、早期に廃棄物にするといふ急速な産業循環を繰り返し、資源の無駄遣ひをして地球環境の汚染を拡大してゐます。


その上に、食料については、最も深刻な世界的危機に直面してゐます。


食料が工業製品と同様に完全商品化を促進させて、自由貿易を推進させ、自給自足政策を保護主義であるとして批判するやうになり、食品ロスを大量に生み出してゐます。


イギリスのデービッド・リカード(David Ricardo)が比較生産費説(比較優位説)といふ国際オロチの推奨する理論を唱へて、自由貿易主義が正当であると主張したことから、欧米は、このリカードの口車に乗せられて、国富の追求のため自由貿易主義へと歩み出しましたが、これによつてとんでもない事態が起こりました。


イギリスでは、穀物の輸入に高い関税を課す穀物条例が一部の者だけを利するだけで国家全体の利益にならないとのリカードの意見に支配されて、穀物条例を廃止して穀物の輸入自由化に踏み切りました(1846+660)。

その結果、それまで100%近い小麦の自給率が10%程度に落ち込み、二度の大戦の戦勝国でありながら、食料難となり食料調達に苦しんだのです。


そこで、昭和22年(1947+660)に『農地法』を成立させて食料自給率の向上を推し進めました。イギリスは、国家の本能的直観によつて大きく政策転換をした結果、イギリスだけでなく、西ドイツ、フランス、イタリア、アメリカ、カナダは、昭和57年(1982+660)ころまでに食料自給率を100%を超えるまでに回復し、リカードの誤つた論理から完全に脱却したのです。リカードの論理は、帰納的に否定されたのです。


このリカード理論が実証的に破綻した結末を知らずに死んだマルクスは、生前においてリカードから大きな影響を受け、自由貿易主義を当然であると認めてこれを明確に否定しませんでした。


その上で、窮乏化理論(窮乏化法則)を展開し、それを少しでも食ひ止めるために労働者組織による団結を唱へたのですが、この自由貿易主義こそが窮乏化を大きく推進することになる原因であるとの認識が皆無でした。組合運動は、自由貿易に組織的に対応して組織的にグローバル化することが不可能だからです。

そして、この窮乏化法則を巡るその後のドイツ社民党内におけるエドアルド・ベルンシュタインとカール・カウツキーの論争も、現代のやうな資本の完全自由化による国際金融資本主義や賭博経済を知らない時代におけるもので、コップの中のお粗末な論争に過ぎませんでした。


ともあれ、真の意味で、世界の窮乏化がどのやうにして加速するのかをマルクスは理解することができなかつたのです。


いづれにせよ、リカードの理論が破綻して、せめて食料については、自由貿易主義に支配されてはならないといふ過去の欧米の経験は、全く忘れ去られてしまつたのです。

それは、食料も世界的な商品として賭博経済の取引対象とすることを企てた国際オロチによつて、自由貿易が食料についても完全に適用され、わが国などは徹底して自給率を下げさせられてきました。


ところで、昭和47年にソ連が凶作となり、それが今後慢性化すると予測したアメリカは、急遽、余剰穀物を戰略兵器とする構想に基づき、ソ連へ緊急輸出し始めました。


穀物を戦略兵器にするといふことは、それを供給し続けて、ソ連をその供給依存体質にしてしまへば、戦時にはこれを供給停止することによつてソ連の人民の多くを餓死させることができるからです。火器を使つて殺戮する必要はなく、穴蔵に隠れても防空壕に逃げても、食料が絶たれる等しく餓死するので、これは優れた戦略兵器なのです。


ところが、翌48年4月、今度はアメリカが異常気象により凶作となり、トウモロコシ、大豆がアメリカでは絶対的に不足することになりました。その結果、食肉物価の高騰を招き、同年6月27日、アメリカは、大豆の我が国向けの輸出を停止したのです。


この時期は、丁度、第一次オイルショックの時期と重なり、風評によるトイレットペーパーの買ひ占め買ひ漁りといふトンチキ騷ぎの陰に隠れて人々は殆ど知ることも話題にすることもなかつたのですが、この輸出禁止が長期化すれば、我が国の豆腐や醤油や納豆などは高騰し、最後には、わが国の食卓から消えてなくなる運命でした。


つまり、わが国の大豆の国内自給率は3パーセント以下に過ぎず、輸入の上に食文化が栄えてゐたためです。しかし、同年9月には、幸ひにも輸出停止が解除となり難を逃れることができました。

そして、この時、アメリカがソ連に大量の穀物を緊急輸出したときに関与した組織が穀物メジャーであり、その後、国際オロチの傘下で、火事場泥棒的に、穀物取引の世界的利権を独占的に掌握する地位を確立して行つたのです。


いまや、いままで以上に、異常気象や天変地異などが多発する世界的な環境下では、農作物の凶作等は今後ますます頻度を増してくるはずです。


それでも、自由貿易は「善」、保護貿易は「悪」とする風潮に殆どの人は異議を唱えないのは、すでに国際オロチがしかけた情報戦に悉く負けてしまつて洗脳され、「食料安保」を放棄してゐることになるのです。


そして、この食料政策における安全保障と同様に、衛生政策、保健政策、医療政策、医薬政策などについても致命的な脆弱さがあります。


仮に、食料政策だけ保護主義を採用して自給率を高め安全保障を強化したとしても、衛生や医療や医薬の面での自給率が確保されなければ、全体的な生活防衛はできません。


こんなことを言ふと、「すぐにでも国内産ワクチンの開発が必要だ! 政府はこれを後押ししろ!」と言ふ人が出てきますが、こんな考へは、甚だしい短絡的思考です。


そもそも、ワクチンに依存することが、これからの衛生、保健、医療、医薬の政策において本当に必要なのかの根本を見つ直す必要があります。


病気の予防と病気の改善における基本は、免疫力を向上させることにあります。それは、生活習慣や食習慣を改善し、健康維持管理(セルフ・メンテナンス)で免疫力を上げることです。それについての膨大な知恵と知識が蓄積されてゐるのに、現代人はそれを有効に活用することをしません。

息切れのする激しい運動や有酸素運動のジョギングなどは免疫力を下げ、感染症に罹りやすいので、息切れのしない適度な運動をして免疫力を高めるといふ免疫力に関する「常識」についても、政府もメディアも推奨してゐないのです。


「医者いらず」といふ言葉に関していろいろな格言がありますが、たいていの病気は、太古の昔から、医食同源など言ふやうに、食生活や民間療法などで克服してきました。本能を強化するには、自然なものを摂取して適正な生活をすることです。現代人は、本能が劣化して、それができなくなつたり、化学製品に安易に頼ることになればなるほど免疫力を下げて、薬物依存症になつてゐるのです。


今回の武漢ウイルスの予防についても、ワクチン依存を前提として政策を立案するために、いろいろな矛盾が出てゐます。

「集団免疫なるものが、ワクチン接種によつて実現することはありません。ワクチン接種の普及速度と効果持続期間との関係、変異ウイルスの感染速度との関係からして、理論的にも集団免疫を獲得することはないからです。


何度も言ひますが、現代のワクチンといふのは、医学の邪道です。これを予防として活用することにそもそも誤りがあります。

予防は、あくまでも生活習慣と食習慣の改善といふ各人の行ふ自前の取り組みに委ね、それでも発病する人に対して、医療措置と医薬投与などを試みるべきなのです。


人間の免疫機序は、人為的なワクチン接種によつて免疫力が簡単に向上できるやうなものではありません。発症予防なのか感染予防なのかも定かでないワクチンを、誰が、いつ、どんな段階で接種するのか解らないのです。これは、闇鍋商法の類ひです。


これまで、ホルモン注射を多用した時代がありましたが、これは制限されることになりました。それは、体外からホルモンが注入されることによつて、それまでホルモンを生成してきた体内のホルモン生成臓器が怠けてしまつて退化し萎縮してしまひ、ホルモンを体外から注入し続けないと生存できない状況になつたためです。

これと同様に、仮に、免疫力を高めるワクチンが開発できたとしても、それを体外から接種し続けると、人間の体内における複雑な免疫機序を退化させてしまふ恐れがあるからです。つまり、ワクチンは効かないし危険なのです。


政府がなすべきことは、ワクチンに依存しない個々人の衛生と保健を支援する政策を推進し、医療と医薬の充実を図ることを使命として政策を立案することです。


このことからしても、「国産ワクチン」に期待を寄せるのは、国家の安全保障の要である、衛生、保健、医療、医薬の政策を自由貿易の荒波に乗り出し、国家の安全保障を放棄する方向へと進む国際競争といふ博打に身を委ねる危険行為なのです。


そもそも「国産」といふ言葉自体に、保護主義の意味があるのに、それを自由貿易に乗り出して競争させようとすることに大きな矛盾があるのです。


南出喜久治(令和3年4月15日記す)


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